蕎麦處「更科丸屋」の角から喫茶「バロン」へと至る裏道を往くと、五月晴れの日差しに青々とした柳が飾る黒塀が見えてきます。
看板に読むは、「割烹 躍金樓」。
明治初期創業の風格がオーラとして滲み出ていて、周囲をちょっと乙な空気にしています。
向かって左手の入口がおそらく、広間や座敷へと至る、割烹正規の玄関で、向かって右手にあるのが「すたんど」と呼ぶカウンターやテーブル・小あがりのフロア。
会席料理が中心となる座敷とカジュアル版「すたんど」フロアを入口から区分しているあたりにも一種の歴史性を感じます。
お邪魔するのは勿論、「すたんど」の方(笑)。
お母さんに「てんぷら?」と訊かれて頷けば、そのまま自動的にカウンターへどうぞ、となる。
ちょっとヘソ曲がりして「煮おろしを」と応えると、あらそ~ぉ的にほんのちょっぴり意外そうな面持ちで、二人掛けのテーブルへと案内してくれます。
「かれい揚げおろし」や「かれい煮」だったら銀座「唐井筒」だよなぁなどと考えつつ、カウンターの中から響く天ぷらの揚げ音を聞きながら待つひととき。
「鰈の煮おろし膳」のお皿たちがやってきました。
こんもりたっぷりと盛られた細やかな大根おろし。
「唐井筒」の「揚げおろし」のイメージのまま、その大根おろしの山に箸を挿し込むと、なんと空振り(笑)。
あれあれ?っと思って箸の先で探るようにすると、とても上品なサイズの鰈の身が見つかりました。
出汁の感じや味付けはいい感じなので、ぜひぜひそこそこなボリュームにしてほしいいなぁと、そう思います。
ヘソ曲がりオーダーその2は、「豚角煮膳」。
今度はダイジョウブ、と自らに言い聞かせるように開いたお椀の中には、図らずもこれまた上品なサイズのふた切れほどの角煮に茄子と大根。
そうか、そうだよ。
会席のお店だということをすっかり忘れておりました。
「膳」として、定食仕様にしてくれてはいるものの、そのまんま酒肴にしちゃっていいですよという風情は譲れない、といったところでしょうか。
性懲りもなく、「天麩羅膳」以外のヘソ曲がりオーダーその3にと、「天丼膳」。
三度とも同じテーブルの同じ席。
返すどんぶりの蓋の先は、およそ想定した通り。
海老、茄子、南瓜なぞが、あっさり目のタレを纏って、あくまで品良く佇んでいます。
やっぱり「すたんど」では、素直にカウンターに座って「天麩羅膳」をいただくのがいいのだねとやっとこ判った梅雨前の頃でありました。
創業明治六年(1873年)の割烹「躍金樓(てっきんろう)」。
吉原に移転する前の花街の名残りがあるとすれば、唯一この店か。
店先のリーフレットにその名の由来が示してある。
“「躍金楼」という珍しい名前は、中国・北宋の詩人、范仲淹の「岳陽楼記」の一節、「長煙一空 皓月千里 浮光躍金 静影沈壁」から名付けられました。
光で照らされ輝く波と魚の鱗が金色に躍る様子を、当店から見えた築地の海になぞらえて、活のいい魚料理を出すお店であれ、との思いを託したと伝えられております。”
海が間近まで迫っていた往時の光景を思い浮かべてみたりして。
そうだ、築地はそもそも埋立地、だもんね。
「新富芸者とお座敷遊びの会」、なんて催しもあるみたいですよ。
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「躍金樓」
中央区新富1-10-4
[Map] 03-3553-0365
http://www.tekkinro.com/
column/02990