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居酒屋「みますや」でこれでいいこれがいい今もある飴色の居心地と看板建築の緑青と

かつての東京市神田区に連雀町という町が存在した。
1923年(大正12年)に起きた関東大震災の後に区画整理がなされて、須田町や淡路町の一部となって、その名はなくなった。
そんな旧連雀町界隈には、「神田まつや」本店や鮟鱇料理の「いせ源」、鳥すきやきの「ぼたん」、甘味処「竹むら」など、震災後に建てられた古き良き時代の佇まいを維持し、風情ある景観を魅せてくれています。
この一角が第二次大戦の東京空襲で焼け残ったことで、
歴史的な建造物が居並ぶ景色がある。
焼失した「かんだやぶそば」も旧来を偲ばせるような姿で、
2014年に営業を再開したのは、ご存じの通り。

旧連雀町であるところの、
神田須田町や淡路町から目と鼻の先、
神田司町の裏道にも、
往時を思わせる看板建築の建物がある。
二階外壁に張られた銅板の緑青(ろくしょう)の、
深い青緑色が独特の雰囲気を醸し出す。 界隈に夕闇が近づく気配がしてくると、
その建物の引き戸の前には縄暖簾が下がり、
紅く使い込んだ提灯に灯が点る。
そう、此方もご存じ、「みますや」の開店だ。

久し振りだなぁ、
やっぱり”飴色”と表現するのが相応しいなぁ。
そう思いつつ案内に従うまま、
ずずずいっと突き当りのテーブルへ。
間口は狭くて、こじんまりした店のようにも映るが、
左手にも小上がり席があり、
ひと区切り向こうの右手にもテーブルが並ぶ。
さらに奥にも部屋がある様子だ。
どうやら130席もあるらしい。

頭上を見遣れば、
これまた飴色の扁額が迎えてくれる。 厨房とホールとの接点には、
使い込まれたアルミのお盆や幾多の小皿たちが、
活躍は今か今かとスタンバっている。

そのまま天井を見上げれば、
梁や根太、小梁の上に板が張られているのが分かる。
もしかしたら二階の床板の裏を見上げている、
そんな格好かもしれない。 二階はどうなっているのか、
一度上がってみたい気もする(^^)。

間仕切りの開口部に沿って、
ずらっと品書きの黒い短冊が並ぶ。 文字が滲んで読み難いのはご愛敬、だ。

或る日のお通しは、
湯掻いた海老にポテトサラダ。 ホールの兄さん姐さんに声をかけるのに、
小上がり席辺りだと、少々難儀するけれど、
厨房前ならその点、ラクチンであります。
さ、何を註文しようかな。

例えば、「こはだ酢」。 塩加減、酢加減や、よし。
これでいいのだ。
これがいいのだ。

例えば、「まぐろさしみ」に「いかさしみ」。 うんうん。
これでいいのだ。
これがいいのだ。
烏賊の甘みが愉しめる。
品書きには、”文甲”という表記だったけど、
紋甲烏賊って、文甲とも書くのかな。

次第に耳が慣れてきて、
店内のガヤガヤの喧騒が、
一定のトーンに収束されてくる。
煩い、ではなく、
店内の音場に包まれて、
馴染んでくるのが判る。

例えば、「牛煮込み」。 極限まで薄くスライスした上に、
中弱火あたりでことこと炊いた様子が、
口当たりの柔らかさから伝わる感じ。
麦酒にも酒にも飯にも合いそうだ。
これでいいのだ。
これがいいのだ。

例えば、「さと芋煮付」に「きんぴら」。 素朴なるこのふた品が何気に嬉しい、
そんな年嵩に漸くなってきた。
これでいいのだ。
これがいいのだ。

燗酒は、「白鷹」。
その昔は、如何にもアル添を思わせる、
そんな清酒も巷にあったけど、
今はそれを探すのも難しいことに思い至る。
これでいいのだ。
これがいいのだ。

例えば、「柳川なべ」。 ふと、「どぜう飯田屋」の座敷を思い出す。
未だにオトナになれないのか、それとも、
未だに”粋”を覚えられないからか、
泥鰌は、丸より開きがいい。
そんなことを考えながら、するっと平らげる。
これでいいのだ。
これがいいのだ。

例えば、「あなご煮付」。 型は小さく、身が薄いような、
そんな気もするけれど気のせいだ。
煮付けたシミシミ具合は悪くない。
これでいいのだ。
これがいいのだ。

例えば、「厚焼玉子」。 素直な甘味がありつつ甘過ぎない。
それが厚焼き玉子の本懐でありましょう。
これでいいのだ。
これがいいのだ。

例えば、「焼とり三本」。 角皿にすっとカタチよく収まっていて、
二本でも五本でもないところが、好ましい。
これでいいのだ。
これがいいのだ。

例えば、「揚出し豆腐」。 どちらがと聞かれれば、
片栗粉の衣のヤツの出来立てが、
好みではあるけれど、
これでいいのだ。
これがいいのだ。

例えば、「焼おにぎり」。 さんざん食べて呑んだ挙句にも、
飯粒とその芳ばしさが欲しい時もある。
これでいいのだ。
これがいいのだ。

急な階段の裏にある帳場で、
お会計を待ちつつ卓上を眺める。
そこには溢れんばかりに伝票が並んでる。
これでよく取り違えたり入り繰ったり、
そんなことが起きないものだと感心したりする。
これでいいのか。
これでいいのだ。
断然電子決済派の自分でも、
此処ではニコニコ現金払いでいたい。
クレジットカード払いも出来なくていい。
ましてや各テーブルに、
ipadやQRコードのPOPが並んでいる、
そんな光景は此処では似合わない。

旧東京市神田区の一角。
ひっそりとした神田司町の裏通りに、
居酒屋「みますや」は、ある。 飴色の店内の居心地がいい。
看板建築の緑青が醸し出す雰囲気がいい。
店名「みますや」は、開業当時のご主人が、
浅草の神社で縁起の良い店の名として、
授かったことに由来する、らしい。
切妻屋根を載せた和風意匠の袖看板には、
創業明治三十八年(1905年)とある。
当然改修や増改築の手は入っているとしても、
1923年(大正12年)の関東大震災や、
1945年(昭和20年)の東京大空襲を潜り抜けて、
今に現存しているということになる。
東京最古の居酒屋のひとつに数えても、
なんの不思議も差し支えも、きっとない。
そして今年は、創業120年、ですね。

「みますや」
東京都千代田区神田司町2-15-2 [Map]
03-3294-5433

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