
行政の機能が米軍から返還された広大な敷地の一隅へと移り、 町の賑いが所沢駅周辺に集中するに従って、銀座通りはひっそりとしていく。 アーケードもいつの間にか撤去されていました。
そんな所沢銀座通り。 旧庁舎も目と鼻の先、かつての警察横丁の手前の暗がりに、 ぽつねんと赤提灯が吊るされているのを見つけました。

果たしてどんなことになっているのか、戸に手を掛けるのを躊躇って躊躇して(笑)。 意を決して、そろりと引き戸から半身を入れる。 先客さんなく、女将さんがひとりのんびりとしているところ。 「いいですか」と訊いて、カウンターのひととなりました。
想像通りに雑然とした店内。

レンジでチンした燗のお酒をいただいて、胡麻よごしの付き出しを突きつつ。

寒き折、「おでん」の文字に挽かれてお願いをする。

今日は「もつ煮込み」仕込んでないのよと云う女将さんの背後、 通り側の換気扇の下に焼き台をみつけて、焼き鳥いいですか、と品書きを改める。

「とりねぎ間」もきっと輸入冷凍品なんかじゃなくて、 女将さんがゆっくりと串にしたものと信じたい。

失礼ながら、70歳もそろそろではないかとお見受けする女将さん。 訊けば、昭和36年からこの店を営んでいるそう。 若くして水商売を始めるまでには、時代の流れの中で色々とあったらしい。 旧町で育った者ですと云うと、問わず語りのように往時の話をしてくれました。
所沢飛行場(明治44年開設)へと沢山の役人や軍人ほか関係者訪れるようになって、 今の有楽町の辺りには、花町(遊郭)ができた。 旅館や料亭もあって、それは賑やかな歓楽街であった。
今は、「三好亭」という料亭の古き建物にその面影をみる程度で、 花町があったという残り香はもうない。 大正、昭和と変遷し、今となれば想像し難いけれど、 それでもお店を始めた頃から暫くは、街の中心地として栄えていて、 ひとの行き来も多かったのよと遠い目をする女将さん。
そうそう、飛行機新道を下った旭橋の向こうの西武線のガードのところ、 あの左側に御幸町駅って駅があったということ知ってる?と訊かれた。 ふと、親父が懐かしそうに、 でもちょっと複雑な表情でその駅について話していたことを思い出す。
「末廣屋」って、今やめっちゃ古びた食堂のある辺りですよね、 ウチの親父がそんな話をしていたことがあって、 所沢ふるさと散歩っていう奇特なホームページに写真が載っていますよ、と応える。
あら、知ってたの、ね~、あんなところに駅があったなんてね。 戦後にはね、米軍の連中が行き来していたのよね、 と女将さんはまたちょっと遠い目をするのでありました。
「ラーメン」お願いできますか。

賑やかなりし頃の所沢旧町を知る女将営む小料理「はつかり」。

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「はつかり」 所沢市元町21-17 [Map] 04-2922-3929
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