白川通今出川の信号から白川疏水通に沿って向かう、その先は銀閣寺。 霧雨に濡れる東山慈照寺も風流なのではと思いつつ、 立ち止ったのは銀閣寺交番の前。 バブル再来(笑)のグヤ兄さんの日記に誘われて、 そのお向かいにある「草喰 なかひがし」を訪ねます。
鯉をあしらった暖簾の脇の木札の一文はこう読める。「お竃はんの御飯に炭火の肴と山野草を添えて」。 12席のカウンターは既に満席だ。
急なお席にお越しいただき有難う御座います、 とご挨拶いただき見据える厨房には、朱の色に飾ったおくどさん。既に湯気が上がり始めている土鍋。 お安い方のコースをいただきましょう。
朱の盆に用意されたのは、八寸にあたるもの。 竹の皮と併せて虎杖の葉を敷いている。 ぼそぼそとした調子で説いてくれるご主人の声に耳を欹てます。小魚の干物ヒイラギとえんどう豆の塩焼き、漉油の油炒め 白い花は、野人参、田芹。 虎杖を炊いた煮汁とライスペーパーで包んだそう。
何かの儀式作法か、お呪いにでも使いそうな草の束。 五月皐月は端午の節句ということで蓬を巻いている、とご主人曰く。 そうか蓬も生でいけるのかと口を半分開いたところで、ちょっと待てよと訊ねたら、 それは食べるものではありません(笑)。
唯一の器には、筍とウドの木の芽和え。 しゃくっとした歯応えは、春に芽吹いたウドの茎あたりか。くるくるとそして恭しく紐を解く粽。 中から顔を出したのは鯖寿司だ。
ご主人がおくどさんの前に立ち、土鍋の蓋を外し、 軽妙な手つきですっとよそう茶碗にひと口の。成程、炊き上がりのアルデンテなご飯からふくよかな甘さが湧き立ちます。
耳盃(ぢはい)と呼ぶ中国の盃に盛ったのは、 こごみのお浸し、炊いて乾燥させた土筆にわさび菜。出汁を敷き、トッピングには鹿の脛肉を干し肉にしたもの。 土筆の苦みが大人の美味しさ。 ご主人は、端午の節句にひっかけてか、 子供に帰って存分にスネを齧っていただいて、とニヤリとしますが、 ちょっと無理があるぞと苦笑してしまいます(笑)。
女将さんにお銚子のお代りをお願いしてふと眺める三和土。ここにも凛とした佇まいの表情がある。 実はもっと枯れて鄙びたお店を勝手に想像していて、 暖簾を潜った時に少々意外に思った瞬間が蘇ります。
お椀は白味噌、玉葱の焼いたものに鞘豆、芥子をちょん。深くてさらっとした旨味にうーむと唸ります。
岩魚の塩焼きは、曰く、ドラゴンの見立て。 骨酒にとパリパリに芳ばしく焼いた骨が今にも動かんばかりの気配を漂わせる。 あさかぜ胡瓜を蛇腹にして、そこに20年前からの味噌を載せている。
五月、鯉幟でありまして、と届いたお皿。三ヶ月間地下水で飼いならしたという鯉を細造りに。 所謂「洗い」ではないのだねと、そのお造りを口に含めばなるほど、 一切の臭みなく、こんなに繊細な甘さが鯉の身に宿るのかと感心しちゃう。 風車にした虎杖、烏野豌豆、ウドの芽などの褄に、 湯引きした鯉の皮、鯉の骨の煮凝り、 お皿の隅には鯉の鱗を揚げたものが添えてある。 こうして鯉の鱗をいただくのは、初めてだ。
ささがきにした蕗を波に見立て、その下に鮎が泳いでいるの絵。枕にしているのは、炊いた竹の子に水菜。 こんな風に、季節の絵画を器に表現する趣きも「なかひがし」の個性のひとつなのでしょう。
ちょうど2本目のお銚子が空いたところでお食事となる。小皿のひとつには、蕨なぞの味噌和えに葱坊主を散らしたもの。
茶碗の向こうの角皿には、 ご主人が見映えあるよう改めてカタチを整えてくれた目刺し一匹。「なかひがし」の料理たちが質実であることを象徴するお皿でもあるのだね。
ご飯にはまず、鮮やかに木の芽をたっぷりと。そしてご主人から、巴里、紐育と参りますかと云われてきょとんとする(笑)。 フランスの塩でパリパリっといただくおこげをパリと呼び、 おこげに大根おろし、梅肉、白湯を注いでニューヨークと称して洒落る。 そんなご愛嬌に和むのもまた「なかひがし」の魅力であります。
デザートは、朝採れの苺に胡麻豆腐のシャーベット。 涼味がゆるゆると解けた気分をさらにゆったりとさせてくれます。
銀閣寺道に草喰料理の舞台、「草喰(そうじき)なかひがし」。ご主人がその名も中東久雄さん。 花背の摘草料理「野草一味庵 美山荘」先代の弟さんであるらしい。 山野草を主とした季節の滋味を慈しむように器に描いた馳走たちでのおもてなし。 振り返れば、すっきりとした出汁の旨みが蘇るあたりもニクいところかと。
「草喰 なかひがし」 京都市左京区浄土寺石橋町32-3 [Map] 075-752-3500
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