大橋トリオ恒例の、FC限定ツアーの公演を契機に、お久し振りに訪れた京都の三日目のこと。早起きをして辰巳神社のある祇園新橋から白川を辿って散策し、三条通りが白川を渡る白川橋近くの左岸にある「丹」で、ゆったりと優しく美味しい朝食をいただいた。
二階の窓辺から階下の白川と柳の木を眺め乍らゆっくりと珈琲を啜ってから、
三条通りを東へ向けて歩き始めた。
途中で岡崎通りへと左に折れて、
クランクするように進んで南禅惣門を潜れば、
懐石料理「瓢亭」の別館の前に出る。
彼此15年以上前の冬の朝に、
名物「鶉がゆ」をいただいたのが懐かしい。
そのまま南禅寺前の信号を突っ切って、
名物”ゆどうふ”を謳うサインを横目に歩き、
ずずずいっとその先へと進めば、
大本山南禅寺の中門に辿り着く。
閉じている勅使門を背にして、
東へと参道を往けば、
眼前にあの三門が近づいてくる。
三門とは、南禅寺のWebサイトによると、
仏道修行で悟りに至る為に透過しなければならない、
三つの関門を表すところの、
空、無相、無作の三解脱門を略した呼称だとされ、
別名「天下竜門」とも呼ばれ、
日本三大門のひとつに数えられる、という。
現在の三門は、1628年(寛永5年)に藤堂高虎が、
大阪夏の陣に倒れた家来の菩提を弔うために、
焼失から再建したもの。
門を支える柱の群れはどれも量感たっぷりで、
どっしりとした力強さがあって、いい。
三門越しに望む法堂方向の景色もまた、
額に切り取った絵のように新緑が映えていた。
五鳳楼と呼ぶ上層の楼へと、
梯子のような急な階段を登る。
三門の高さは約22m。
内陣を囲むように回廊が施されていて、
なるほど、快晴の景色が素晴らしい。
歌舞伎「楼門五三桐」の石川五右衛門が放つ、
“絶景かな、絶景かな”ではじまる台詞は、
この場所が舞台だということになるのだね。
その三門から奥へと進んで、
法堂の蟠龍を覗き見てから、
右手に法堂を回り込むようにしたところで、
お目当ての構造物が目に映った。
煉瓦造りが大きなアーチを描くは、
琵琶湖疏水の水路橋「水路閣」。
どちらかと云えば、この橋脚を見たくて、
南禅寺を訪れたと云えなくもないンだ(^^)。
疏水を流れ続ける水が花崗岩に作用したのか、
煉瓦から滲み出した成分が、
橋脚を白く覆っていて、
それがまた風格を思わせる。
見上げた床版というか、橋桁の側部にも、
アーチ状のデザインが施されているのが判る。
側面から見られるアーチとは別に、
水の進行方向にも小振りのアーチがある。
このアーチの裏手から顔を出して、
“ひょっこりはん”する筈が、うっかりして、
失念してしまったのが悔やまれる(^^)。
橋脚の向こう側へと廻り込んで、
水を運ぶ構造物であることを改めて考えつつ、
そんなものが南禅寺の境内にある不思議と、
その癖、違和感のないことを併せ想う。
水路閣は、高さ約9mにして全長93.2m、
全幅約4.1mで水路幅約2.4mだという。
第1疏水を蹴上から北へと分岐させた、
疏水分線の一部であるそうだ。
枯山水庭園を擁する方丈を巡ってから、
南禅院の脇を抜けて、水路閣の上に出た。
そのまま水路に沿って南下していくと、
蹴上発電所取水口の上を辿る細道になる。
その先の蹴上放水所では、
連なる越流堰からとろとろと水が落ちていた。
蹴上放水所の前に横たわる蹴上疏水公園には、
一体の銅像が立っていて、誰だろうと近づけば、
それは、田邊朔郎博士像。
さっき見上げた水路閣の、
設計・デザインを行ったのが、
田邉朔郎(さくろう)その人なのだ。
工部大学(東京大学工学部)を卒業したばかりの、
なんと弱冠21歳で琵琶湖疏水の担当となり、
南禅寺の境内を貫くこととなる水路閣を、
境内の景観に配慮したものに設計し、
今日に至るまで現存し、
かつ機能する水道橋を齎した。
日本初の大規模近代土木事業である、
琵琶湖疏水の工事途中には、
当初予定の水車動力を水力発電に変更して、
当時最先端となる蹴上発電所を創設。
電気を生むことで、
後の京都の近代産業化に大いに寄与したという。
過日、大津を訪れた際に、
大津閘門のある三井寺からはじまった、
琵琶湖疎水を船で辿る冒険を想い出す。
水源を確保することで京都に活気を取り戻すために、
琵琶湖から京都に水を引くという大事業を計画し、
それを成し得た人々がいたのかと、
扁額の掛かる第一トンネルの東口洞門へと進む、
びわ湖疎水船からの景色にワクワクした。
途中の山科乗下船場で降りるコースで、
蹴上まで至るものではなかったのだけれど、
疏水が蹴上のインクライン(傾斜鉄道)に向かうのは、
その時から承知していたのでした。
田邊朔郎博士像のところから、
てろてろと下っていけば、
山科疏水が辿り着く蹴上船溜。
船溜の水上へと傾斜して敷かれたレールに、
トラス橋のような架台が載り、船を載せている。
レールは複線になっていて、
ロープウェイのキャビンが交互に行き来するように、
巻上げウインチのワイヤーロープを使って、
台車を昇降させる運搬・輸送構造なのだ。
船の貨物の積み下ろしをせずに済むってのも、
誰が考えたのか、なんだかとっても合理的だ。
そして、インクラインに対しても、
蹴上発電所の電気が寄与しているンだね。
蹴上船溜を背にして、
レールを辿るようにして坂道を下っていく。
時季が時季なら、桜並木の中を行く、
粋な散策になるようで。
そこで漸く、蹴上の船溜りが、
インクラインの頂上であることに気づく。
なんとなく始点であるところが下部であるような、
そんな気がしていたんだ(^^)。
所謂線路なので、歩き難いのは仕方ない。
足許を選びつつ右へ左へ移動し乍ら、
下っていくとそこにも船を積んだ台車があった。
こんな風に荷を積みっ放しだったのですよと、
船には大きな酒樽なんかが積まれていた。
そのままレールを下って行った終着が、
約582m先の南禅寺の船溜りだ。
こうして、高低差約36mもの落差を克服して、
およそ10~15分の短時間で船を運ぶという、
当時の水運に大きな働きをしたのだね。
そのまま、南禅寺船溜の畔に建つ、
琵琶湖疏水記念館をゆっくりと見学して、
ひと息入れてから蹴上駅へと向かった。
地下鉄を降りたのは、東山駅のお隣、三条駅。
地上に上がったところで、
三条通りの向かい側に見付けたのが、
古色がいい塩梅の二階建ての建物と、
「篠田屋」と示す看板でありました。
窓格子に取り付けたお品書きの前には、
ゼラニュウムの仲間でしょうか、
真っ赤な花が咲き乱れていて。
席が空くまでしばし、そこで待ちましょう。
スタンドサインにもどちらにもオススメは、
一番人気の「中華そば」から、
オリジナルメニュー「皿盛」か「デラックス丼」。
そして、京名物と謳う「にしんそば」に、
京都限定と敢えて示す「たぬき」まで。
少し時間もありそうだと、
ここでひとつ、おさらいをすると、
京都でいうところの「たぬき」とはつまりは、
“「きつね(=お揚げ)」ののった「あんかけ」”をいい、
しかも、そばか、うどんか、台を問わないと、
加藤政洋・<味覚地図>研究会著、
「京都食堂探究」にある。
大阪で「タヌキ」といえば「キツネそば」のことだが、
京都では「キツネそば」はそのまま「キツネそば」で、
「タヌキ」は「キツネ」のあんかけのこと。
だから、蕎麦と饂飩とがある。
東京では「タヌキ」といえば、
揚げ玉(天カス)が入っているもので、
これも蕎麦と饂飩とがある。
“種抜き”から洒落たと思われる東京の「タヌキ」は、
大阪では「ハイカラ」と云う、そうだ。
そしてつまりは、大阪には「タヌキ」はあっても、
「キツネそば」は、ない。
距離の近い大阪と京都でも、
似たようでいて案外はっきりと違う。
でもなんだか、とってもややこしいよね(^^)。
そんな聞きかじりの蘊蓄を話のネタにしていたら、
どーぞーと暖簾の中に招かれた。
二人掛けのテーブルに腰掛けて改めて、
壁に貼られたお品書きの札たちを眺め遣る。
「にしんそば」を挟んで、
「中華そば」と「皿盛」の紙がやはり大きい。
青緑の札の左手は、丼ぶりご飯もので、
右手は、うどん・そば系統。
どれも、うどんもそばも出来るのかと思うも、
「にしんそば」「カレーうどん」「肉うどん」だけは、
麺の種類が限定されているようにも読めて、
これまた面白い。
何気なく足許を眺めたならば、
案外カラフルなモザイクタイル。
なんだかハイカラだなーと、
思ったりなんかして(^^)。
ご註文は、おススメのひとつ「中華そば」。
そのルックスはまさしく、
懐かしの中華そばのそれであります。
初めて食べるラーメンに、
スープの味も確かめずにいきなり、
胡椒ぶっかけちまうDQNな輩が時々いますが、
ここでは、その前からもう既に、
たっぷりめの胡椒が振り掛けられています(^^)。
そうきたかーと思いつつ、
スープの湖面やらチャーシューやらの、
表情をじっと見る。
澄んだスープに胡椒の粉が少し広がる。
日を追う毎に脂の強いスープを自然と避ける、
そんな身の上になっている者としては、
こんなスープがきっと相応しい。
その脇のどんぶりの縁に視線を映せば、
周囲に描かれた雷紋がすっかり薄れている。
このどんぶりで一体全体、
通算何杯の中華そばが供されたのか。
そんなことを思わずにはいられません。
啜るスープは、想像通り想定通り、
そして見た目通りの懐かしいお味。
勿論、無化調ってナニ?というあたりも、
昔ながらなのがまた、いい。
そんなスープにはやっぱり、
こんな感じの細めのストレート麺。
屋台の中華そばを丁寧につくりました、
と説明すれば伝わるでしょうか。
そして、メニュー名を読み聞きしただけでは、
どんな料理なのか判らないのが、「皿盛」だ。
ご飯の上に薄切り豚のカツが載り、
その上からとろみあんが、
たっぷりとたんまりと掛かっている。
叩いて叩いて伸した豚による、
気取りのない居酒屋のハムカツのような、
カツの薄さがいい。
そして、お皿の上に漂う匂いの通り、
あんかけのあんにはカレーの風味。
でも勿論決して、カレーソース、ではない。
あくまで、お出汁の利いたあん、なのだ。
カツとご飯と一体になったところを掬って、
口に運べば、ホイ次のひと口、ホイ次のひと口と、
止まらない感じになるンだ。
カレーうどんのあん、と云われれば、
あ、もしかしたらそうなのかも、とも思う。
そして、それにしても「皿盛」って料理名は、
他になにか名付けようがなかったのかなぁとも。
そんなほんのりした謎は、
ちょっとググってすぐに解けた。
頻繁に訪れていた京阪電鉄の職員が、
既存のメニューに飽きて、
ご飯にカツとカレーうどんのあんを載せて欲しい、
とリクエストしたらしい。
当初どんぶりで提供したものに対して今度は、
丼は熱くて早く食べ難いから、
冷め易いよう皿に盛って欲しいと請われて、
平皿に盛るようにしたという。
そもそも品書きにない裏メニューなので、
注文を通す時には、”皿に盛ったやつ”。
そこから「皿盛」として、
品書きに載るようになったらしい。
うん、なるほどね(^^)。
ホールには、皿盛ご飯少ないめー、
といった註文の声が飛び交う。
ご飯を少なくして、
ひとりで中華そばと皿盛を頼むのが、
デフォルトになっている客人も多そうだ。
一方、ホール担当の女将さんは、
汗を掻き掻き、時に息をハーハーさせて、
忙しなく応対していて、少々心配になる。
切れ目のない来客に応じるのは、
それはそれで勿論、大変なことなのだ。
地下鉄三条京阪駅の駅の上。
川端通りとの交叉点近くの三条通り沿いに、
中華そば・皿盛「篠田屋」は、ある。
1904年(明治37年)創業というから、
御年122歳になるという「篠田屋」さん。
その122年前に創業された大将が、
篠田さんなのかと思えば然にあらず。
その由来は、初代源兵衛さんの出身地が、
篠田村(愛知県あま市)であったことにあるそう。
京都に百年を超える老舗は星の数ほどあれど、
気取らず、構えず、拡大せず、老舗ぶらないまま、
こうして四代続く食堂って案外稀有なことかもで、
なんだかじんわりと有難い想いがいたします(^^)。
「篠田屋」
京都府京都市東山区三条通大橋東入大橋町111 [Map]
075-752-0296

