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地獄温泉「青風荘.」で自家製生揚活山女魚塩焼き炭火の赤牛里芋だごめくるめく夕餉

この5月のゴールデンウィーク後半のこと。
熊本城ホールで催される「billboard classics 玉置浩二 LEGENDARY SYMPHONIC CONCERT 2026 “Fanfare”」を契機として、十数年振りに熊本、そして阿蘇を訪れた。
のんびりと午後到着した熊本の初日には、
熊本城下の繁華街の武蔵小路沿いにある、
郷土料理「はや川」で、
店主ご夫妻と色々な会話を交わしつつ、
郷土料理や旬の食彩、
地の食彩を美味しくいただいた。

熊本市電の通町筋電停前にある、
OMO5熊本で目覚めた朝には、
隣接のベーカリー「アンゼェラス パンの家」で、
買い込んだパンを齧りつつ、
阿蘇方面へとレンタカーを走らせた。

まず目指したのは、
阿蘇を代表する絶景スポットのひとつ、
大観峰。 阿蘇カルデラの北側にある、
阿蘇北外輪山の最高峰だ。

少し霞がかってはいたものの、
田畑の広がる阿蘇カルデラの平地や、
その奥に連なる高岳や中岳、
根子岳と思われる山々が見渡せた。 “大観峰”という名称は、あの明治の文豪、
徳富蘇峰が命名したものだという。
目視では見つけられなかったけれど、
やや左手の中央辺りがどうやら、
阿蘇神社の所在らしいとジッと見た。

標高は935.9mの頂を心地よい風が、
そよそよと時に強めに抜けてゆく。 路傍の野の花越しに眺める、
草原の様子もまた晴れやかだ。

大観峰から爽快なるミルクロードを辿り、
黒川に向かって下って国造神社の脇を通り、
俗に”幸せの一本道”と呼ばれる、
約3.5kmの真っ直線な道路に促されるまま、
田園の中を真南に突き抜けた。

辿り着いたのは、大観峰からも探した、
肥後国一の宮、阿蘇神社の楼門の前。 阿蘇神社の楼門は、
九州最大の規模を誇る高さ約18mの二重門。
ちょうど婚礼写真の撮影と重なって、
和装のおふたりがいる楼門の絵となった(^^)。

阿蘇神社のご祭神は、
神武天皇の孫神で阿蘇を開拓した、
健磐龍命(たけいわたつのみこと)をはじめとする、
家族神12神。 2000年以上の歴史を有する阿蘇神社は古来、
阿蘇山火口をご神体とする火山信仰と融合し、
肥後国一の宮として崇敬を集めてきた、という。

一の神殿、二の神殿、三の神殿に楼門、
神幸門、還御門の6棟が国の重要文化財で、
2016年の熊本地震では、楼門が倒壊し、
拝殿など複数の社殿が全壊・崩壊するという、
甚大な被害を受けたが、
その後、約8年半に及ぶ復旧工事が行われ、
2024年末までにすべての復旧が完了した。
その蘇った阿蘇神社の姿は、
地域と心の復興の象徴となった。
そして、この2026年の熊本地震では、
新たな大きな被害は確認されず無事だという。

一の宮御朱印帳にご朱印をいただき、
あの楼門も倒壊から復活したんだね、
などと話しつつ門前町の商店街へ。
すっかり牛肉を喰らう口になりつつ、
あか牛専門「阿蘇はなびし」の前まで来るも、
愕然の臨時休業……。
連休の谷間ゆえか軒並みの休業状態で、
肉巻きおにぎりなるものを口にして、
阿蘇神社を離れた。

国道57号線から阿蘇吉田線へと入ると、
やがて背の高い樹木が減って、
草原の中を往く様子になる。
その中でもひと際目を惹くのが、米塚だ。 阿蘇市のWebページによると米塚は、
阿蘇山の中央火口丘の北西に位置する、
約3000年前に火山活動により形成された、
美しい円錐形の単成火山(スコリア丘)。
頂上がすり鉢状に窪んでいるのが、
見た通りの特徴で面白い。

途中、こんな牛たちの放牧シーンも見れたりする。 なんか欧州のどこかの草原にいるような、
そんな錯覚が一瞬過ります。

米塚の南側に広がるのが、草千里ヶ浜。 草千里ヶ浜は、
約3万年前の噴火活動により形成された火口跡で、
直径約1キロメートルの草原が広がるとされる。
見渡す限り浜のように広い場所、
という例えがよく分かるよな、
ゆったりとして壮大な場所だ。

えっちらおっちらと丘に登って、
中岳方向を眺め遣る。 右手に進めば、烏帽子岳。
噴煙を上げ続ける様子の中岳へは、
規制されていて火口付近には立ち入れない。
ならばと、年季の入った阿蘇火山博物館で、
阿蘇火山の基礎勉強に勤しんだ(^^)。

草千里ヶ浜からさらに南下して、
牧場展望所と呼ばれる場所の近くで、
ふたたびヨーロッパ的風景を眺めつつ、
その場でしばし佇んだりして。 そのまま阿蘇パノラマラインを南下して、
国道325号から回り込むようにして、
うねうねと垂玉川流域の山道を進むと漸く、
地獄温泉への案内板が見付かった。

到着したのは、地獄温泉「青風荘.」。 宿泊者用駐車場やアプローチ、
帳場やお食事処を擁する母屋は、
鉄骨鉄筋コンクリート造と思われる、
基礎、土台部分を持っていて、
それが真新しくも映ります。

地獄温泉「青風荘.」は、
2016年の熊本地震、
さらには大雨による土石流災害によって、
過酷で甚大な被害を受けた。
そこから奇跡と呼んでも良いような、
復興、復活を遂げて今があるのだ。
その胆力たるや、ただただ凄いと、
驚き、尊敬の念を抱くばかりだ。

復活した本館は、
一対の大きな提灯が迎える二階建てで、
元々明治中期に建てられた歴史ある建物。 そして、一宿のお世話になったのは、
その奥に佇む三棟の離れのひとつ。

縁側には大きな開口の窓。
全面開放できる仕様の硝子戸を少し開け、
風を入れて、ベッドにゴロンと横になって、
窓越しの阿蘇外輪山の裾野の風景を眺める。 傾いた陽の明るさが色を射している。
なんとも贅沢なひと時ではありませぬか(^^)。

離れには、開放的な浴室が設えてある。 半露天の風呂には勿論、
源泉かけ流しのお湯が満ちている。

食事の前にひとっ風呂浴びようと、
離れの下側にある湯殿の三角屋根を見下ろす。 屋根越しに池のような水場が見えた。

「すずめの湯」の案内表示に従って、
左手に回り込むように下っていくと、
さっき見えた池のような楕円が眼前に広がる。 それは、水風呂的な冷鉱泉のプールで、
その奥右手の屋根の下が「すずめの湯」の本丸。
以前は、裸での混浴だったものの、
今は湯浴み着を着用しての混浴になっている。

熱い内湯で湯を浴びてから、
屋根の下の白濁した湯にそーっと浸かる。
ふーーと息を吐き、
上体を預けるよに湯で全身を包む。
すると湯の底からぽつぽつと気泡が浮き上がり、
足許から湯が湧いてくるのが分かる。
そよそよとした外気が心地いい。

熊本震災そしてその後の土石流災害を受けてなお、
滾々と湧き出る湯は確かに、奇跡の湯とも云えて、
地獄温泉復興の大きな力になったに違いない、ね。

湯上りにさっぱりしてふたたび、
大きな窓からの景色を眺めながらゴロゴロし、
時間になったところで、
青風荘のお食事処「山竈処(やまくど)」へ。 西に傾いた夕日が、
樹々の陰に隠れようとするそんな頃に、
さあさあ、夕餉のはじまりです。

食前酒は、自家製の梅酒のソーダ割。 なんと、ソーダも自家製で、
“地獄の炭酸水”と呼んでいる。

まずはと、長角の料理箱がやってきた。
紅葉や桜の花と水の流れを型に抜いた、
その蓋をそっと外すと、
三つに分けた前菜が顔を出した。 真ん中の区画には、八寸の小宇宙。
独活と蛸と烏賊の木の芽和えに袱紗焼き、
網笠柚子に独活の葉の佃煮。
串には鯛の子、鮑の柔らか煮、おぐま唐墨と、
聞き慣れない旬菜も並んでいて、
思わず二度聞き、三度聞きしてしまいます(^^)。

左手の小鉢には、蕗の田舎煮。
煮含めたお出汁の美味しいことったら。 右手のお造りは、平目。
紅蓼と山葵の間にちょんとあるのは、
日本茶風味の湯葉、だ。

「ようこそ、地獄へ」。
青風荘を復活させた河津家三兄弟のおひとり、
代表の誠さんが柔和な笑顔で声を掛けてくれた。

江戸時代から湯治場として営んで、
ここで225年目になります、
と問わず語りに青風荘を紐解いてくれる。
10年前の地震から3年、4年かけて復活し、
その再スタートのはじまりのところで、
今度はコロナ禍に遭って出鼻を挫かれた。
そんな話もさせていただきながらのコースです、
とのご挨拶、恐縮です(^^)。
そうか、そうだ、なんと、
コロナもそんなタイミングだったのですね。

振り返ればそこには、
お竈(くど)さんがデデンと鎮座。 これも「山竈処」という、
お食事処の名に通じるところか。
大きな羽釜がすっぽりと収まって、
羽釜の中の圧力を抑え込むようにか、
木蓋の上には耐火煉瓦がふたつ。
南阿蘇のお米を薪で炊き上げるのも、
ここのおススメのひとつ、と誠さん。
今、15分の蒸らしに入っているところですので、
蒸らしが終わったら、炊き上がりを後ほど、
ちらっとお見せしますね。

地の焼酎をとお伝えすると、
薦めてくれたのは、「最古蔵」。 球磨焼酎処の球磨人吉の一番古い蔵だから、
その名もそのまま「最古蔵(さいこぐら)」。
球磨郡水上村にある球磨焼酎の蔵元、
「松下醸造場」は、1804年(文化元年)創業。
創業二百年を記念して造り上げたという、
米焼酎・球磨焼酎は、成る程、
お米の香りが華やかで、
そして円やかな呑み口だ。

代表・社長の誠さんはフレンチ出身で、
料理と湯守、宿の切り盛りを担い、
副社長の次男、謙二さんは、
宿の財務を管理し、バリスタでもある。
三男の進さんは、京都「菊乃井」等での、
日本料理の修業経験を活かす料理長。
兄弟三人がそれぞれの役割を果たすことで、
青風荘が復活し、継続しているのですね。

小鉢、八寸、お造りの料理箱に続いて、
自家製生揚げのお皿が届く。 簡単に云うと油揚げの揚げ損ないです、と。
これをこのままずっと熱い油でちゃんと揚げると、
油揚げになるところを途中で止めちゃうんです、と。
宮崎は高千穂の郷土料理で、
それを誠さんがやや小振りに手作りしたものだ。
おろし生姜をたっぷりと広げ塗して、
九州の甘い醤油を少々垂らし回してガブっと。
ふむふむ、ふむふむ、へー、
素朴だけれど、とても美味しい。
厚揚げと油揚げの間、とも云えばいいのか。
中をしっとりとしこしこと残した感じが、
この生揚げの魅力のポイントだね。

生揚げ美味しいーともう一度呟いたところに、
あか牛のコンソメのコップが届いた。 熊本のあか牛の脛の骨4本を使って、
ブイヨンをひき、
その骨の廻りの肉と野菜をミンチにして、
それをブイヨンに入れて、
2晩かけてとったコンソメスープだと云う。
いやー、それは贅沢だ。
そして、うん、いやー、いい香りだ。
はー、もうなくなっちゃった。
なんともなくなるのが残念な、
そんな貴重な滋味でありました(^^)。

ここで、先に誠さんが云っていた、
ちらっと見せますね、
のお時間がやってきた。 蒸らしを終えた羽釜をちらっと。
この羽釜は厨房に下げて、
誠さんがいいよと云うまで、
絶対に開けないジャーに移して静かに寝かせ、
甘み、旨味をぐいっと引き上げて、
ピークのところで供します、と。
ちなみに朝食のご飯は、一緒じゃつまらないので、
炊きたてをそのまま、でお出しします、とも。
蒸らした後に少し蒸気を飛ばし閉じ込めると、
旨味がもうひと回り回るのかなぁ。
ふーむ、ご飯も深いのですねー(^^)。

今のいままで泳いでいた、
山女魚を刺してきました。 そう話し乍ら目の前に運んでくれたのは、
村上養魚場の活き山女魚。
小さいサイズの山女魚にとても拘るのは、
頭から尻尾まで丸齧りで召し上がって欲しいから。
そして、生きていたものを目の前で焼くのは、
ギリギリの火入れが出来るから、とも仰る。
赤々と熾きた炭を囲む、
原始焼きの始まりだ。

焼きあがった山女魚の串は、
頭を箸で押さえて、少し捩ればすっと抜ける。
そしたら迷いなく頭をガブっといって、
二口目はお腹の辺りに酢橘を軽く搾って。
最後尻尾の塩辛いところをカリっと齧ったら、
焼酎をキュっと入れる、と誠さんのご口上。 あああ、頭から食べても全然骨っぽくない。
そして、ふわっとしっとりとした身肉がいい。
きっとこれより大きい型の山女魚では、
成る程、こうはいかないに違いない。
人生史上最高の山女魚の塩焼きだ。

焼き野菜あれこれになる野菜たち。 筍やアスパラに混じって、
天然の独活、熊本の長茄子など、
色々と控えていて、愉しみだ。

そして、あか牛の肉は、
南阿蘇村の六軒の農家がつくるもの。 六軒の元締めのような形をとる友人がいて、
1頭づつ牛を潰して、
それをシェアしてくれたものを切り出して。
それが、こうして美しい串になるのですね。

のぶこ、と銘のある角皿が運ばれてきた。 のぶこさんは、生け花に日本画をやられる、
誠さんの88歳になるお母さん。
皿の絵付けはもとより、
館内の絵や生け花も、
のぶこさんによるものだそうだ。

その角皿にすっと置かれたのが、田楽の串。 お豆腐は、阿蘇地元の木村豆腐店のもの。
叩いた木の芽をたっぷりと戴いていて、
ふんふん、いい香りいい香り。

ふと、カウンターから正面に見る、
窓越しに漸く陽が沈もうとしている。 関東に比べて、日が長いのがよく判るね。
窓は西に向いているのでちょうど、
空気が澄んでいれば、
雲仙普賢岳が見えるという。
そんな位置関係になるのだねぇ。

あか牛のハツ、そしてレバー。 草原の草を沢山食んでいる牛たちのお腹は、
とっても綺麗なので美味しく召し上がれます、
と誠さん。
炭火で焼くことで、
つまりは遠赤外線で火入れすることで、
直火の焼肉とは違う焼き上がりになる。
コンソメの美味しさに通づるような、
お肉の香り、旨味がしみじみと口腔に広がる。

レバーに添えた柚子胡椒も、自家製で、
柚子の栽培から行っているそう。
黄柚子の皮を擦り取ったものを搔き集めて、
塩、焼酎、唐辛子と混ぜて瓶詰めし、
それを2年寝かして漸く出来上がるという。
焦らないです、と誠さんは仰る(^^)。
口にすればフフフんのフンと柚子が香る。
待った甲斐が存分にあるのだ。

球磨焼酎「最古蔵」に代えて今度は、
同じ球磨焼酎の「萬緑」。 球磨郡あさぎり町の「松本酒造場」が醸す雫は、
「最古蔵」にあった甘い感じが控えめで、
随分と呑み口の印象が違う。
果たしてどちらが、
球磨焼酎らしい球磨焼酎なのでしょうね。

炭焼きした天然の独活。 烏賊墨のようにも見えるのは、
自家製の練り味噌で、
たっぷりと使って、とアドバイス。
舐めてみるとこちらの醤油に通じるような、
甘いお味噌で、それがアクなんかない、
新鮮な独活の澄んだ食感によく似合う。
めちゃくちゃ旨い。

アスパラガスは、
根元寄りの方に火を入れて、
穂先は余熱で温める感じ。 塩をちょん付けして根元の方から齧ると、
あー、これが本来のアスパラの香りなのかー、
と思わず唸ってしまう。
南阿蘇村がアスパラの産地とのことで、
産地が近いってのも美味しさの理由のひとつ、
に違いない。
後段に残した穂先がまた、美味しい。

耐火煉瓦に囲まれた炭で、
肉の串が炙られていく。 あか牛のさがりは、タカナードで。
阿蘇タカナードとは、
阿蘇在来の高菜の種で作ったマスタード。
高菜の種でマスタードが出来るんだ、
とまず驚いた。
ああ、優しい味わいの中に、
マスタードらしい風味があるね。

空豆は、一寸豆。 押せば鞘からほろんと出てくる。
これまた塩のちょん付けで、
甘さと香りをじっくり味わって、
目を閉じる(^^)。

あか牛の友三角。 友三角は、牛の後ろ足の付け根あたりの肉。
関節を支えているので、少し噛み応えがあり、
噛めば噛む程お味が出てくる、と云う。
はむはむふんふん、成る程なるほど(^^)。

長茄子は、ひと皿に仕立てて。 種がほとんどなく、焼けば中が、
トロトロになるのが特徴の茄子。
そこに炙ったカチョカバロを合わせてる。
ひょうたん型のチーズがカチョカバロだね。
これはひと口でいくべしとふーふして口へ。
案の定熱かったけれど、それが正解。
茄子のトロトロとチーズのトロトロが、
絶妙にマッチして、旨い。

串に握ったのは、あか牛のつみれ串。
炭の上にソースパンが載るのが見え、
そこで温められたフレンチなソースは、
古来の製法でつくられる灰持酒のひとつ、
甘い赤酒を煮詰めて、フォンドボーに合わせ、
トリュフを加えたソースを添えている。

お品書きには、阿蘇さとう農園の、
「しろひつじ」のペルシャード、とある。 つまりは、阿蘇のラム肉。
ペルシャードとは、
フレンチでの香草パン粉焼きをいう、らしい。
嗚呼、突然の、そして洗練の、
フレンチバーベキューだ(^^)。

焼き竹の子は、柔らかいところだけ。 甘い醤油の焦げた匂いが堪りません。
そこへ、直前に叩いた木の芽の香り。
頭が少し出たぐらいの竹の子を使っていて、
姫皮のところも柔らかくて、
筍のアクの気配すらない澄んだ旨味。
ああ、これはもう間違いがない。

椎茸のホイル焼き。 自家製の胡桃味噌がたっぷりと。
これまた熱いかなぁと思いつつ、
ひと口にかぷりといけば、
まずめっちゃ胡桃の風味がして、
そこへ椎茸の旨みが追い駆けてくる。

本日のひと串、に代えて登場は、
誠さんが今日の仕入れの際に見付けて、
仕入れたというあか牛の肩の首寄りのお肉。 炭火の上がコンロになって、
その上でフライパンを揺する誠さん。
脂が美味しいこともあって、
すき焼きにしました、と仰る。
ひと口目はそのままで、
ふた口目は、胡椒を少々振って。
その脂はさっぱりしていて、
脂の過剰さも嫌味も勿論、ない。
代わりに赤身の旨味がたっぷりだ。

お品書きには、
「里芋だご 威(おど)しのしきたり」とあった。 大分県日田市との県境近くにある矢谷渓谷。
その川沿いに遡って辿り着いた、
一番奥の集落が、威(おどし)地区、威集落。
その威集落の15軒の人たちしか食べない料理が、
この「里芋だご」だという。
熊本県民でもほとんど知らない料理を出せるのは、
威集落が誠さんら兄弟の父上の故郷だから。
稲刈りの後の集落のお祭りなどの節目節目に、
つくってくれたものだという。

二時間ほどかけてつくっただごを焼き上げると、
そりゃもう大人でも触れないくらいに熱くなる。
そこで子供が呼ばれて、焼けたぞと云えば、
美味しそうなものに集まってくる。
手を出せと云われて手を出した子供の手に、
ほいと載せれば、熱くて大騒ぎになる。
熱い熱いと云っていると、
それを両手の中に入れて手の中で潰せと、
つまりは根性みせろという、
この件が謂わば仕来り。
で、ぎゅっとやると、
中の里芋が潰れて柔らかくなり、
勢いで皮が弾けて割ける。
割けたところに醤油をちょっと垂らすと、
ほーら旨いだろう、という、
そこまでが集落の風習なのだ。

手ではなく(^^)、
箸で少し潰して串を抜き、
醤油を少し垂らしていただけば、
うん、素朴に美味しい。 当の集落は過疎でもう祭りも出来ず、
このだごをつくる人も食べる人もいなくなり、
もう絶滅危惧種なので、
それを残したいということもあって、
こうしておつくりしているのです、と。

そこへ、お口直しの、
凡そ無色白色のシャーベット。 口に含んで探すも、なんだろうなんだろう、
なんのシャーベットだか判らない。
聞かされて成る程、トマトのシャーベットだ。
トマトの種の廻りのとろんとしたところを、
なんとネルのフィルターに載せて、
時間をかけて抽出したエキスが、
このシャーベットのタネなのだ。
無色な見た目にすっかり惑わされたー(^^)。

お口直しを済ませたところに、
一時間半閉じ込めて寝かせた、
あの、ご飯がやってきた。 ああ、噛めば噛む程に旨味や甘さが出てくる。
つやつやの米粒から、
美味しい水で炊いたことも伝わってくる。

そんなご飯の相棒は、あか牛の赤ワイン煮。 あか牛の頬肉にテール。
これであか牛の頭のてっぺんから尻尾まで、
いただいたことになる?
ま、脳みそは食べていないけれど(^^)。
シチューとも謂えそうな赤ワイン煮は、
とにかく旨味が凄い、スゴイ。
コクもあるけれど、しつこくはない。
お腹空いているところで食べたらきっと、
さらにこの百倍は旨かったに違いない。

ふー、一杯ぃと腹を摩っているところに、
バリスタの修行をして帰ってきたという、
誠さんの息子さんが焙煎したコーヒーが届く。
この日の地獄の自家焙煎珈琲は、
ウガンダ「アフリカン ムーン」。
ダークローストと示すカードには、
珈琲豆の品種に生産国、そのエリア、標高、
生産処理、プロフィールまでが示されている。
深いのに柔らかい、そんなコーヒーだ。

デザートは、苺のアイスクリーム。 メレンゲを加えたアイスクリームは、
サクサクとした歯触りが面白いぞ。
新鮮な苺の風味が勿論、ふんだんだ。

阿蘇山カルデラの南側。
南阿蘇村の山の中に、
地獄温泉「青風荘.」は、ある。 地獄温泉「青風荘.」の元の屋号を「清風荘」。
代表の誠さんがずっと抱いていてた、
「清風荘」の”清”の文字への違和感は、
3つの源泉が湧き出る恵まれた地でありながら、
昔から飲料水の確保に苦戦し、
創業以来、水に苦しめられていたことによる。
そして今度は、大雨による水の被害でも、
もっとも恐ろしい土石流を受けてしまった。
復興へ向け、何かを変えなければと決意し、
水の被害と水の苦労がなくなるようにと、
“清”の文字の”氵”を外して、”青”と改め、
青く爽やかな風が吹く宿、
地獄温泉「青風荘.」に一新した。

2016年の熊本地震、
同年の大雨による土石流により、
過酷で甚大な被害を受け、
そこから奇跡と呼んでも良いような、
復興、復活を遂げた地獄温泉「青風荘.」。
そのお食事処「山竈処(やまくど)」での夕餉は、
実に心地いい、そしてめくるめくものでした。
ひと品ひと品がそれぞれに美味しいのは勿論のこと、
地元阿蘇の、中でも努めて最上の食材を揃え、
様々な自家製の調味料を拵えて準備し、
手間を惜しまない調理から供される品々には、
なんらかの物語があって、気持ちにも響く。
沢山の苦労を乗り越えてきたに違いないのに、
誠さんの表情や語り口、所作には、
柔和で力みのない洗練があって、
人たらしな頼もしさがあり、
それが食彩たちの美味しさに加味されて、
満足感がさらにマシマシになるのだ。

この2026年にふたたび起きしてしまった、
熊本地震による直接の被害はほとんどないようで、
Webサイトには、
8月初頭から宿泊の営業も再開、とある。
ただ、地震や阿蘇山の警戒レベルが、
観光の客人たちに与える影響が心配ではある。
代表の誠さんはじめ、ご兄弟、スタッフが、
安堵して、盛業を営めるような、
普段の地獄温泉「青風荘.」と早くなりますように。

「青風荘」
熊本県阿蘇郡南阿蘇村河陽2327 [Map]
0967-67-0005
https://jigoku-onsen.co.jp/

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