あんこう鍋「いせ源」で 風間浦鮟鱇の刺身肝燻製と名代鍋の宴

isegen.jpg戦災の炎火から逃れた一角、神田須田町。 そう聞けばすぐさま、蕎麦の「まつや」、とんかつやカキフライの「万平」、その先の「神田やぶそば」なんかの佇まいを思い浮かべる。 そんな界隈でずっと気になりつつも訪れたことのない老舗がありました。 鳥すきやき「ぼたん」と並んで気掛かりだったのは、あんこう鍋の店「いせ源」です。

如月の末の頃。 秋葉原からアプローチして、いそいそと足を運んだ神田須田町。isegen01.jpg 「まるごと青森」のKuuさんにお招きいただいての、お初「いせ源」。 それは、名付けて「青森・風間浦(かざまうら)の活あんこうを”いせ源”で食す」会。 愉しみです。

ちょっぴり軋む、ちょっぴり迷路のような廊下を案内されて辿り着いた座敷。 ふと、桜なべ「中江」を訪れた時の映像がデジャヴのように脳裡を過ります。 老舗なお店の座敷には、同じ風情があるもンね。

isegen02.jpg 乾杯を”泡”でと洒落込んで、「華雪LOWER SNOW」と謳うラベル。 特別純米生にごり酒「外ヶ濱」は、「田酒」の西田酒造の発泡清酒。 「酒徒庵」で発泡清酒をいただいた時は、慣れたお店のスタッフがちょっとづつガスを抜きつつ上手に抜栓してくれたけど、慣れないと難しいかもなぁと見守るボトル。 あわわ、案の定噴き零れる事態になっちゃいました(笑)。

長皿に盛られた前菜三品は、「とも和え」に「煮こごり」「肝卵巣巻き」。 まずは、「とも和え」が旨い。 「とも和え」というのは、ぶつ切りにして湯掻いたあんこうの身を肝と味噌とで和えたもの。isegen03.jpg田舎のつくりと違って、上品な仕立てになっているそう。 そう聞くと、それじゃご当地青森では、どんな仕立てなんだろうと比べてみたくなっちゃうね。 アラから剥がれた身なのでしょうか、ぎっしりと詰まった「煮こごり」。isegen04.jpgこれまた酒肴にぴったりなのは、言わずもがなでありますね。

そして、恭しく受け取った刺身用の丸皿。 紅葉おろしや食用菊、橙なんかが鮮やかに飾っています。isegen05.jpgでも、お皿の主役は、しっとり密やかに控えた透明感のある白い身。isegen06.jpg「あんさし」、つまりはあんこうのお刺身だ。 添えられた肝を崩し溶いて、何故かゆっくりとした所作で箸を動かします。 お皿の真ん中にある、帆立の貝柱のような身が、ホホの肉という。 isegen07.jpgisegen08.jpg うー、河豚とは違う品のいいほの甘さ。 うー、美味しいぃ。 風間浦というのは、曲げたひと指し指みたいなカタチの下北半島のずっと北側にある村。 大間と並んで津軽海峡に面し恐山を背負う、つまりは本州最北端の村だ。 その風間浦では、深海魚ゆえなかなか生きたまま水揚げされることのない鮟鱇を、泳ぎ回るほどの状態で水揚げしているそう。 あんこうの刺身は珍しいのです、と「いせ源」七代目の若主人。 風間浦から一日で届くので、刺しで出せるのです、と。 すると、青森のあんこうは、マアンコウでなくキアンコウですよね、と釣りキチ四平さん。 その通りです、と七代目。 冬の下風呂漁港では、雪上であんこうを捌く”雪中切り”による解体実演をはじめ、あんこうを堪能させてくれるおまつりが催されるそうだ。

「あんさし」の余韻褪めやらぬところへ届いた「肝刺し」。isegen09.jpgすっきりとしたコクは、塩でいただくのもまたよく似合います。

isegen10.jpg 傾ける猪口の純米吟醸は、黒石の中村亀吉の「亀吉」。 「いせ源」では、あんこうの卵巣を干してヒレ酒にしてみたら、なんてことも準備中らしい。

そして、「いせ源」のご本尊が運ばれてきました。isegen11.jpg isegen12.jpgisegen13.jpgこれぞ、「名代 あんこう鍋」。 月島「ほていさん」のように、アンキモのコクでこれでもかとばかりに迫る土鍋とは明らかに違う仕立て。 しみじみとそして骨太に伝えてくる旨みの本懐とぷりぷるとしたコラーゲン的食感。 ああ、いいね。

isegen14.jpg やっぱり外せないのが、「豊盃」の特別純米。 青森のお酒の定番であります。isegen15.jpgそんな「豊盃」を舐めながら、今度はこうくるですかぁーとあんこうの「照り焼き」に感心していたら、さらに白眉な酒肴がやってきた。 それは、桜チップで燻したという、あんこうの「肝くんせい」。isegen16.jpg生であることからくるやや重さが昇華して、凝縮した旨みと一緒に薫香に包まれている感じ。 ああ、ああ、ああ(笑)。 このトキメキをどうお伝えすればよいのでしょう。

isegen18.jpg あれ、その、仄かに翡翠色した玉子は、小舟町の「La Fenice」でも拝んだことがある「緑の一番星」じゃないの?と眺めていると、割られ、溶かれ、名代「あんこう鍋」に注がれて、「おじや」へと。 isegen19.jpg宴の大団円に相応しく、ベジアナあゆこと、小谷さんも満面の笑顔です(笑)。

夙に知られた名代・あんこう鍋の老舗「いせ源」。isegen20.jpg江戸末期の天保元年にどじょう屋「いせ庄」として京橋に創業。 二代目の源四郎が神田に移すとともに「いせ庄」の”いせ”と自らの”源”とを組み合わせて「いせ源」と改称し、大正時代の四代目の時にあんこう料理の専門店となり、今に至るという。 関東大震災による全焼後、昭和5年に建て直したままの姿で往時の風情を伝える「いせ源」の建物は、東京都歴史的建造物に選定されている。 近く、風間浦あんこうの「あんさし」がいただける店としても、知られるようになるのかな。 口 関連記事:   Cucina Italiana「La Fenice」で南部せんべいで青森イタリアン(10年03月)   日本酒と干物と牡蠣「酒徒庵」で 日本酒でやる怒涛の牡蠣づくし(11年01月)


「いせ源」 千代田区神田須田町1-11-1[Map] 03-3251-1229 http://www.isegen.com/
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