夏のおもひでも冷め遣らぬ残暑の候。
ふたたびJR桜木町駅を降りました。
やっぱり東横線の駅がないことに違和感を覚えつつ、
例によって野毛方面へと国道16号線を潜ります。
迎えてくれるのは、動物園通りのゲート。
暑気も退いて涼やかな夕暮れ時の通りは、
ひっそりとしていました。
動物園に行った際に、
「八月中はお休み」の貼紙があった格子戸には、
今はもう灯りが点っています。
既にほぼ満席の店内を眺めながら、
遠慮勝ちにおねえさんに簾戸越しに人数を告げると、
奥へどうぞと案内いただきました。
小上がりの細長く小さな座卓にご相席。なんだか腰を据えただけで、安らぐ感じもしてくる。
まずは麦酒をいただきましょう。
カウンターには、いい感じに正しく枯れた風情の飲兵衛たちが、
心地よく嬉々として止まり木してる。
水栽培の八つ頭の茎がすっと長く伸びて、涼しげだ。
網戸を残して開け放った裏窓。
エアコンのない店内に天井で廻る、
古びた扇風機からのそよそよした風も手伝って、
ゆっくりと空気が入れ替わってゆく。夏のお休みが明けてから後、
絶好の日和に訪れたことを確かめて、また嬉しくなります。
すっと届く、おからの和え物が何気に旨い。麦酒もよいけれど、やっぱりお酒が似合うよね、
とそう思わせる。
玉葱の酢漬けを齧りつつ、お酒を冷やで所望します。
硝子コップふたつを届けてくれたおねえさんが、
今度は、小さめの薬罐を手にやってきて、とととつーっと注ぎ込む。
思わずおっとっとーと声を出しそうになる(笑)。口縁までなみなみと注がれたコップにはどうして、
口から迎えにいかねばと、身体を折るように。
紳士淑女も皆、此処ではこうするのがお作法かと存じます。
鱈豆腐には、たっぷりのしらすに鰹節の糸削り。タラの身が、素朴にして旨いのは、
浸した汁にも所以がありそうで。
櫻正宗をふたたびいただいて、澄んだグラスを傾けます。
朝の食卓にそのまま登場しそうな納豆も、
こうして簡潔な酒肴になる。啜るように口にしてしまう、
ちょっと卑しい感じもまた、
気取りなき呑兵衛たちの所作なのでありますね。
三杯目の冷やをいただいていると、
常連さんとおばちゃんの楽しいやりとりが聞こえてきた。
阿ることも高ぶることもない、
平常で柔和な応対が心地いいのであります。
三杯屋での三杯目を終えたお知らせ。何気ないお新香で、有り難く残りの滴をいただきましょう。
嗚呼、もうお仕舞いか名残惜しいなと思ったところで、
お猪口の一杯を進呈してくれる。
気持ちをそっと察してくれて嬉しいような、
気持ちを見透かされて面映ゆいような、
そんな素敵な気遣いでありますね。
野毛の至宝とも奇跡とも謳われる、
三杯屋「武蔵屋」ここにあり。壁に掛かる額のひとつには、
嘗ての店内を表した油絵がある。
そこには、初代の銀蔵さんと、
そのお嬢さん喜久代さん冨久子さん姉妹がいる。
喜久代おばちゃんを若い子たちが慕うように守るように囲む、
今とはちょっと違う顔ぶれだけど、
変わらないその頃の空気が伝わってくるようです。
そして、別の額では、紙切りの銀蔵さんが三本指を立てて、
「三杯ですぞ」と窘めてる。
そんな「武蔵屋」に今度はいつ、お邪魔できるかな。
「武蔵屋」
横浜市中区野毛町3-133 [Map] 045-231-0646