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中華そば屋「伊藤」で 質実なる潔さと大盛りつゆ増しへの欲求
煮干出汁芬々の一本気な中華そばのお店が王子の向こうにあるという。
どうやって行くのだろうと調べると、王子もしくは王子神谷から15分ほど歩くか、タクシーかバスか。
そんな足回りの店が話題と聞いて、そう、随分経ちました。
とある冷たい雨の降る午後に都バスに乗って訪れた、
小さな商店街。
さてこの辺りだろうとひと気の少ない通りをきょろきょろするも、それらしい看板も暖簾も見当たらない。
あれれ?と思いながら進むと、兄ちゃんがひとり、アルミの引き戸を開けて出てきた。
そこへ近づいてよく見ると、ドア硝子の隅に千社札が5枚ほど並べて貼られてる。
中華そば屋「伊藤」は、看板のない店、でもあったのだ。
ドアを開けた途端、煮干の匂いにふわんと全身が包まれたような気がする。
壁を仕上げる代わりに、葦簀で飾った店内は、質素そのもの。
その葦簀に取り付けられた板に品札が貼られていて、それは「そば」「肉そば」のふたつのみ。自家製麺であること、化学調味料を一切使用してないことも示されています。
お肉もちょっとは欲しい、という素直な欲求に従って、「肉そば」をお願いしました。
葦簀の裏側の厨房からさらに煮干の匂いが強く漂い、そして、小気味よく麺を湯切りするシャッシャッシャッという音が零れてきます。
ドンブリがやってきました。
なるほど、噂に違わぬ質実なる表情。厚切りした煮豚が十分なアクセントを見栄えに添えていても、量を控えたスープとそこに盛り上がるように浮かべたストレート麺と気持ちばかりに刻んだ葱とがつくる潔さに一瞬息をのむ。
まずはカウンターに用意されていた蓮華を取り出して、魚粉のような粒子の浮かぶスープを啜る。
ほんの微かな一瞬煮干しのエグみのようなものが過ぎるが、すぐさまそれが愛おしく思えてくるほどの煮干出汁を多分に含んだスープの旨味にじわじわと惹きつけられてしまう。
そうなれば矢も立ても堪らず、引き千切るように箸を割き、その汁に馴染ますようにしながら麺を持ち上げ、啜ることになる。
ポキポキとした緩みのない細麺がまた悔しいほどにスープに合っている。
いいのじゃないのこふいふのー、なんて思っているうちに麺を啜り終わって、ドンブリ底のスープを掬ってるのに気づく。
もう一杯食べたいちゃいたいぐらいで止すところがこのドンブリに似合う食べる側の潔さなのだよ!と妙な気高さを自分に投げかけつつ、絶対今度は大盛りのつゆ増しにするんだと誓ったりする(笑)。
漸く訪れた、今度は週末のお昼過ぎ。
大行列だったら困るなぁという心配に対して、店前の空席待ちは、10人に満たないほど。
暖かな陽射しの下で椎名誠「すすれ!麺の甲子園」かなんかを読みながらのんびりと席が空くのを待つ。
テーブルの丸椅子に座りながら告げるは、誓いに従う「肉そば大盛りつゆ増し」で。ああ、大量の煮干たちから大事に抽出したエキスなのだろうに、それがナミナミとドンブリを満たしているなんて、なんて贅沢なのだ!なんて思ってしまう。
大盛りゆえ、前回以上に遮二無二啜っても、あっけなくなくなってしまう心配は少ない。
啜るスープもよりゆったりしみじみ味わえるのは、二回目だからか、たっぷりの量だからか。
相変わらず、麺のポキポキもいい。
なんだか、澄み渡った初夏の青空のような(?)清々しくも心地よい満足に満たされた感じ。
素朴な一杯の裏に、どれほどの仕込みの苦労があるのだろうね。
足回りの悪さも飾り気も看板すらないことも、ただただストイックに麺にスープに向き合っているがゆえのこと。なんて気概を思わせる中華そば屋「伊藤」。バスの乗り場も、行き先系統も覚えたもんね(笑)。
「伊藤」 北区豊島4-5-3 [Map] 03-3913-2477