日本料理「MUBE」で伝助穴子造り鮪と椎茸に稚鮎と漉油蕨の蕎麦甘藍トロ鰆庭の郁子

大橋トリオ春の恒例、FC限定ツアーの京都教育文化センターでの公演を契機に、お久し振りに訪れた京都の二日目のこと。
広大なる京都御苑を散策し、京都迎賓館を参観して過ごした前日には、その京都御苑のすぐ南側にある、にこみ「鈴や」でまったりとした黄昏時を過ごした。
翌朝には、三晩の宿としたホテル、TSUGU京都三条を少し早めに出て、
三条通りを東へと歩いて三条大橋を渡り、
三条駅から京阪に乗り込んだ。

久々に乗る京阪で、ふたつ先の終点出町柳駅へ。
徒歩とバスでの移動を考えていたものの、
駅前でポートに停まるチャリンコを見付けて急遽、
チャリンコによる京都小旅とすることに(^^)。

下鴨東通りを辿ればすぐに下鴨神社の一の鳥居。 一の鳥居を潜り御陰通りまで来て、
いよいよ境内へと思うも、
表参道は案の定、自転車での進入は不可。
糺の森を遠巻きに古馬場の方へと廻り込んだ。

そのまま「グリル生研会館」の脇を抜けて、
辿り着いたのは西鳥居の手前の駐輪場。 紅葉越しに見上げる西鳥居の上から、
陽射しが燦燦と降り注いで、眩しかった。

通称 下鴨神社と呼ばれるは、山城国の一宮、
正式名称 賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)。
御祭神は、西本殿に京都開拓の神 賀茂建角身命、
東本殿にその御子神 玉依媛命を祀る。
Webサイトには、
賀茂一族の祖神をお祀りすることから、
「賀茂御祖神社」と呼ばれるとある。
賀茂川の上流に鎮座する上賀茂神社に対して、
下流に祀られているところから、
「下鴨神社」とも呼ばれるのは周知の通りだ。

楼門側へと廻り込んで潜り入り、
その先にある舞殿越しに四脚中門を見た。 中門を潜ったすぐ正面にある蕃塀(ばんぺい)越しに、
幣殿・本殿へ向かってご参拝。
蕃塀が神聖な空間との境界となっているのかと、
そう思いきや、蕃塀の向こう側にも廻り込める。
なんとなく不思議な心持ちになり乍ら(^^)、
十二支を守る神様を祀る七つのお社の中から、
自分の干支のお社を探し参拝したのでありました。

一の宮御朱印帳にご朱印をいただき、
西鳥居を潜り出て、ふたたびチャリンコに跨る。
スルスルっとどんどん下鴨本通りを北上して、
北大路を横切り、白川疏水を渡り、
北山通りから北西へ進路を取った。

その道中に杜若(かきつばた)が咲く池があると、
大田神社の参道の前でチャリを停めた。
ちょっと時季が遅かったねと話し乍ら、
チャリンコまで戻ってきた視線の先に、
何やら石碑が建っているのが映った。 近づいて見ればそれはなんと、
彼の北大路魯山人生誕地の碑。

漫画「美味しんぼ」に登場する、
海原雄山のモデルの一人としても夙に知られる、
北大路魯山人は、
会員制料亭「美食倶楽部」や「星岡茶寮」を主宰し、
日本の食文化に大きな影響を与えた美食家その人。

どうせ裕福な家に生まれ育って、
何の苦労もなく、書や篆刻、絵、陶芸、
そして料理などの芸術表現に没頭し、
それゆえに優れた芸術家たる者になったのだろうと、
そう思っていた。
ところがどうやら、それは大きな勘違いであった。
この碑の場所にあったとされる上賀茂神社の社家、
つまりは士族の家の次男として生まれたものの、
それは、母の不貞によりできた子であった。
貧しい生活の中で、父親は割腹自殺し、母は失踪。
実父が分からぬまま生後すぐ里子に出され、
母の知り合いだった巡査の家に入籍したものの、
その巡査は行方不明になり、巡査の妻も病死。
その後の面倒をみた義兄は、
精神に異常を来たし後に死去。
義姉が身を寄せた実家では、
義姉の母から激しい虐待を受け、
木版師の家の養子となった頃からようやく、
幼少期の激動が落ち着いてきた、
ということのよう。
なんだかまるで横溝正史の推理小説の、
冒頭の件を読んでいるようだものね。

そーかー、あの北大路魯山人は、
上賀茂神社も近いこの土地で生まれたのかーと、
そんな話をし乍らチャリを漕ぎ、
辿り着いたのが、上賀茂神社の大鳥居。 チャリを停め、一の鳥居、二の鳥居と辿り、
細殿と立砂を横目にしつつ小川を渡った。

玉橋越しに楼門を臨む。 通称 上賀茂神社は、
正式名称を賀茂別雷(かもわけいかづち)神社。
御祭神は、賀茂別雷大神一柱で、
“別雷”という名が示す通りに、
「雷を別けるほどに強力な力を持つ神」として、
古来より厄除・災難除け・必勝の神、
さらには電気産業の守護神として、
厚い信仰を集めている、という。
電気産業の守護神、ってのもなんか面白い(^^)。

本殿、そして権殿(ごんでん)が鎮座する、
その手前の中門のところで二拝二拍手一拝。 なかなかに暑い日で、
汗を掻き掻き細殿の前まで戻り、
一の宮御朱印帳にご朱印をいただいた。

大鳥居まで戻って再度チャリに跨って、
賀茂川を渡る御薗橋を辿り、
御薗橋通りから船岡東通りへ左折する。
その先の大宮交通公園にあるポートで、
世話になったチャリを繋いだ。

そこから目的地までは地図では、
10分ほどの道程だったのだけれど、
足を運んでみたらそれが、えーっという急坂。
坂の左手にはなにやら、
こんもりとした丘のようなものが横渡っていて、
道路際に碑石が建っていた。
碑石には、史蹟 御土居、とある。
御土居(おどい)とは、1591年に豊臣秀吉が築いた、
全長約22.5kmの巨大な土塁と堀だという。
その一部がこんな風に残っているのだね。

しかしまぁ、
散々チャリを漕いでの仕上げがこんな坂路かと、
ヒーヒー云い乍ら一歩一歩登り往った。
この坂を玄琢道と呼ぶらしい。

えっちらおっちら坂を登り切ろうとする辺りで、
ようやく辿り着いたのは、
囲む塀も門の構えも落ち着き払ったお宅の前。 石敷きの階段数段の先に白い暖簾がなければ、
そのまま通り過ぎてしまいそうだった。
門の右手の塀のレトロなランプの下には、
筆文字をデザインにして、
レーザーで切り抜いたと思われる、
小さめの金物の切文字で「MUBE」とある。
“B”の文字が”8″にも見えてしまいそう。

こんにちはーと囁きながら(^^)、
石段を進むと、白の無地の暖簾が近づいてくる。 左右を眺めると、実に手入れの行き届いた庭で、
思わず屈み込んで、活き活きとした、
苔の表情をじっと見たりなんかして。

改めてこんにちはーと呟き乍ら格子戸を引く。
ご案内いただいて広がる土間はゆったりとして、
見上げればがっちりした躯体の梁が映った。

土間から靴を脱いで、板張りのダイニングへ。 既に先客さん達で埋まっていたカウンターへと、
腰を落ち着けたところで、
暑い中移動してきた汗がどっと零れてきた(;;^_^。

カウンターから正面に見据えるのは、
壁の左隅から右手の壁までL字に巡る、
窓枠が切り取る連作の絵。 まるで硝子もない素通しの窓のようで、
樹々の茂る庭先と不思議な一体感がある。
硝子を磨き上げているからか、
正面から風が入ってきそうな程だ。

「MUBE」のお品書きは、例えば、
富士北麓「nôtori」や余市駅前「Yoichi LOOP」同様、
素材を示す単語を素朴に並べて印字したものだ。 用いる紙はやはり、漉き紙であるのも、
定番になりつつあるスタイルだね。

「MUBE」では、おまかせ料理に合わせて、
アルコールのペアリングと発酵ペアリングと呼ぶ、
季節の食材の香りと発酵の力を組み合わせた、
飲み物でのペアリングがある。
普段なら断然アルコールペアリングなのだけれど、
なかなか退かない汗に思わず、
「ハートランド」から入ってしまった。

ビールで喉を潤し、ふーっとひと息ついて、
汗が退くのを待ちながら改めて眺める、
お品書きの冒頭には、”一寸豆”。 一寸豆とは、一寸相当の大粒のそら豆の総称で、
所謂お多福豆、とも呼ばれるもの。
この一寸豆は、静岡は三島の鈴木さんが、
自然栽培したものだそうで、
その一寸豆と無農薬の糯米とで飯蒸しにしている。
やや厚手の陶製の器が、温かい。
豆の香りが実に、いい。
御強の少しパリッとした部分もまた一興。
訊けば、器の作家さんは、
京都の京丹波町に窯を構える、
陶芸家・石井直人さんだという。

と、ふと庭先を眺めると、
そこで店主 泉貴友さんが、
腰を落として何かを摘んでいるご様子。 店内に戻った泉さん曰く、
庭先が花畑のようになっていて、と。

お次のお題は、”花”。 硝子のお皿の中央に、
透明感のある玉葱なぞが盛り付けられ、
そこにエディブルな花弁が鏤められている。
何やら春めいて美しいではありませぬか(^^)。

玉葱は、丹後の青木さんの無農薬のもの。
薄く削いで表面積を増やした、
障泥烏賊を合わせている。 一寸豆の鈴木さんの畑が花畑のようになっていて、
そこで摘んだ花とこの庭で摘んだ蜜柑の花、
そして仏の座の花等を合わせて散らしていて、
蜜柑の葉っぱでつくった油で香り付け。
さらには、自然栽培のお米の研ぎ汁を煮詰めて、
橙と併せて上から掛け回しているそう。
玉葱が甘けりゃ、あれ、障泥烏賊も甘い。
所々から漂う柑橘の香りがまた、いい。

このあと、この旅のメインイベント、
大橋トリオのライブが控えているので、
あんまり酔っぱらってもなーと(^^)、
麦焼酎を水割りでとお願いする。 届いたのは、大麦焼酎「青鹿毛(あおかげ)」。
醸しているのは、宮崎県都城市の柳田酒造。
ゆったりとした奥深い香りがして、いい。

お次のお題”山菜”は、お椀で届いた。 湯気の中に、屈(こごみ)のクルクルが覗く。
賽子状に刻まれているのは、独活の茎か。

そして、吸い地に浮かんでいるのは、
天然の蓬でつくったお豆腐。 その上に、屈、独活、漉油、楤芽(たらのめ)といった、
山菜たちが盛り付けられている。
はーー、しっかりとしたいい香りだこと。
どこまでも澄んでいるのに、芯のある旨味が、
その香りととともに味蕾、鼻腔を駆け抜ける。

吸い地のお出汁に用いているのが、
“クラッシック節”と呼ばれる鰹節。 クラシックを聴かせ乍ら黴付けするという、
枕崎の金七商店さんの鰹節で、
泉さんは、本当に日本一と断言できるほどの、
実に丁寧な仕事をされている作り手だと仰る。
当然、枕崎の現地工場を訪れて、
つくりの様子をつぶさに見ているからなのでしょう。
その枕崎の金七商店へもいつかお邪魔してみたい。
「お魚センター」には売っていない、かな(^^)。

お次のお題は、”穴子”。 穴子は、大分県杵築の伝助穴子という、
1kgぐらいある大きな穴子だという。
鱧のように、骨切りをして造りにしている。

ぐっと視線を寄せると、
骨切りによって細かく穴子を叩いているのが判る。 刻んだ新生姜に加えて、
春先だけの茗荷の新芽、
茗荷たけを合わせて刻んで載せている。
ちらほら覗く赤い粒はと云えば、
野生の麹菌でつくったちょっと珍しい麹で、
庭先の梅でつくった梅酢に漬けたもの。
ふーむ、生姜に加えて、
麹の含んだ梅酢の酸味を薬味にしているのだ。
生の穴子をいただくことはもとより、
清らかだ、と思いながらいただく穴子って、
そうないよなーと思いながら箸を進める。
なんだかとっても有難いってな気分になる。
穴子が含めている白出汁のような汁が、
これまたいいのだ。

ここで泉さんは、これなんですよ、と話し始めた。
木通(あけび)に似たこれが郁子(むべ)です。
お店の名になっている、ムベ、です、と。
ペアリングのお酒にして出すこともあるものの、
食べられる部分が凄い少ないンです。
また、木通みたいにパカンと割れずにこのまま熟す。
お酒につけておくと一年後にはもう全部溶けて、
郁子の全部が飲めるようになります。
敷地内の向こう側の建物の傍にバーっと生っていて。
それと私、滋賀県の出身なのですが、
天智天皇が近江国、今の滋賀県に寄った際に、
元気な老夫婦に出会い、長寿の秘訣を聞いたところ、
この果物を食べているからだ、と応え、
献上されたのが、郁子の実だった。
その郁子の実を口にした天智天皇が発した言葉が、
ご存じ”むべなるかな(もっともであるなあ)”。
この二つの事柄を縁と感じて、
店名を「MUBE」とされたのだと聞いた。

と、俎板の上にドーンと肉塊が載せられたように見えた。 やや細長いローストビーフかという風情で、
それに包丁が入れられていく。

ここで泉さんが大きめに発した言葉が、
鮪と”椎茸”です。 あー、牛肉?と思っていたのは、鮪だったのだ。
120kgほどの鮪を粗目に叩いて、
椎茸の上に載せて炭で焼いたもの。
椎茸から出る出汁を鮪が余さず吸っているので、
山葵たっぷりで、出来ればふた口で、と仰る。
ああ、いい香りのする。
炙り加減がなかなかに素晴らしい。
そして、旨味たっぷりだ。

そしてその、鮪と椎茸にかけていたのは、
醤油ではなく、
きのこを発酵させてつくったきのこ醤油ですと、
壺の中からちょっとデロンとしたものを見せてくれた。
大豆を使わず、きのこと麹と塩と水とで発酵させて、
その上澄みを使うのです、と。

へー、発酵って、色々と面白いのだね、
と話しているところへ泉さんはさらに、
敷地内に大きな柿の木があって、と話してくれる。 塩や水さえも入れずにその柿だけでつくった、
これがその柿酢ですと、
そして今ちょうどいい産膜酵母が張っていますと、
壺から披露してくれた。
この酵母をまた別のところで、
例えば果物と一緒にしておくと、
また別のお酢が出来たりするのですと云う。
へー、なるほどなー、ってね(^^)。

そこへ”稚鮎”が登場した。 稚鮎に山菜の女王とも呼ばれる、
名残の漉油を合わせている。

その下には、鈴木さんの自然農の野菜を、
今しがた紹介してくれた柿酢で和えたもの。
さらにその下には、蕎麦粉だけでつくった、
トルティーヤ的生地を敷いている。 タコスのように手でぎゅっと持ってどうぞ、
というので、へーそういくのかーと、
成る可くそのようにして大口開けて食らい付く。
ああ、稚鮎の内臓の苦みが、素敵(^^)。
漉油の香りが少し別角度からやってくる。
稚鮎の骨がサクサクとしてまったく気にならずに、
そのまま美味しくいただけてしまった。

訊けば、カウンターの一枚板、無垢板は、
全長7.5mになりますと泉さん。
縁あって、入手できたものです、とも。
時間をかけて乾かし整えてきた中で、
さらに木目やその肌理の良しあしで、
選りすぐったものともなれば、
また、ここまで大きなものともなると、
そもそもがとても希少なもので、
値も相当張るものと思うけれど、
その材を手塩にかけてきた材木商はきっと、
納得した相手にしか売らないに違いない。
つまり、必要な財力があるのは勿論のこと、
売り手に選ばれる買い手である必要があるのだと、
泉さんの表情を見乍ら、
そんなことを勝手に邪推したりなんかした(^^)。

お題”蕎麦”は、そのまんまの手打ち蕎麦。 トッピングしているのは叩いた蕨に、
敷地内の梅の木から採った梅の梅干しを合わせて、
大分の無添加の雲丹も一緒に和えて仕上げたもの。
さらに、蕎麦の廻りには、
納豆を洗って引いた納豆出汁をかけている、という。
叩いた蕨の粘りが蕎麦にいい具合に絡まって、
あっさりに留まらない食べ応えのようなものに、
繋がっているような、少し複雑なお蕎麦だ。

お次のお題は、”甘藍”。
甘藍とはそう、キャベツのことですね。 雲仙の田中さんの甘藍、
今美味しい春キャベツを炭で火を入れ、
三重は鳥羽の答志島のトロ鰆に重ねている。

焼いた甘藍の上にとろんとかけられているのは、
桜の花の咲き終わった木の下に出来る、
編笠茸というキノコでとった出汁。 その天然キノコでとった出汁に先程の、
産膜酵母を使ってつくった、
どぶろく酢と合わせた汁。
その上にあしらっているのは、
山椒ではなくて、青文字の花の蕾の酢漬け。
齧れば成る程、
レモングラスみたいでいいアクセント。
うんうん、春の甘藍が甘い甘い。
脂ののった鰆との相性や、佳し。

とそこへ泉さん、
こいつは元々この家にあった雨樋なんです、
と話してくれる。 ん?と思って改めて甘藍の器を見ると成る程、
周囲が曲げて加工されているのが判った。
解体した別棟の雨樋を大工さんが、
何かの足しになるように溜めいていてくれて、
それを薄く叩いて伸ばしてその二枚を重ねて、
緑青が出ないように漆を塗って焼き付けて、
雨樋全部使って10枚分くらいの器になったという。
ふむー、建築廃材もそんな活かし方があるのだね。

続いてのお題は、”節”。 春大根を浮かべているのは、
大根の上にも載せた節をたっぷりと使ったお出汁。
その出汁は、
自家製の”牛節”を削り立てで引いたものに、
鰹と昆布の出汁と合わせたものだという。
味付けは、同じ牛の部位でつくった、
魚醤ならぬ”牛醤”で。
もうすっかり牛のコンソメみたいだねと話し乍ら、
そのお出汁を啜れば、なんとまぁ牛だ。
まさにコンソメの味わいだ。
でも、ちゃんと和食であることが憎らしい(^^)。

その牛節なるものがこちら。 乳用種の牛の脛とネックを用いて、
ボイルして燻して乾燥させてと、
まさに鰹節を作るような作り方で、
1ヶ月位かけて作るのだと云う。
なんとまぁ、そもそも牛が”節”になるのだねぇ。
そして、その手間を惜しむどころか、
どこか嬉々として勤しんでいるであろうところが、
素晴らしい。

いよいよ最終段のお題は、”米”。 土鍋の蓋の脇から心地よさそうに、
湯気が湧いている。

まずは、煮え端という状態で。 お米がご飯に変わった瞬間になります、
と聞くと、成る程って少しハッとなる。
少し中に芯があって、
でもその芯が口に運ぶ間にも変わっていく。
一瞬の喜びがそこにある、ってな感じだ。

お代わりをして、
お新香と鰆のへしことともにいただく。 お米は、泉さんが生まれた村で、
矢倉さんという先輩が自然農でつくっている、
滋賀旭という原種のお米だという。
噛めば噛む程甘味の出る様子が面白美味しい。
浅いへしこは、へしこでないみたいだ。

さらにはお粥さん。 お粥さんは、薬膳山菜粥の仕立て。
ただただ滋味深いお粥ゆえか、
もうお腹一杯なのにするんと入った。

目の前のプレートに並べられたのが、
その薬膳山菜粥のネタたち。 干し椎茸、大蒜、干し生姜、棗、金針菜に、
丁字、黒豆、松の実、枸杞の実、
蜜柑の皮に蜜柑の葉、枇杷の葉、山椒などと云う。
色々と入っておるのぉ、滋味深いはずや(^^)。

そして、最後のお題が、”水”。 それは、京見峠の水に、
秋田の新蓴菜(じゅんさい)含ませて固めたもの。
水平に収まっているものではなくて、
水まんじゅうという風情もする。
甘みがある訳ではないけれど、
水を甘露と味わうようなイメージか。

滋賀県の最高峰、伊吹山のお茶。 伊吹山の山頂近くで、
江戸時代からの茶畑を守っておられる方がいて、
その茶畑を一緒に摘みに行かせてもらって、
冬の間に摘んだものを蒸さずに乾燥させて、
少しだけ揉んでほんの少し発酵したものを淹れている。
所謂緑茶の範疇のものと仰るけれど、
もしかしたら白茶のカテゴリーなのかもしれない。
いずれにしても、なかなか野性味あるお茶だ。
大満足の満腹、ご馳走さまでした。

京都は北区の大宮玄琢(げんたく)北町。
玄琢道の坂の上に、日本料理「MUBE」は、ある。 店名「MUBE」は、その敷地内に生えている、
アケビ科ムベ属の常緑つる性植物、郁子(むべ)から。
「もっともなことだなあ」と感心する様子を示す、
夙に知られた古くからの言葉「宜(むべ)なるかな」を、
天智天皇が発した地が近江国、今の滋賀県であり、
店主泉さんの出身地であることも何かの縁と感じて、
店名を「MUBE」と据えたと云う。
身体も気持ちもそっと洗われるような料理たち。
旬の素材に向き合い、発酵の持つ面白さを探求し、
それをコースの一品ゝゝに活かす手腕と感性は、
築150年の建物を再生させて、
ゆったりとして粋な空間に仕立てるところにも、
存分に発揮されているように思う。
次回は必ず、アルコールのペアリングか、
発酵系のノンアルペアリングを合わせねば。
生誕地からそう遠くないこの玄琢の地へと、
北大路魯山人が時空を飛び越えて訪ねたなら、
どんな風に評するかを聞いてみたい。
偏屈なことを云い出さなければよいのだけれど(^^)。

「MUBE」
京都府京都市北区大宮玄琢北町11-1 [Map]
075-384-9987
https://mube.co.jp/

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