
今は航空公園にある所沢の市庁舎。
航空公園に移転する前は旧町の宮本町に本庁舎があったのだけど、今は何に使われているのかな。
その旧庁舎の向かいには、
所沢唯一と思う醤油蔵「深井醤油」。
そして旧庁舎の裏手には、
小さな神社、所沢神明社がある。
久し振りに旧庁舎裏手から神明社の階段を上る。

ベンチに座って読書する女性の脇を抜け、手水舎で両手を清め、お参りします。
正月の頃の境内しかおよそ知らないので、反って厳かな気持ちになるもので。
戻る途中から今度は、横手の階段へ進んでみます。

こちらの参道は、峰の坂からのアプローチ。
ゆっくりと一歩一歩降りていきましょう。
参道入口近く、峰の坂の中程で見つける櫨色の暖簾。


足元の看板が示すは、名物焼だんご、武蔵屋。
ふとトタン屋根だった頃の店先を思い出します。
ガラガラっと引き戸を開けて、二本だけで御免なさいと声を掛けます。
ちょうど一緒になって、同時に注文したオバさまは、お持ち帰り10本オーダー。
ボクはココでいただいていきますと、既に白いだんごの串を手にした姐さんに伝えます。
ちょっと失礼して、店の外から硝子越しにだんごを焼く様子を拝見する。


当然ながらの慣れた所作で、
団扇を煽り、並びを整え、醤油タレに潜らせては、また団扇を煽る。
はい、お待ちどうさまと小皿に載った焼きだんご。

炭火に炙られ、ちょっと焦げたあたりの芳ばしさに漂う醤油の香り。
ちょっと粗めに捏ねた感じの歯応えと醤油の甘辛さが郷愁を誘う。
醤油はきっとご近所、深井醤油のものなのでしょう。
一緒に居合わせたオバさまは、
ちょっと焦げ目を多くして!なんて注文をしてた。

オバさま、なるほど、通ですなぁ(笑)。
壁に掛かった額には、所沢焼だんごの由来が示してある。

康正元年(1455年)、かの太田道灌が、
江戸城を構築中に鷹狩りにと武蔵野の地を訪れた。
その際に土着の名族が手捏ね団子を焼き、自製の醤油につけて献じたところ、
道灌の賞賛を得たのが名物となってゆくきっかけであったと。
道灌団子とも呼ばれた焼きだんごは、永き歳月の間に徐々に幾分かの変遷を遂げて、
今の竹串に刺したスタイルになったのは、享保年間からと云われているよう。
そしてその頃から、”所沢名物焼だんご”と称されるようになった、とある。
そうか、所沢の焼きだんごは、そもそもは”道灌団子”であったのだね。
峰の坂中程、所沢神明社の参道口辺り。
昭和35年創業、所沢名物焼だんごの老舗「武蔵屋」。

額の文書は、こんな句で結んでいます。
武蔵野に鷹狩りをせし道灌の歌宴を偲ぶ焼だんごかな 惣五郎
「武蔵屋」
所沢市宮本町1-8-14
[Map] 04-2922-5614
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