鮨「ものほし寿司」で にぎり寿司銀座の路地と物干しと統制と

monohoshi.jpg八丁堀の裏道にいつの間にかできていた、 「ものほし寿司」。 はて、どこかで聞いたような、そうでもないような。 どちらさんのご自宅かしらんというおよそ無機質な佇まいに、「寿司ものほし」と筆文字の流れる古びた板が構える。 まだ夜の部へお邪魔したことはないけれど、以前よりお昼どきにお世話になっているのです。
「こんにちは~」と親戚の家を訊ねるような気分になりながらアルミのドアを引くと、そこに玄関はなく、代わりにこじんまりしたカウンターとその奥にテーブルが見える。 お昼のメニューmonohoshi01.jpgは、にぎりかちらしか、普通盛りか大盛りか、上かどうか。 長方形の皿に盛り付けられてくるのが、「にぎり寿司1.5人前」。 monohoshi02.jpg 白魚の軍艦やみっつ並んだ鮪、”メ”と刻むように切れ目の入った小肌、などなど。 玉子は大振りに包丁した甘過ぎず、で海老の握りの枕になっている。 monohoshi03.jpgmonohoshi04.jpg 舎利はもうちょっと酢が強めの方が好みなのだけどなぁと思う日が多いけれど、 それはまぁそれとして。 「上にぎり寿司」は、角皿に載せてくる。monohoshi06.jpgmonohoshi05.jpgmonohoshi07.jpgmonohoshi08.jpg 蛇腹の鮪や雲丹、あっさり煮蛤などがひと揃いしています。 普段使いのお寿司としては、にぎり1.5の方が満足度高く感じたりして、それはボリュームのためばかりでもないかもしれません。 ちらしはと云えば、彩り鮮やか。 monohoshi10.jpg monohoshi11.jpg 真ん中を飾る海老の下から青柳の舌が顔を出す。 くるっと二つ折りにするようにタネを丸めて、ぎっしりと敷き詰めているのだ。 ちょっと厳ついお顔立ちの大将に、以前はどちらでと尋ねると、銀座一丁目から再開発で立ち退いて、実家のあるこちらへ移ってきたのだと云う。 あれ?銀座一丁目の再開発といえばもしや、お稲荷さんを角に、鰻「ひょうたん」やなんともそそる佇まいから忍び込んだことのある小料理屋「卯波」があったところのことじゃぁないのかな。 そう訊くとその通り。 「ものほし寿司」は、「卯波」から魚屋を挟んだ並びにあったのだそうだ。 そして、検索してみて合点がいったのは、往時の様子をtakapuがレポートしてくれていたから。 それでなんとなく見知った気分がひっかかっていたのかも。 銀座の店の入口脇にあった板看板をそのまま今の店先に移しているンだね。 河岸での通り名は、「蛇の新」。 銀座を離れ、今は八丁堀の片隅で営む「ものほし寿司」。monohoshi12.jpg店の名をどうして「ものほし」としているかというと、戦中か戦後か、食糧統制の敷かれる中で、二階の物干し場に上がるとヤミで寿司が喰える処として、初代が営んでいたことに由来するそう。 寿司を食べに行こうと大っぴらに口にできないので、符丁として俗に「ものほし」と呼ばれたのだね。 銀座の頃にも一度、行っておきたかったなぁ。 口関連記事:   小料理「卯波」で 穴子の煮凝り筍の直煮銀座路地裏店幅一間半(05年04月)   うなぎ「ひょうたん屋」一丁目店 で名残惜しむうな重の中(07年11月) 「ものほし寿司」 中央区八丁堀2-28-6  [Map] 03-3551-5710
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「鮨「ものほし寿司」で にぎり寿司銀座の路地と物干しと統制と」への2件のフィードバック

  1.  なるほど。トラックバック未遂(苦笑)の理由が分かりました。
     かつて、自分があしげく通った銀座1丁目に集まっていた古き良きお店たちが、こうして営業場所を変えても姿勢を崩さず妥協せずに時間を積み重ねている姿に、うれしくなりました。
     やっぱり、自分が東京に行ったらぜひものなお店は、こういったお店ばかりです…

  2. Re;takapuさま
    はは~ん、この板看板当時のままなんじゃん、というのはtakapuレポートなくしては判らなかったもンね。
    こっちにいても久々に通るエリアは、ころころ変わってしまっていてびっくりすることが少なくない。
    立ち退いたお店がどっこい頑張ってる姿って、いいよね。

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