
ずっとずっと気になっていたバーの一軒、
「Tony’s Bar」。
銀座界隈に古くから続く止まり木にお邪魔する機会はないものかと、頭の隅っこにひっかかっていたのです。
かつて十仁病院があった外堀通りの角からアマンドを折れてその裏手に回り込み、確かこの辺りだったはず、ときょろきょろ。
そうして、やや暗がりに浮かぶ「Tony’s Bar」の看板を見つけます。
どなたのデザインか、往時を忍ばせるような味のある、いいロゴ・タイプだ。

地下への階段を下りると、
板張りに円い窓の覗く、船室の扉のようなドアが迎えます。
ドアを引き開けるとすぐに、ずらっと並んだ酒瓶の壁。
その壁はそのまま左にずっと続いていて、
その手前で曲線を描くカウンターに沿って奥へと。
一番奥の止まり木に収まって、林立するボトルを眺める。

どこか雑然として、
ほんの少し濃い空気が滓のように澱んでいる感じが不思議な心地良さ。
目の前に「BRUICHLADDICH」を見つけて、そのボトルを手に取る。
やや若いバーテンダーが、確か、
その10年とClassic との呑み口の違いが面白い、
というようなことを説明してくれたと思う。

アイラでありながらピートが控えめなのが「ブルイックラディ」の特徴で、なんて話を訊いて、
あ、そうか、先日池袋「もるとや」で舐めたのも「ブルイックラディ」だったと、
やっとこさ思い出す(笑)。
穏やかなピートであっても、ククっと甘く骨太なボディが顔を出す。
そんな感じ。
お次はなににしようかな、
とふたたびボトルの林から引き上げた一本が「カリラCAOL ILA」。
ラベルには、「CONNOISSEUR CHOICE」とあるボトラーズの1972。

かつてそれなりに含んでいたピートの棘が今は円く角の取れている、そんな感じ。
きっと酩酊の帳が降り始めた表情で(笑)、
もう一杯なんかないかなぁという顔をしていたら、
「これなんかいかがでしょう」と差し出してくれたボトルのラベルには、
「Ichiro’s Malt」と書いてある。

へー、かのイチローはそんなオリジナルボトルを出すほどのモルトラヴァーだとは知らなんだ!
と思ってしまった酔っ払い。
「イチローはイチローでも、肥土伊知郎、なんです」。
我が意を得たりと、秘かにほくそ笑むバーテンダーに口惜しいけれど、
へ?という反応をしてしまう。
あー、そう云えば、
どこかでカードを描いたラベルのボトルを舐めたことがあったような気もする。
それがどこだったかは、まったく思い出せそうもないけれど(笑)。
この「Ichiro’s Malt」は、
その肥土氏が埼玉・羽生にあった蒸溜所のモルトをベースにブレンドしたものだという。
ラベルの「MWR」は、”ミズナラ・ウッド・リザーブ”を表すもので、
ミズナラの樽を熟成に使ったことを示してる。
そして氏が興した「ベンチャー・ウイスキー」は、秩父に蒸溜所を設け、
08年になってウイスキーの製造許可が降り、稼動を開始したらしい。
秩父でウイスキーが作られているなんて知らなかったなぁー。
「Tony’s Bar」のコースターが創業を示す、1952。

往時、バーテンダー松下安東仁(トニー)さんの店として、名を馳せていたという。
主人を亡くしたカウンターを今は、
かなりお歳を召された姉ベッティさんと若いバーテンダーとで守っている。
叶わないことなれどやっぱり、
トニーさんのいる「Tony’s Bar」の空気にも触れたかったと思います。
口 関連記事:
SHOT BAR「もるとや」で カウンター眺めBRUICHLADDICH(09年09月)
「Tony’s Bar」
港区新橋1-4-3 芝ビルB1F
[Map] 03-3571-0990
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