「喰いねぇ 鮨天麩羅鰻」カテゴリーアーカイブ

かやば町「鳥徳」で大人気鳥鍋御前特製弁当きじ焼き重飴色の階段昭和の風情がまた

茅場町で焼鳥の店と云えばやっぱり、鳥「宮川」のことをまず思い浮かべる
ランチタイムの行列は今もさくら通りの定番の光景となっています。
宵の口の一席に滑り込むのもなかなか容易ならざるのが、人気の「宮川」ゆえの常態と云えましょう。
そんな茅場町の焼鳥店事情にあって、どっこい確固としたファンを抱えているのが、すずらん通り沿いの老舗「鳥徳」であります。

街並みの光景にすっかり溶け込みつつも、
どっしりした存在感を示す「鳥徳」の建物。 石張りの腰壁に木枠のショーケース。
何代目かは分からないけれど、
入口の横格子の建具も何気に味がある。

一階奥のカウンターに陣取れば、
硝子越しに焼き台の様子が窺える。 おひる時のお品書きに裏表には、14、15種類の品が並ぶ。
特製弁当ABC三種から、お重が五種類。
土鍋を突く定食が三種類に鳥のカツライス上と並。
そして、それら鳥料理たちに鰻重の上と並が織り込まれています。

冬場の「鳥徳」の人気筋は、なんと云っても「鳥鍋御飯」。 ちんちんに熱せられた土鍋にぐつぐつと滾る汁。
もうもうと上がる湯気。
溶き玉子と濃いめのツユの沁みたモモやレバに、
掻き込むようにご飯を貪ること請け合いであります。

三種ある特製弁当で売れ筋なのが「鳥徳特製A弁当」だ。 お重にきじ肉焼き(鳥もも薄切り)とつくねが半分半分。

きじ肉焼きをじっくり堪能したいという貴兄には、
「きじ焼き重」という選択肢もある。 少し焦げた醤油ダレが鼻腔を擽る。
あそこまでの妖艶な柔らかさはないけれど、ふと、
旭川は独酌「三四郎」の「新子焼き」を思い浮かべたりいたします。

鳥のカツをお重でいただきたいと思ふ淑女には、
シンプルなる「かつ重」をお薦めする。 ありそでなさそな鳥のかつの玉子とじのお重。
あれ?という間にするんといただけてしまいます。

玉子とじと云えば他にも「つくね玉子とじ重」なんて手もある。
自由に攪拌された玉子の中からひょっこりとつくねが顔を出す。
鳥やですもの勿論、「親子重」の用意もございます。
そうね、最後の御飯ひと粒まで、
いじましく重箱の隅を突きましょう(笑)。

宴会ニーズにもしっかりと応えてきた「鳥徳」には、
その二階に幾間もある大容量の座敷がある。
飴色の階段を昇れば、久し振りに実家に帰ってきたような、
ふとそんな気分にもなって思わず大の字に寝そべりたくなる。
座卓に胡坐を掻いて「親子鍋」。
なんてのも、いいでしょ(笑)。

昭和下町民家の味処、茅場町に「鳥徳」あり。 Webページによると「鳥徳」の歴史は、明治の終わり、1930年代に、
富山の大名商人だった徳太郎が焼鳥屋を始めたことにまで遡る。
「鳥徳」の”徳”の字は、徳太郎の”徳”に由来するという。

創業時は1間間口の広さ8畳ほどの小さな店舗であったらしい。 何気に凄いのは、その創業時の入口は、今の店舗入口であるということ。
当然、建具は補修・交換を繰り返してきたのだろうけれど、
入口の位置や間口を変えないまま増改築を重ねて、
大宴会が出来るような規模に発展させてきたということになる。

そんな飴色の風情が代え難き「鳥徳」が、
建物老朽化による建て替えのため、
この6月末をもって一時閉店してしまった。
確かに二階の床が軋んで抜けそうだったものなぁと思いつつ、
なんだか寂しい気持ちに駆られるの自分だけではなさそうです。
閉店・閉業でないのがなによりの救いですね。

「鳥徳」
中央区日本橋茅場町2-5-6{Map}03-3661-0962
http://www.toritoku.com/
http://kayabachotoritoku.com/

column/03842

鮨「石島」本店で柚子香るづけ霞ヶ浦の白魚蛍烏賊のスチーム桜の頃のカウンター

午後から振替の休暇をとった午前中。
ふと、鮨が食べたいと思い付くことがあっても不思議は、ない(笑)。
京橋方面へ足を向けて、「京すし」か「目羅」へという手もあるなと腕組み思案。
頭の中のエリアをもう少し広げてみると、京橋公園のある光景が浮かんできた。
そうだ、正午過ぎ辺りにあの店を訪ねるのが妙案だ。

脳裏に浮かんでいたのは、
この木立越しに佇む鮨「石島」の建物。 看板建築よろしく、緑青の噴いた銅板の外壁がいい。
暖簾の上の軒下で睨みをきかせているのは、
鍾馗さんではなく、鬼瓦の類のようです。

梁とスラブとの空間を懐にして、
天井板の代わりに煤竹を配した意匠が目に留まる。 10席ほどのL字のカウンターには、
ひとときを思い思いに愉しむ顔が並んでいます。

淡路の真鯛に紀州勝浦の鮪。 大き過ぎず小さ過ぎず。
スマートなフォルムに小さく頷いたりなんかする。

枕崎の鰹に柚子の香るづけ。 赤酢の舎利は好みの仕立て。
鮪のづけに過ぎない柚子の香りがよく似合う。
極薄い白板昆布に透けた〆鯖が妖艶だ。

霞ヶ浦の白魚に函館の雲丹。 芝海老の玉子焼きを挟んで穴子、という流れも悪くない。

もう少し摘みたいと思えば、この時季恒例の蛍烏賊は、
富山滑川のスチーム仕立て。
フレッシュでいてふっくらとして、うん旨い。 魴鮄に続いて最後にいただいたのが、貝割れ大根。
軽い漬物になっていて、シャクっとした歯触りが面白い。
ああ、芽葱の握りも食べたいな(笑)。

「石島」本店のネタ箱は、カウンター埋込み方式。
客席からの目線に近いところにあり、
かつ古の硝子ケースのように視線を妨げることもない。 開け放った入口の向こうからも、春の空気が感じられます。

ちょうど一年ほど前の思い出を振り返ってみる。 小豆羽太の昆布〆に天草の小肌。

四丁づけにしたのも鯖ではなかったか。 黒い細帯が目印の細魚に黒い帯の玉子焼き。

銀座の外れ、京橋公園のお向かいに鮨「石島」本店はある。 「LA BETTOLA da Ochiai」の近所と云えば、頷く人も多いはず。
新富町のお店「石島」には、
開店早々に何度かお邪魔したけれど、
最近ご無沙汰しています。
でも、休暇の午後にはまた、
こちら本店のカウンターにお邪魔してしまいそうな、
そんな予感がする。
特に春にここを思い出すのはもしかしたら、
ビストロ「ポンデュガール」の前にある、
新富橋の桜の木の所為なのかもしれません。

「石島」本店
東京都中央区銀座1-24-3[Map]03-6228-6539
http://www.sushi-ishijima.com/

column/03839

うなぎ「川勢」でひと通り串焼八幡焼きも焼ひれ焼ばら焼れば焼きも刺えり焼はす焼

新宿西口の思い出横丁に新宿ゴールデン街、吉祥寺駅前のハモニカ横丁などなど。
今も戦後闇市の気配を残す横丁が実は、大好物なのであります(笑)。
戦後日本最大のヤミ市とも云われる「新生マーケット」があった新橋駅西側の界隈は、今のニュー新橋ビルの辺り。
ビルとなった今もなお、どこかその残滓が滲んでいるような気がしたりします。

そんなヤミ市由来の、
所謂新興マーケットの風情を感じさせる一角が、
ロータリーに面した荻窪駅の北口にもある。

その区画の中のアーケードのひとつ、
荻窪北口駅前通商店街の黄色いアーチを潜る。中華そば「丸福」の暖簾を横目に見乍ら進むと見えてくるのが、
簾を横に捲いて囲ったようなファサードのお店。
軒下には藍の暖簾。
灯りの燈ったスタンド看板には、秋田銘酒大関。
蒲焼・串焼「川勢」だ。

カウンターに沿って止まり木が並ぶ。
二階にも客席があるようなのだけれど、
上がったことはない。 串からは丁寧に繰り返し用いている様子が伝わり、
それも職人仕事の一端に思えてちょっと嬉しくなる。

使い込まれた焼き台に二本の角棒が横に渡され、
その下に紅く熾された炭たちが横たわる。角棒の間の距離や高さや傾きが自在になるようにして、
串の種類・大きさに合わせて、炭との距離なんかを加減する。
きっとそんな工夫が施されている。

壁には、鰻の謂わば解剖図。鰻の部位や肝の呼称なんかが解説されている。
余すところなくいただくんだという気構えが滲んでくるようだ。

ほとんどのひとがそうするであろう便利な註文方法は、
ひと通り!が合言葉。韮を巻いたのがひれ焼。
牛蒡を軸にする串、八幡巻を巻いたのは、
皮目を残した片身でしょうか。
串焼、きも焼、ばら焼、れば焼で串物ひと通り。
部位ごとに勿論違う歯触り・噛み応え。
焼鳥とはまた違う醍醐味がここにあります。

両関の雫を舐めながら、
お隣さんのご註文に乗っかって。運が良ければ出会えるのが、きも刺し。
さっと湯引きした様子のキモと解剖図と照らし合わせる(笑)。
胃に腸に腎臓、浮袋あたりでありましょうか。

エリ巻きは、その名の通り、鰻の頭の首の廻りを巻いた串。
硬い中骨を抜いて開き、串に巻いて塩焼きしたもの。
いやはやお安めの酒がよく似合う(笑)。はす焼きはと云えば、解剖図にも記述がない!
首の下のあたりの部位なのでしょうか。
(追記)と、そんな疑問を呈していましたら、
ひれ焼きの韮の代わりに蓮根を用いるのがはす焼きです、
とフォローいただきました。

ここまできたら蒲焼もいただきたと所望する。蒲焼を蒸し上げるのに用いられる釜が素晴らしい。
よくぞそこまで使い込んでいるぞと感心頻りであります。

そして、うな丼の麗しき姿よ。炭火に炙ることで纏った極く薄い膜が、
ふっくらとしたその身を覆う。
噛めば旨味を炸裂させつつも、
だらしなく身が崩れることはない。
嗚呼、いいね、美味しいね。

荻窪駅北口の新興マーケットのアーケードに、
鰻の串焼・蒲焼の「川勢」がある。また、夏の夕べ辺りにふらっと寄って、
開けっ放しの入口近くの止まり木に佇んで、
ひと通りに麦酒!と小さく叫びたい(笑)。

「川勢」
杉並区上荻1-6-11 [Map] 03-3392-1177

column/03774

鮨「伊とう」で相模湾地物魚介の肴鮨伊藤家のつぼは今真鶴の粋な佇まいの中に在る

伊豆というと真っ先に思い出すのがずっとずっと若い頃のこと(笑)。
多分大学に入って最初の夏だったと思うのだけど、多々戸浜か碁石浜辺りの、浜からちょっと離れた山間に建つ別荘を仲間でお金を出し合ってひと晩かふた晩借りた。
夏の陽射しガンガンであっという間に真っ黒になり、日焼けした背中にひーひー。
砂浜に腰掛けてずっと眺めていた夏の海の光景がずっと印象に残っています。
海っていいもんだなぁってね。

それ以来、
道路の渋滞に嵌りつつもちょこちょこ下田白浜方面へ出掛けたり、
会社の先輩たちのクルーザーで西伊豆や南伊豆へ向かったり。
すっかり南の島系リゾートダイバーになっちゃたので、
伊豆のポイントを沢山知っている訳ではないものの、
海の中もやっぱりいい。
そうそう、シュノーケリングも愉しいヒリゾ浜も素敵な場所でした。

話は替わって昨年の晩夏のこと。
「伊豆半島太鼓フェスティバル」というイベントが、
南伊豆の松崎町で催されました。

松崎海岸の防波堤の向こうに夕陽が沈みゆく。
松明が炊かれ、そんな海辺の夕景をバックに太鼓が響く。ロケーションも手伝って、街中の祭り太鼓とはひと味違う臨場感。
地元以外の太鼓団体も招聘し、
例年4組のそれそれに特徴のあるグループが競演する。
既にもう20回近くの開催を数える、
晩夏恒例のイベントとなっているようです。

なかなか素敵なひと時だったし、
遅い夏の伊豆の浜辺で寛ぐのも悪くないぞと、
今年も伊豆行き、松崎町詣でを計画。
ところがなにやら秋雨前線の活動活発により雨予報。
フェスティバルの実行委員会が下した開催の決定にほっとして、
ふたたび松崎海岸の特設ステージ前に陣取りました。
ところがところが、太鼓の演奏中に暗雲垂れ込め雷鳴轟き雷光閃く。
あっという間に物凄い土砂降りとなって、
急遽イベント中止と相成りました。
ずっと多量の雨が打ち続ける中を合羽を頼りにとぼとぼ歩く。
この夏を象徴するような極端な天候を身をもって味わったのでした。

土砂降り雨の翌朝は、
予報が外れて台風一過のような清々しい空。堂ヶ島の並びにある田子瀬浜海水浴場に寄り道してひと泳ぎ。

さっと着替えて長駆、伊豆の尾根を跨いで向かったのは、
湯河原のお隣、真鶴半島のど真ん中。細い半島ゆえの狭隘な道から急坂の先を見上げると、
よく見知った扁額が目に留まる。
八丁堀・入船の市場通り沿いにあった「伊藤家のつぼ」は、
2017年の夏で移転のため店仕舞いしていたのです。

移転先はどんな様子なのだろうと、
駐車場から更に坂道の上を見遣ればなんと、
格式ある旅館のような佇まい。玄関の土間に履物を脱いで板敷きの廊下に上がり、
すぐ脇の引き戸の先へと案内いただく。
忽ち目に飛び込んでくるのは、窓枠を額縁とした紺碧の海と空だ!

そして、柔らかく迎えてくれるのはいつぞやのご尊顔と、
デデンと横たわる一枚板のカウンター。地元の路地物柑橘で作った「真鶴果実のザクザクサワー」が、
すっきりと美味しい(らしい)。
運転手は呑めないねと悔しがる(笑)。

カウンターも然る事乍ら建具や調度もとてもいい。思わずきょろきょろした先には、
スポットライトを浴びた素麺南瓜や台湾茄子、冬瓜なぞの飾りが映る。

口開きは坊ちゃん南瓜の天麩羅に落花生。清澄白河の「リカシツ」で仕入れたという硝子の器に盛り込んだのは、
地のメジナに築地から届いたつぶ貝。
そして、藁で炙った地物の鰹。
辛味を添えたおろし玉葱と実によく合います。

立派な陶板への盛り込みがやってきた。穴子の手毬鮨はもとより地物の蛸に煮付けた床臥がいい。
どうやって蛸を柔らかく煮るのかと大将に訊くと、
なんでも一度冷凍するのもコツのひとつなんだそう。
嗚呼、お猪口をきゅっと合せられないのがなんとももどかしい(笑)。

と、大振りで活きのいい伊勢海老の顔見世興行(笑)。ちょっと可哀想な気にもなるけど、
さてどんな姿で供されるのか愉しみが膨らみます。

握りの手始めは、地の笠子。
カサゴらしい品の良い甘さが口腔にすっと広がります。皮目も艶やかな奴はと云えば、これまた地物の金目。
相模湾の深いところに潜んでいた奴なんでしょう。

島寿司よろしく芥子をちょんと戴いた鮪の酸味。白鯛は昆布〆にすることで艶が出て、
利かせた梅酢もまた粋な仕事になっています。

ひと呼吸置かせてくれた椀の中心には、真薯がある。
そのネタは嘗てスミヤキと呼ばれたクロシビカマスだそう。
相模湾周辺でよく食べられるもののようだけど、
初めていただくお魚であります。そして、障泥(アオリ)烏賊が旨い。
麺状に切りつけたものを纏めて、胡麻をあしらい檸檬を搾って。

旨いと云えば藁炙りしたトロがいい。秋刀魚も炙れば、実山椒の似合う味の凝集をみる。

巻物に続く大トリがお待ち兼ねの伊勢海老。身包み剥がされ、こんな姿になってしまって!と一瞬思うも、
そんなことはすっかり忘れて、
口に含んだ素敵な甘さにただただにんまりしてしまいます(笑)。

時季や海況により左右されてやりくりする必要は勿論あるのだけれど、
相模湾周辺から眼下の真鶴港に揚がる地物の魚介を極力供したい。
そう、大将は仰る。
それを八丁堀で鍛えた(笑)、手練で繰り出してくれるし、
そのステージや背景が素晴らしい。
加えて、大将や女将さんから自ずと滲み出るひと当たりの良さも、
大きな魅力なのであります。

八丁堀・入船で人気を集めた「伊藤家のつぼ」は今、
真鶴半島の真ん中の粋な佇まいの中に在る。此処が「伊藤家」「伊とう」となる前は、
旅館をリノベーションして、
岡本太郎作のユニークな「河童像」が出迎える、
アートミュージアムであったらしい。

アートミュージアム閉鎖後の建物を手に入れて、
あちこち傷みのきていた内外装に手を入れて、
雰囲気に似合うアンティークな家具を揃え、
大きなカウンターを重石に据えた鮨「伊とう」には、
なんとお泊りが出来る。宿泊場所となる二階の肘掛け縁からも勿論、
相模湾の青に臨むことが出来る。
そう、お泊りしちゃえば、車の運転の心配もないまま、
お酒をお供に大将の料理や握り、お喋りを堪能できるのです(笑)。

「伊とう」
神奈川県足柄下郡真鶴町真鶴1200-18 [Map] 0465-87-6460
http://manadurunoitoke.blog.jp/

column/03757

和食「松うら」で一品勝負の天丼の湯気と六月の晦日の夏越ごはん

市場通りと鍛冶橋通りが交叉する八丁堀駅前交差点。
交差点の北東側の角に建つ「WISE OWL HOSTEL」の一角には、昼に夜にお世話になっている「フクロウ」がある。
同じ区画には夙に知られたスタンドバー「maru」や大食漢たちのオアシス「八丁堀食堂」がある。
町の中華「十八番」の方へと折れ入った処には、イタリアワイン呑まぬひとお断りのワインバー「metameta」がひっそりとある。

その先の「串八珍」の脇から、
「フクロウ」の横手へと抜けて行く裏道がある。
春先のある日。
移転した居酒屋「海」の前を通り過ぎた処で、
散り掛けの花を咲かせた梅の枝振りに目を留めました。当の梅の木の前に立つとその奥の行燈に灯りが点ってる。
此処は確か、以前「日比」という居酒屋ではなかったでしょか。

店先のA看板にあったように、
此方のランチは基本的に一品勝負。
カウンターから厨房の様子をぼんやりと眺めて暫し。
「天丼」が湯気を上げてやってきました。単純に海老の二尾いる光景が嬉しい(笑)。
それに茗荷の天ぷらもまた想定外の嬉しさ。
濃くて黒いヤツなんかでない、
ほんのり甘めのツユにさっと潜らせた塩梅も悪くない。

季節は移ろって空梅雨の頃。
稲庭うどんのお誘いに乗ってカウンターに就く。
するとたった3食限定にて「夏越ごはん」もあると云う。夏越と書いて、なごしと読む。
卓上に小さな冊子があってそれによると、
「夏越の祓い」とは、
一年の前半の最終日にあたる六月の晦日に行われるお祓いの神事。
神社で「茅の輪くぐり」を行うのは、
一年の前半の罪や穢れを払い、
残りの半年間の無病息災を祈るもの。
半年の区切りに行うものだとは、
恥ずかしながら知らんかったであります(汗)。

然らばということでお願いした「夏越ごはん」。
茅の輪の由来からくる粟や豆を用いるのが基本線のようですが、
ざっくり云えば夏野菜の掻き揚げ丼。夏野菜をたっぷり摂って、
夏を乗り切る準備をしようねと囁いてくれていると思えば、
それもまた有難いことではありませんか。

八丁堀駅前交差点近くの裏道に和食「松うら」はある。旬のお造りの盛り合わせから尼鯛一潮焼き、帆立香り揚げ、
蓮根餅揚げ出しに自家しゅうまい煮、ばち子等々。
或る日の夜の品書きにはそんな気取りのない酒肴の件が並ぶ。
気の置けない気分でふらっと、
宵の口にも寄ってみたいなと思います。

「松うら」
中央区八丁堀3-23-9 カネコビル1F [Map] 03-5543-6268

column/03728