
ターミナルビルのCenter Plazaで、〆鰊と数の子の親子押し寿司「二三一バッテラ」に葡萄「山幸」を使ったフルーツIPAやご当地檸檬堂のしそレモンなどのちょっと不思議な缶酒たちを買い込んで、快速エアポートの指定席uシートの車両に乗り込む。
向かうは、初めての地、小樽だ。
凡そ75分の短い吞み鉄旅を経て、
終着の小樽駅の改札口を出る。
左手に三角市場の入口あたりを横目にしつつ、
中央通りのなだらかな坂をゆっくりと下る。
その先の海の気配がした辺りで、
旧手宮線の廃線跡に立ち止まる。
旧国鉄手宮線は、
1880年(明治13年)に北海道で初めて開通した、
官営幌内鉄道の一部であった路線。
今の三笠市であるところの幌内の炭山から、
石炭を小樽の港へ運ぶために敷かれた鉄道だ。
鰊に代表されるような海産物の、
港からの積み出しでも賑わったものの、
1985年(昭和60年)に廃線となったという。
小樽という港町の隆盛とその反動を今に伝える、
象徴のひとつ、だね。
小樽の町を漫ろに歩けば、
嘗ての金融機関の歴史的建造物が佇む、
特異な景観に辻々で出逢える。
日本銀行旧小樽支店に旧三井銀行小樽支店。
旧安田銀行に旧北海道拓殖銀行など等々。
これらもまた、小樽の隆盛と凋落を象徴する、
古建築なのでありましょう。
そして、小樽での滞在でお世話になったのが、
こちらの小樽商工會議所であります。
商工会議所で観光案内や宿探しをしてくれた、
という訳では勿論なくて(^^)、
この歴史的建造物がホテルとなっているンだ。
星野リゾートによるOMO5小樽は、
旧小樽商工会議所をリノベーションしたホテル。
螺旋状に階上へと向かう階段にも、
その面影を残して、ノスタルジック。
モルタルをコテで塗り込めたような手摺には、
なかなかに凝った意匠の鋳物風の飾り。
そこから見通した先にある、
旧商工会議所の入口のすぐ脇の一室が、
今回お世話になった部屋でした。
降り始めた小糠雨の中向かったのは、
驛にも近い、静屋通り沿い。
洋式の歴史的建築物が居並ぶ町並みにあって、
凛とした佇まい目に留めてハッとなる。
こんなんも好物な風景なのであります(^^)。
店内でお待ちの方々の前を失礼して、
予約の名を告げて、テーブル席へ。
そこで、ホール担当の姐さんがこう仰る。
お問い合わせいただいた「たちかま」、
間に合いました、ご用意できます、と。
そんな予約の際のやりとりが帳場からホールへと、
きちんと連携されているなんて、粋なことをなさる。
ならばと早速お願いした岩内産「たちかま」が、
どうぞ、とテーブルの中央に置かれた。
「たちかま」とは、助惣鱈の白子(タチ)と、
塩と澱粉だけで作る蒲鉾の一種だという。
「タチの蒲鉾」で「たちかま」なんだ。
冬の時季にのみ味わえるもの故に、
姐さんが「間に合いました」と告げたのだ。
ふわふわとした食感の中に磯の風味が交叉する。
なかなか味わえない珍味と云えましょう。
いただいたお酒は、
倶知安町の二世古酒造が醸す「北力」生酛純米。
うんうん、旨味がしっかりめで美味しい酒だ。
「蕎麦味噌」を舐めつつまたお猪口を傾ければ、
ああ、蕎麦屋の昼下がり酒の始まりであります(^^)。
お酒の品書きとは別に、
卓上に用意されている「おしながき」が素晴らしい。
それはまるで、そんなタイトルの小説の文庫本だ。
表紙には、夏目漱石「吾輩は猫である」の一節。
頁を捲れば、寄席文字はじめ色々な書体を駆使して、
メニューの紹介に留まらない構成になっていて、
制作者のセンスを感じさせます。
そんなお品書きから酒肴を幾つか。
ひとつには、その名も「影虎」。
副題は、街の豆腐屋さんの生厚揚げ焼き。
生揚げを熱々に焼くに、
焼き網の網目の焦げ跡が出来、
それが虎の縞模様に似ていることから、
「影虎」と命名したという。
焼き立てにおろし生姜を載せていただけば、
肌理の細やかで濃密な豆腐の風味が零れ出す。
そこへ「北力」をすっと追い駆けましょう。
古の小樽の地にも思いを致しつつ、
もう一丁と「鰊棒煮」。
今まで目にした中で最も美しい身欠き鰊。
身欠き鰊の載った蕎麦というと京都のイメージで、
京都四条の「松葉」でも食べたことがあるけれど、
美しいーと思った憶えは、ない。
小樽の前浜で獲れた鰊を生干しにし、
柔らかく煮込んだという棒煮は、
成る程ほろっと柔らかく、生臭さなんて皆無。
じわじわっと旨味が湧いてきて、いい。
店の突き当たりを見遣れば、どうやら、
接している石蔵の中が座敷になっている模様。
蔵の扉裏や半纏にみられる、
「丸に違い鷹の羽」の家紋は、
当家のものなのでしょうか。
そんなことを考えている裡に、
註文していた「割子そば」がやってきた。
自分は四段で、相棒は三段だ。
四段の一番上の割子には、
滑子おろしの添え物。
そのまま少し掻き回すようにしてから、
手繰り、啜り、さらに手繰り、啜る。
「籔半」では、道内産100%の地物粉と、
道内産と外国産をブレンドした並粉との、
二種類の蕎麦粉を使った蕎麦があって、
「割子そば」はすべて、地物粉の蕎麦だそう。
二段目の割子には、錦糸玉子。
一段目で残った汁を二段目の割子に、
そっと注いだりなんかして(^^)。
三段目の割子には、トビッ子のトッピング。
ご存じ、とびこ(飛子・飛び子、トビッ子)とは、
トビウオ(飛魚)の魚卵を塩漬けにしたものだね。
そして、割子そばの四段目には、
ウニとろろが添えてある。
残念乍ら雲丹のシーズンではなかったけれど、
明礬くさくなんかない雲丹が愉しめた。
「割子そば」の四段目を食べ終えて漸く、
出雲の「羽根屋」や「風月庵」を想い出す。
どうやらこの店の先代が出雲に旅行にいき、
出雲蕎麦のお店で割子そばと出会い、
薬味だけでなく北海道らしい具を添えた形の、
北海道版割子蕎麦に変身させた、ということらしい。
ふむふむ、成る程ね。
「籔半」の創業は、今を遡ること70余年の、
1954年(昭和29年)のことだという。
件の「おしながき」では、
「ご挨拶」と題した見開きの頁にたっぷりと、
創業当時以降の小樽の状況や建物の経緯を、
丁寧かつ情の籠った筆致で著している。
小樽駅前を左右に走る国道5号線から、
一本海側の静屋通り沿いに、
小樽蕎麦屋「籔半」は、ある。
Webサイトの「蕎麦屋ひすとりー」では、
当時の世情や小樽の隆盛と凋落、
次々と巻き起こる事態への様々な苦労の様子が、
実直な表現でなされていて、読み応えがある。
小樽駅前での創業直後に発覚した放漫経営に、
再建を担った一代目の脈々とした活躍。
初代店舗の焼失からの二代目店舗の再建。
廃れていく街の中での駅前再開発事業による移転。
料亭、割烹と変遷した歴史的建造物的元白鳥家別宅を、
苦難の末再生し竣工した三代目店舗での新装開店。
斜陽に沈むどん底の町と小樽運河保存運動。
初代の急逝とふたたびの店舗焼失。
回船問屋の豪邸「伍楽園・旧金澤友次郎邸」から、
部材を移築しての四代目店舗の新築を果たし、
「ソバ屋酒の出来る蕎麦屋」たる今に至る。
凛とした蕎麦屋の気風の背景に、
そんな壮大な物語があったのですね。
「籔半」
小樽市稲穂2-19-14 [Map]
0134-33-1212
https://yabuhan.co.jp/