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う御料理「中六」で伊射波伊雜宮ふたつの一の宮と元旅館で5切うなぎ丼まぶしの是非

外宮、そして内宮へと七年振りのお伊勢参りを済ませて、伊勢市駅最寄りのホテルに入った夕暮れ時。
駅向こうにある酒さかな「向井酒の店」で、地の佳い肴と地の佳いお酒を堪能して、いちいち全部旨いやん!という食後感のまま、ふらふらと裏道を徘徊した。
勢田川方向に向かって、河崎本通りに出ると、辺りの古民家・商店が幾つも、
NIPPONIA HOTELになっているのを見付けた。
次回伊勢を訪れた時には、
ここに泊まるってのもいいねと話しつつ、
川縁を辿ってふたたび河崎本通りに戻り、
居酒屋「虎丸」の蔵のある佇まいを、
久々に覗いたりなんかした。

その翌朝、今度は駅前でレンタカーに乗り込む。
夫婦岩の二見興玉神社に寄り道してから鳥羽へ抜けて、
辿り着いたのは、海も近いと或る駐車場。
そこから目的地までは、徒歩でないとならないらしい。
案内板が指し示すルートを確認して、
早速現れた急な坂道を登り始めました。

この日もご多分に漏れず、めっちゃ暑い日。
汗を掻き掻き歩みを進めるは、
鬱蒼と樹々が茂る森の中に作られた遊歩道で、
左右上下にうねる様に続いている。
漸く海辺に出て、湾曲する岸壁を辿り、
そこからまた林の中を進むと、
海岸へと下る急な階段が現れた。 足許に気を付け乍らその階段を降りると、
ふたたび海へと視界が開けた。
ふー、ひー、暑さに思わず、
このまま海に飛び込みたい衝動に駆られる(^^)。

そんな岩場の海岸の縁に建つのが、
伊射波神社(いざわじんじゃ)の一の鳥居だ。 この辺りは、加布良古崎(かぶらこざき)と呼ばれ、
地元では”かぶらこさん”とも云われるそう。
昭和初期までは、この鳥居目掛けて船で来て、
参拝していたというのも頷ける立地だね。

ふー、漸く着いたかと思いつつ鳥居を潜る。
ところがそこからなんと、
石積みの階段が延々と登っているではないですか! 一歩一歩、汗を拭い、
ひーひー云い乍ら階段を登る。
何度もの休憩、水分補給を挟みつつ、
険しい参道をふたたび一歩一歩。
全身汗びしょで疲労困憊状態になりつつも、
なんとか二の鳥居に辿り着く。
こうも暑くなければ、森閑とした参道に、
神寂びたものを感じたかもしれないけれど、
いやはや、そんな余裕はまるでなし。
嗚呼、一の宮巡りに、
こんな苦行が待っているとは(^^)。

やっとの思いでやってきた伊射波神社は、
志摩国の一の宮で、
大漁祈願も行われてきたという。 蚊に襲われ乍ら参拝し、
小さな社務所で御朱印をお願いする。
不在の時もあるというから、
御朱印をいただけたのは運が良かったね。

でも、行ったからには戻らなければならない。
伊射波神社からの帰路は、
一の鳥居まで降りなくても済むルートがあって、
比較的楽ではあったけど、
それでもやっぱり大変だった…。

伊射波神社の駐車場を離れて向かったのは、
近鉄志摩線の無人駅、上之郷駅の近く。
伊雜宮(いざわのみや)もまた、
志摩国の一の宮なのであります。 ある地域の中で最も社格の高いとされる神社、
であるところの「一の宮」「一宮」なので、
ひとつの国にひとつ、というのが原則であるはず。
ところが、志摩の国には、伊射波神社と伊雜宮と、
一の宮がふたつあるのだ。
皇大神宮別宮、
つまりは伊勢神宮内宮の域外の別宮であるところの、
伊雑宮が正規の一の宮との説もあるようだけれど、
そのあたり、定かでないらしい。

簡素にも映る伊雑宮にお参りし、
御朱印をいただいて、鳥居を潜り出る。 その目と鼻の先に見える瓦屋根が、
この日のおひる処と目論んでいた場所だ。

電柱が少々邪魔ではあるものの、
なかなかの素晴らしき景観でありますまいか。 南向きと西向きとに入母屋の妻側があって、
それはつまり、屋根の軒が直行していることになる。
面白い造りだなぁと思いつつ、
しばしそこに佇んで眺めてしまいます。

通りに面した入口は大きく開け放たれている。
その右脇の板張りの壁に掛け下げられた、
すっかり古色を帯びた大きな木札には、旅館「中六」。 二階の窓際に腰掛けて欄干に肘を載せつつ、
下の通りを眺める旅人の姿がすぐに想像できる。

開け放たれた入口から玄関の土間に立つ。
両側に下駄箱が並び、開かれたホールになっている。 正面には、硝子の引き戸で仕切った部屋がある。
旅館として営業していた頃には、
帳場として機能していたのかもしれないね。
案内いただくまま、二階への階段を上がりましょう。

通されたのは謂わば、二階の大広間。 部屋部屋を仕切る襖のほとんどが払われていて、
ゆったりと座卓が配されている。
通りから見上げた欄干との間には廊下があり、
欄干に肘を突いて眼下を眺めることは叶わず(^^)。
それにしても、昔の旅館はこうして、
襖で仕切っただけの座敷々々に各々、
宿泊するスタイルだったのだね。
いろんな音がまる聞こえだものね。

壁に貼られたお品書きにあるのは、
肝吸い付きの「うなぎ丼」のみで、
3切れ、4切れ、5切れのいずれか。
ご飯の大盛りは、200円増し。
おそらく、いや間違いなく、
お安い価格設定なのではあるまいか。

相棒は、3切れの「うなぎ丼」。
対して、欲張って註文したのは、
略して「う丼」の5切れ、だ。 ゆっくりとまずは、肝吸いの蓋を外し、
どれどれと鮮やかな塗りの蓋を開きます。

炙り焼いた焼き目の気配と、
重ねたタレの濃密さが窺える様子をじっと見る。 横手から5切れの重なりを覗き見れば成る程、
贅沢な見映えがそこにあった。

頂上のひと切れにおもむろに嚙り付く。 地焼きのみの蒸さないスタイルかと思う。
でも、当然のように柔らかく焼き上げられていて、
甘過ぎないタレに炭火の芳ばしさが交叉する。
鰻を咀嚼しながら、早くご飯ご飯と、
どんぶりと鰻との隙間から箸先を差し込むと、
鰻の下のご飯全体に、
タレが混ぜ込まれているのに気付いて驚く。
こふいふのも”まぶし”と呼ぶのでしょうか。

流石に5切れは多かったかと思いつつ、
ペロペロっと平らげる。
ただ、食べ終えて思うのは、
鰻の下のご飯は、白メシであって欲しいということ。
ふっくらと芳ばしく焼かれ、
タレとともに旨味の凝集した鰻を含んだ口には、
同じタレ味のご飯ではなくて、
白メシで追い駆けるのが相応しい、よね(^^)。

志摩の国のふたつの一の宮のひとつ、
伊勢神宮内宮の別宮「伊雜宮」の鳥居前に、
う御料理「中六」は、ある。 屋号「中六」は、伊雑宮の御師(おし)であった、
中六太夫から取っている、という。
1929年(昭和4年)に旅館として建築された建物は、
登録有形文化財に登録されているというのも頷ける。
1960年代あたりまでの旅館として営業していた頃に、
炭火焼きの鰻料理で知名度を高め、今に至るそう。
こうして伊雜宮に参拝して、その足で「中六」の鰻、
というのを当たり前の定番にする人たちが、
脈々といらしたに違いない。
そしてそれはきっと、代々のお約束として、
今も続いているのでしょうね。

「中六」
三重県志摩市磯部町上之郷392 [Map]
0599-55-0028

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