桜通りが華やかになるにはまだちょっと早いなぁとか。
カキボールちっくな牡蠣フライの「日本橋 今泉」は健在かしらんとか。
「お多幸」本店の「とうめし」には随分ご無沙汰しているなぁとか。
めん徳「二代目つじ田」のお隣の「三洲屋」八重洲店は今、ランチ営業を止めちゃってるんだなぁとか。
ぐっと八重洲通り寄りにやってきて目に留まったのが、赤い煉瓦タイルの外装に専用の三角屋根をいただいた提灯を提げた建物。櫻正宗提供の袖看板には、割烹「嶋村」とあります。
店先に佇んで横木の品書きを覗き込む。夜の様子は不明ながら、お昼食ならなんとかいただけそうな料理もありそうです。
藍色の暖簾を潜ると、手前にテーブル席が数卓あって、その奥には厨房に向かうカウンター席がある。
カウンターが一杯のタイミングだったのか、テーブルへのご案内です。
きびきび立ち動く仲居さん的な姐さんにお願いしたのが「金ぷら重」。丸いお重の蓋の隙間から海老の尻尾が飛び出しています。
蓋をパカリと外せば、意外とシンプルな見栄えのお重。それは、背腸を外して摘んで伸ばして形を整えて衣をつけて揚げる様子が素直に想像出来る佇まい。
矢鱈胡麻油芬芬とか、矢鱈濃いぃタレに漬けるとかの押し出しの強い江戸前天婦羅ではなく、気取らず端正な海老天婦羅。
卵黄を多く使って衣がやや黄色味がかっているのも「金ぷら」たるところなのでしょう。
ご飯そのものも心なしか美味しいような気がします。
裏を返すようにして、今度は厨房覗くカウンター席。
見上げる藍染の暖簾には、蔦のような家紋が刻まれています。
お願いしたのは「錦どんぶり」。その名の通り、錦糸玉子がどんぶりの全面にフューチャーされ、中央に煌びやかにイクラの粒がごっそりと載る。
秋口に訪ねたら、採れ立て漬け立ての新鮮なイクラが載るのかなぁなぞと考えつつ山葵醤油を回し掛けて、箸を動かします。錦糸玉子の下には意外や、ひじきが一面に敷かれていて、錦糸玉子とのコントラストが増す仕組み。
うん、成る程ね。
帰り際、扉の手前の壁に掲げた額が目に留まる。所謂御料理番付で、右肩に安政六初冬とある。
安政6年は、1859年のこと。
その中央の枠の、行司と題した部分の最下段に檜物町(ひものまち)嶋村とある。
最下段に並んだ山谷・八百善、深川・平清と嶋村はともに、勧進元という最高ランクの位置付けであったらしい。
これだけで150年を超える歴史があることが判ります。
老舗割烹「嶋村」の創業は、嘉永三年(1850年)のこと。仕出しの店として日本橋に興したのが始まりであるらしい。
時の将軍徳川家慶の頃に創業し、明治維新後に仕出しの店から料亭となったという。
そんな歴史を湛えつつ、客を妙に畏まらせるような気高い気取りを感じさせないのがいいね。
「嶋村」
中央区八重洲1-8-6 嶋村ビル [Map] 03-3271-9963