wikiによると、1927年(昭和2年)に東京横浜電鉄東横線(現在の東急東横線)が開通して九品仏前駅が設置され、同年に自由ヶ丘学園が開校する。
1929年(昭和4年)に目黒蒲田電鉄二子玉川線(現在の東急大井町線)開通により九品仏の門前に駅が開設されることになり、この新駅が九品仏駅を名乗ることになったことから九品仏前駅は「自由ヶ丘駅」と改称された。
自由ヶ丘学園の名称は駅名として取り入れられるだけでなく当地の通称としても定着し、1932年(昭和7年)には駅周辺の地名を統廃合して自由ヶ丘を新設、東京市域拡張時に東京市目黒区自由ヶ丘となった。
1965年(昭和40年)の住居表示施行時には「自由が丘」となり、その翌年には、駅名も「自由が丘駅」に改称された、とある。
元々は「九品仏前駅」だった「自由が丘駅」の正面口。改修されたロータリーに面して今も佇むは、
自由が丘のランドマーク「自由が丘デパート」だ。
1953(昭和28)年開業という自由が丘デパートは、
ご多分に漏れず階高が低くて、天井が近い。踏み面が短くて上り下りし難いのも味な階段を
えっちらと3階まで上がればそこにあるのが、
ハンガリーレストラン「キッチン カントリー」だ。
お隣のジュエルショップ一誠堂を見下ろす窓際のテーブルにて、
メニューに見付けたウォッカサワーでアペリティフ。カシス割りのグラスはまるでジュースのようで、
ウォッカがじわじわ効いてくる一杯であります(笑)。
訪ねたことはないけれど、
ハンガリーと云えばやっぱりここからと「グヤーシュスープ」。紛うことなきパプリカ色のスープ。
ハンガリーのグヤーシュが伝播して、
ザルツブルクなぞでいただいた「グーラッシュ」になったと聞く。
割と濃密なシチューであるという印象のグーラッシュに対して、
いただいたグヤーシュはバシャバシャのスープ。
どこでどう変化していったのか、
似て非なるところが面白いでありますね。
ぐるぐる選び悩んたメインには、
「グリルチキン カントリー風」。揚げ焼き気味の皮目のジューシーな身肉もいい。
「ハンガリー風チキンパプリカ」に対して、
一転しっかり濃密なデミソースを纏わせた辺りが、
“カントリー風”なのかもしれません。
日を改めてお邪魔したひ昼下りにはビールな気分。選んだのはハンガリーのお隣、
クロアチアのラガー「PAN」。
なんとなく地中海のニュアンスを思うのは気のせいでせうか(笑)。
硝子越しに臨むは西日を浴び始めた東急ビル。渋谷方面ホームに停まる電車の姿もまた眺められる。
それを目当てにテッチャンが此処を訪れるという噂は、
今のところ聞こえてきませんけれど(笑)。
なにかスープをとメニューを眺め直して目に留まったのが、
「冷製サクランボスープ」。冷たいスープ専用と思しきうすはり的グラスには、
氷水に差した葉の緑が瑞々しい。
サワークリームの恩恵か、
サクランボの甘さや酸味をそのまま倍加させたようなスープが美味しい。
夏の日にもすっと和ませてくれよなスープであります。
やっぱりパプリカづかいの料理を何かと、
「ハンガリーパプリカライス」をご註文。日本の食卓ではまだまだ、
定番の材料にはなり切ってはいないと思うパプリカも、
彼の地ではきっと欠かせない食材なのだろうなと思いつつ、
あっという間に平らげてしまうのでありました(笑)。
自由が丘のランドマーク自由が丘デパートに、
ハンガリーレストラン「キッチン カントリー」がある。ハンガリー料理のレストランは都内に何軒もはきっとない。
そう考えるともっと通っておけばよかったなと、
離れてしまってからそう思う。
準備組合が設立され再開発の機運蠢くという自由が丘駅前にあって、
ランドマーク「自由が丘デパート」は、
いつまでその佇まいを留めていてくれるのでしょうか。
「キッチン カントリー」
目黒区自由が丘1-28-8 自由が丘デパート3F [Map] 03-3717-4790
http://www.restaurant-country.co.jp/