天竜川を渡る伊那街道との交わるのが入舟という交差点。 アーケードは暗く、ひと通りがほとんどなくって、ちょっと心細い感じ。 と、「ローメン萬里→」の看板が頭上を照らしているのが見つかりました。 交差点近くの怪しい路地を覗くと、その先左手に「萬里」と示す看板の灯り。 ここだ!と足を早めつつ、ふと隅切りには建物を横目にすると、 そこには「ローメン誕生の地記念碑」の在り処を示す看板が。 えぇ?っと踵を返して、もう既に店先の灯りを落とした「屋台」という名の入口脇を凝視する。ありました、暗がりの中にそれらしき石碑が。 石碑を建ててしまうほどの偉業なのだなぁ(笑)と感心しながら、 路地奥の灯りの方へと進みます。 まだ営ってますよね、と呟きながら扉を開けた店内は、積年の気合も滲む中華居酒屋風。不思議な方向を向いたカウンター席ではなくて、小上がりに席をいただきましょう。
何気なく、その脇の棚をみると、蜥蜴的フォルムの生き物が硝子越しにこちらを眺めてる。 げげ、っと思って見返すと、マムシやらコブラといった蛇の類にスズメ蜂や百足にも見える者々が酒漬けにされているのです。中には、オットセイのペニスなんかも…。 トライ!しないよねーと笑いながら、メニューをしげしげと眺めます。 「伝統料理」という章には、これまた何気なく「豚の頭」とか「ダチョウの刺身」、「サホークのたたき」といった料理名が書かれています。 「サホークのたたき」ってなんだろう(サホーク=羊のサホーク種のこと)。 いやいやそうじゃない!と頭を振って(笑)、「焼きギョウザ」を注文します。 「ロウサイ」というのもいただいて、シェアしましょう。
「ロウサイ」というのは、「ローメン」的野菜炒めこと。一見普通の野菜炒めですが、独特の甘さを含んだ不思議な味付けがいたします。 極々一般的に思う「焼きギョウザ」をぺろっと平らげたところへ、お待ちかねの「ローメン」基本形がやってきました。 ラーメンのドンブリよりは明らかに浅い、でもチャーハン皿よりは深くて大きいお皿。 そこにスープをそこそこ湛えながら、太い麺の表情を剥き出しにして、キャベツを中心にしたトッピング。スープだけを啜ってみると、鶏ガラベースと思うスープに、見掛けに違う実に控えめな味付け。 「伊那名物ローメンのおいしい食べ方」に書いてあったのは、なるほどそういうことですか。 指南に従って、卓上のソースと酢をひと回し。 餃子も食べちゃったし、とニンニクもほんの少々加えます(笑)。 どうやら、もっとソース味の濃いのがいいとか、胡麻油を足してコクを加えたのが好みだとか、七味で辛くしちゃうのが俺流だとかと、自分の好みの味に仕立てちゃうことが前提となっているのが「ローメン」の個性なのだ。 こんなもんかなとひとまず味付けを整えて、トッピングと一緒に太目の麺を鷲掴み、啜ります。 麺はと云えば、ちょっと揚げて、蒸して、ちょっと放っておいたものをさっと湯掻いたような、そんな感じ。茹で置きの沖縄そばともまた違う、ややぽそぽそ感が独特な個性だ。 キャベツの甘さと一緒に「ローメン」のもうひとつの個性を発揮しているのが、具材のお肉。 それは、豚でも牛でもなく、羊肉なのだ。 子牛肉のラムではなくて、マトンだと考えるのが順当なところだろうね。 石垣の山羊そばも全然美味しくいただける性質なので、仄かな匂いも気にならず、悪くない風味だと思うのだけど、ダメなひとはダメなのかもね。
ふたつ折のチラシには、「ローメンの誕生」をこう紹介している。 東京・横浜で修行をして、故郷の伊那に帰り、小さな店を出した青年(先代)は、冷蔵庫が普及していない時代に仕入れた麺を如何に保存するかに試行錯誤を重ねていた。 ある日、麺を蒸してみると、不思議に独特の風味と歯応えのある麺に仕上がり、日持ちすることを知る。 一方、当時の伊那地方では羊毛産業が盛んだったが、羊の肉を食べる習慣がなかったこともあって、安く仕入れることができた。 そこで先代は、羊肉を地場産のキャベツと蒸した麺とを一緒に蒸し煮にする料理を考案したのです。 当初、「チャーローメン(炒肉麺)」と名付けた料理は後に、「チャー(炒)」が外れ、ラーメンと語呂の合うことから「ローメン」と呼ばれるようになった。 「ローメン誕生」、それは、昭和30年8月の暑い日でありました。
伊那を代表する地元グルメのひとつ、「ローメン」を生んだ店「萬里(ばんり)」。出自のいまひとつ判らない”伝統料理”や強壮酒のラインナップも独特の雰囲気を呼んでいる。 ちょっと気掛かりな夏季メニュー、「冷やしローメン」をいただく機会は果たしてありやなしや。 スタンド看板に万里の長城らしきイラストが描かれていることから、店名「萬里」の由来はそのあたりにありそうです。
「萬里」 長野県伊那市大字伊那坂下入舟町3308入舟会館 [Map] 0265-72-3347
column/03125