洋食スタンド「むさしや」で定番ナポにオムライスハンバーグ丼にカレースパもいい

musashiya既に取り壊しが始まってしまった武蔵小山を筆頭に、駅前の再開発が話題に上る場所が幾つもある。
国分寺駅の北口はきっともう随分と様変わりしちゃったのだろうなと思ったり。
横にも縦にも大規模な再開発が動き出している渋谷駅の北側にあるのんべい横丁から宮下公園の区画にも魔の手が伸びるのもそう遠くないのではと思ったり。
嘗てその1/3が消失するという火災に遭った、新宿西口の俗称ションベン横丁に対しても、地図を塗り替えてやろうと画策している輩がいるに違いないと思ったり。

ハモニカ横丁と呼ばれて人気の、
吉祥寺北口駅前の商店街も元はと云えば戦後の闇市が起源。
闇市の後の横丁路地の粋でオツな風情が今や、
失いたくない稀少なものになりつつあるのです。

新橋駅西口駅前にデンと構えるニュー新橋ビルも、
戦後の闇市をルーツとする区画に建つビル。
此処は既に、疎ましく思う再開発を半世紀近くも前に断行して、
昭和の匂い芬々の雑居ビルとして親しまれてきています。

そんなニュー新橋ビルの一階商店会、
南西の角寄りにあるのが、皆さんご存知「むさしや」。musashiya01嘗ての白い暖簾から今は、
シャビーな縄暖簾で匿ったカウンターの上には、
当地の旧住所が示してある。
東京市芝區烏森四。
現在の23区部に相当する地域であった東京市は、
1878年(明治21年)の当初設けられた東京15区から、
1932年(昭和4年)の東京35区、現在の東京23区と、
市を構成する区が変遷している。
その中に、芝区とか神田区とか、日本橋区、京橋区なんかがあったンだ。
大田区の前身が実は大森区と蒲田区であることは、
知られているようで知らないひとも結構いたりするよね(笑)。

久し振りに「むさしや」の「ナポリタン」。musashiya02musashiya03もうひと超え炒め切ってくれたらいいのにな、
っていうのが正直な感想になる。
ナポリタンって、一定の地点までは、
鍋を返した回数が美味しさに比例するのではと秘かに思ってる。
そこでどうしても思い浮かべ比べてしまうのが、
同じビルの二階にある喫茶店「POWA」のナポリタン。
いやいや「POWA」のナポが美味し過ぎるからイケナイのです(汗)。

ガッツリめに喰らう感じでいきたいなと考えながら、
空席待ちの列に並んだなら、
自家製煮込みの「ハンバーグ丼」がいい。musashiya04musashiya05濃密なデミソースに包まれたコロンとしたハンバーグ。
たっぷりのソースがなにより嬉しい。
スプーンの脇でハンバーグを切り崩しては、
デミソースと一緒にライスを掬う。
刻みハンバーグ付きのデミソースライス、
ってな食べ方をどうかお赦しください(汗)。

「むさしや」のカウンターは、ひとりでも多く座れるように、
厨房側への入口にも板を渡してくれている。musashiya06図らずも覗く格好になる厨房は、
当然のように狭くて年季が入っていて、
雑前とはしているけれど、
小忠実に掃除している様子が窺えます。

「むさしや」自ら謳う代表メニューのひとつが「オムライス」。musashiya07musashiya08フライパンを操ってくれている御仁は、
これまで通算して幾度、玉子で包む所作を繰り返しているのでしょう。
半熟の表情を湛えながら薄く均一にケチャップライスを包んだ玉子に、
手練の為せる技を思います。

シンプルに「カレー」でもいただこうと思い描きながら、
空席待ちの列に並んだおひる時。musashiya09気が付けば何故か、
カレーはカレーでも「カレースパゲティ」を註文していました。
カレー粉によるものが故か、
太麺の炒め具合必要十分で、なかなかいい。
ふと「ジャポネ」の「インディアン」もこんな炒麺だったら、
もっといいのになと思ったりして(笑)。

闇市の気配を残すニュー新橋ビルのメインコーナーに、
明治創業と謳う洋食スタンド「むさしや」がある。musashiya10中央の幕板に示した創業年は、明治拾八年。
ニュー新橋ビルの竣工が1971年(昭和46年)のことなので、
ビルが建つずっとずっと前に創業していたお店ということになる。
時代はぐるっと巡って、二度目の再開発が発表されたニュー新橋ビル。
南側の桜田公園あたりまでに陣地を広げての二棟立てらしいけど、
その一角にも「むさしや」の名があることを秘かに願っています。

「むさしや」
港区新橋2-16-1 ニュー新橋ビル1F [Map] 03-3501-3603

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