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割烹「有いち」で松皮鰈焼霜秋刀魚鯣烏賊肝和え海老真丈椀この佇まいここにある奇跡

荻窪駅周辺というと、思い出すのは北口側のことばかりで、不思議なくらいに南口には今のところ足を向ける機会がない。
杉並公会堂~四面道方面では、居酒屋「ゆき椿」や先日の酒・肴「赤津庄兵衛」を思い出す。中華そば「丸信」もその近くだ。
けれど、荻窪駅北口と云えばやっぱり、駅ロータリーから東側の荻窪駅前入口信号までの一帯に親しみがある。
戦後の闇市からはじまったとされる一角には、
昭和を代表するラーメン店、
荻窪中華そば「春木屋」荻窪本店があり、
南北に抜ける三本の横丁や裏路地にも、
青梅街道沿いのアーケードにも、
線路側の一方通行沿いにも飲食店が建ち並ぶ。

ロータリー寄りの一本目の横丁が、
両側に黄色い看板を掲げる、
荻窪北口駅前通商店街。 線路側から横丁アーケードに入ると、
右手に中華そば店、町中華が並んでいたが、
閉店していた「冨士中華そば」に加え、
「丸福」のシャッターにも、
閉店を知らせる貼り紙が貼ってあった。
蒲焼・串焼「川勢」のカウンターに、
客の姿があるのを見てホッとするも、
向かいの荒物屋のシャッターには、
一帯の再開発の許可を示す標識が貼られていた。
許可標識の工事期間は、令和7年4月25日から。
つまりはもう既に工事中であっても、
不思議はないということになる。
嗚呼また、昭和の闇市起源の、
情緒ある横丁、路地を消し去ろうというのか。

そんな不穏さも孕んだ荻窪駅北口の、
ロータリーと青梅街道とに面した角地に、
一軒の割烹が暖簾を提げている。 駅前にして車行き交う街道沿いの、
雑然とした街並みの中の一角が、
そこだけすとんと静かな佇まいをみせているのが、
割烹「有いち」のファサードだ。

気が付けば三年半振りの「有いち」。
赤銅色というか、葡萄色(えびいろ)というか。
そんな臙脂系の色味と生成りっぽい白との、
ツートンカラーという珍しい暖簾が掛かる。 内照の灯りを点した表札看板の脇には、
ホワイトボードが掛け下げられていて、
お昼のメニューと夜メニューのそれぞれ三種が、
手書きにて書き込んである。
そうか、お昼も営っているという認識はなかった。
例えば、「割烹定食」はどんな感じなんだろうね。
そんなことを話し乍らその暖簾を払います。

およそ一番乗りでカウンターの隅に落ち着く。 今さっき入ってきた入口のある、
右手の壁側をふと振り向けば、
荻窪駅前商店会のアーケードの気配と、
青梅街道の車の往来のざわめきがする。
でも、なんだろう、
店内には不思議な静謐さがあるようだ。

さらに振り向いてテーブル席側を見ると、
畳敷きのベンチスタイルの座席と腰壁というか、
背凭れ壁が目に留まる。 竹材で設えた意匠が格好いい。
色目の違う細木を挟むようデザインされていて、
それが飴色の色気を放っているんだもの。

まずは、プレモルの中瓶で乾杯。 ステンドグラスちっくなグラスが美しい。
自宅でもプレモルの中瓶を常に冷やしておく、
なんてのも小粋な気がするけれど、
ケースといい冷蔵庫の中といい、
なかなかに場所とるんだよね(^^)。

「有いち」の口開きは、蜆の汁から。 気の利いた気風のある料理居酒屋でも、
蜆のお汁を最初にとするところがあるけれど、
こうして蜆の滋味にしみじみとしているうちに、
胃の腑がぽっと温まり、肝臓が解れて、
準備万端態勢が整うような気がする。

およそ同時に届いたのは、小松菜のお浸し。 これでまず、
お店の出汁の具合を確かめる恰好にもなる。
うんうん、いーいお出汁だ、とまたしみじみ(^^)。

つけ台の隅には、小さな達磨の彫り物。 見覚えがあるなぁと思えばきっと、
前回訪れた時も同じカウンターの左隅だったんだ。
訊けば、屋号「有いち」は、ご主人のお名前ではなく、
ご主人の祖父のお名前からいただいたものだそうで、
石川は輪島のお祖父さんの本家の蔵から出てきたのが、
この達磨だったんだそう。
それもマトリョーシカみたいなセットものだったという。

続いて、加賀蓮根の焼き葛餅。 おおお、ぼやんぼやんの食感。
そして自然な甘さが、いい。
蓮根だけでこんなにふわもちになる訳ではなくて、
葛粉がまた威力を発揮している。

お造りの平長角皿には、三品が並ぶ。
左手の白身は、函館の松皮鰈(マツカワガレイ)。 酢橘を搾ったぽん酢をちょんと載せいただけば、
しっとりとした脂の甘さが口腔に広がって、
これまたしみじみ(^^)。
塩でもまた旨い。

こりゃ日本酒だ、と石川県白山市の老舗酒蔵、
吉田酒造店の「手取川」をひやでいただきましょう。 うん、甘露甘露。
グラスの紅葉の柄も色鮮やかだ。

お造りの真ん中には、淡路島の鯖。 なんと美しい切り身でしょう。
包丁の切れ味さえ想像してしまうようなエッジだ。
アニサキス対策で、お腹の方はよく焼いてあるそう。
いやー、鮮度は勿論、絶妙な〆具合が堪りません。

三重は鳥羽の天然勘八。 脂ののりも肌理の整い様も申し分なし。
相当いい型の勘八なんだろうなぁと想像を巡らす。
試しにおろし山葵だけを摘んで口に含むと、
甘く美味しい。
そして、大根の褄(つま)もまた美味しい。
いままで刺身のツマが美味しいなんて、
およそ思ったことがなかったような気がする。

野菜の炊き合わせ的器もまた、彩りが美しい。 人参、里芋、茗荷、南瓜、牛蒡にマッシュルーム等々、
12種類ほどのお野菜たちが寄り添っている。
噛んだオクラの甘いことにちょっと驚く。
お出汁がよーーーく沁みている。
ほーー、ふーん、優しき美味しさに唸る。
具材のひとつひとつに火の入り方が違うので、
きっとそれぞれに炊いているに違いない。
こうみえて、手間かかっとんねん、てね(^^)。

続いて、
八寸の発展形のような盆に並ぶ小鉢たち。 中央の紅葉型のお皿には、北海道の秋刀魚。
焼き霜にした秋刀魚を拍子木に切り、
肝醤油を載せている。
今年の型のいい、脂ののった秋刀魚ならではか。
いやー、うんまいねぇ。

小さな把手で飾った小さな壺には、
北海道の鱈の白子。 方や、スルメ烏賊の肝和え。
やっぱり、肝和えには柚子だねー。
炭で炙ったであろう、いい香りがする。

こりゃあかん、と(^^)、
「田酒」のひやをもらう。

親指と人差指でちょいと摘んで変化をつけた、
そんな器には赤貝と焼き茄子と浅葱の酢味噌和え。
炭火香る焼き茄子のとろみが素敵(^^)。 方や、小さな片口のような器には自家製の唐墨。
銀杏や丹波の枝豆、茹で落花生。
焼いた銀杏が何気に美味しい。

七尾のモズクと菊の花の酢の物。
能登半島からの食材があると、
輪島に由縁があるからか、なんて思ったり(^^)。
隠元との相性は勿論のこと、
胡麻和えが新牛蒡とこんなに合うんだー、と、
手にした小さな器をじっと見る(^^)。

と、ここで美しきお椀がやってくる。 丁寧にひいたお出汁に浮かぶは、海老真丈。
そのふわっふわを口に含めば、
繊細で透明な海老の風味が広がり、
それを塩味を抑えたお出汁の旨味がそっと包む。
さっと炙った黒舞茸もひと齧り。
ふーむ、美味しい哉、旨い哉。

そして次いで、真名鰹の焼き物がやってきた。 マナガツオといえば、
あのマンボウのようなフォルムを思い出す。
カツオと名乗るもカツオではなく、
スズキ目イボダイ亜目マナガツオ科のお魚だ。
この身の厚みがあるってことは、
相当型のよい真名鰹なのだろうなと推し量る。
ホロっとしつつ、脂の甘さが愉し旨し。

お食事は、炊き込みご飯に手打ち蕎麦。
ありそでなさそな、秋刀魚の炊き込みご飯。
薄味のご飯に秋刀魚の脂が滲んで、イケる。 冷やかけ蕎麦のお出汁は既に体感済のもの。
鬼おろしの大根だけの二八の蕎麦で〆るって、
ちょっと粋かもと思いつつ、啜る、啜る(^^)。

水菓子をいただきながら訊けばやはり、
再開発による立ち退きが迫っているそう。
2007年頃からはじまっていた話で、
年明けの割りと早いうちには閉めなければと、
そんな方向性であるという。
荻窪駅前入口信号までの全体が再開発の対象、
ということではなくて、
アサヒ通り辺りまでの20数軒が対象だという。
確かに火事にでもなったら一発だ、
というのも判るし、
でも、この風情ある街並みは壊したら最期、
二度と造れないじゃん、とも思う。
傍からはとても残念に思うけれど、
地元には地元の思いや事情もあるに違いない。

「荻窪の樹」と題した杉並区の計画を眺めると、
旧青梅街道のルート上をデッキで再現したり、
駅南北を繋ぐ広場やタウンセブンの再生など、
さまざまな角度で検討がなされた、
多面的なプランになっているようにも映る。
18階建てになるらしい新しい建物は、
完成までに2年から4年かかるといい、
それまでは仮の店舗に移って、
出来れば戻ってきたいと、
「有いち」のご主人、橘光太郎さんは仰る。

昭和の闇市起源の情緒ある商店街の一角、
荻窪駅北口のロータリーと青梅街道に面する角地に、
割烹「有いち」は、ある。 前掲の通り、
屋号「有いち」は、ご主人のお名前ではなく、
ご主人の祖父のお名前ユウイチさんから。
料理人という訳でもないという、
お祖父さんの名前をいただくってことは、
それ相応の思うところがあったのでしょうね。
割烹「有いち」がこの佇まいでここにあるのは、
ちょっとした奇跡だと思って云って憚らない。
この佇まいが失われてしまうのは、
残念以外の何ものでもないけれど、
ここはひとつ。
仮の店舗から当地にまた戻ってこれるとして、
それがどんな店構えになっているか、
今から愉しみにしておきましょう。

「有いち」
東京都杉並区上荻1-6-10 [Map]
03-3392-4578

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