元祖ソースカツ丼「ヨーロッパ軒」総本店で特製カツ丼独逸由来のウスターソース

ずっと未踏の地だった福井県へ初めて訪れたのは確か、2021年12月のことでした。
その時は、越前かに料理の店「川㐂」で蟹料理を堪能するのが主目的で、あわら温泉の宿屋から三国の古民家再生のゲストハウス「詰所三國」へと泊まり移った。
北前船交易によって栄えた三国湊には 町家の格子戸が連なる町並みや豪商の面影が残る歴史的建造物など見られ、その粋な情緒がちょっぴり物悲しくも映ったものでした。

二度目の福井へは、
金沢からサンダーバード号でトコトコと福井駅へ。 福井にも路面電車が残っていて、早速その雄姿を眺めたりする。
ああ、路面電車がある街はやっぱりいい街だ。

福井の市街に洋食の老舗があると知り足を向けてみる。 その名は「ヨーロッパ軒 総本店」。
暖簾の前からずらっと並ぶ行列に一瞬慄くも、
意を決してその最後尾につくのであります。

店内の壁に昭和40年頃の店舗の佇まいを伝える、
モノクロ写真のパネルが掲げられていた。 今は煉瓦色の総タイル貼りでモダンにも映るけれど、
往時の様子も当時にしてなかなかに味のあるものだったのでしょう。

お目当ては勿論「元祖ソースカツ丼」。
でもここはひとつゆったりと構えたいと小瓶の麦酒を所望する。 ドイツビールの女王と肩書されていた、
ヴァルシュタイナー ドゥンケル。
黒ビールのキャラメル風味ほんのりとすっきり美味しいビール。
こうしてお酒のラインナップにドイツビールをもってくるあたり、
往時からハイカラだったんじゃないかなぁなんて思わせてくれます。

麦酒のお供にとポテトサラダにカキフライ。 牡蠣フライの牡蠣は、日本海の冬の味覚と肩書された「能登カキ」。
この時にはあんな地震に能登が襲われるなんて思いもしなかった。
再出発を果たした南三陸の牡蠣養殖のように、
能登の養殖場が再興されるよう想います。

さて、お目当ての「元祖ソースカツ丼」は、
まるで親子丼のそれのように紛れもない、
和装のドンブリでやってきた。 パカリと開いた蓋の内側には「ヨーロッパ軒」と、
淡く滲んだ藍の文字。

まず目に留まるのは、カツの衣となっているパン粉の細かさ。 サックリとしたテクスチャを保ちつつ、
ソースを全身で受け止めようとする姿勢が窺えて、いい。

パッと見の様子からふと思い出したのは、
新潟・古町の「とんかつ太郎」でいただいた「タレかつ丼」。 醤油ダレで甘さもあった「タレかつ丼」とは勿論、
はっきりと異なるウスターソースの風味。
スパイシーさと野菜の甘さのような味わいが交差して、
叩いて延ばしたであろう豚肉の柔らかさが心地よく、
ドンブリに控えるご飯を呼ぶこと間違いない。

店頭のパネルには、
創業者がドイツで修行して習ったレシピを元に、
日本人の好みに合わせて作った特製のウスターソースだとある。
そうか、ドイツ圏のカツレツと云えば、シュニッツェル。
カツそのものの源泉もドイツにあったのかもしれません。

そしてカツの三枚目が、ご飯の間から顔を覗かせてくる。 特製ウスターソースが周りのご飯にもしみしみになって、
これまた嬉しい状況を生んでくれています。

豚肉のカツの店なのに紙ナプキンには何故か牛の図柄。 どうやら創業時は牛肉のカツだったものが、
その後、豚肉のカツへと変遷したようだ。

路面電車がゆっくり走る福井の市街地・片町通りに、
元祖ソースカツ丼と洋食の店「ヨーロッパ軒 総本店」はある。 店名を「ヨーロッパ軒」と名付けたのは、
創業者・高畠増太郎が、
ドイツ・ベルリンの日本人倶楽部で料理研究の留学をした、
つまりはヨーロッパで修業したことに由来したものだという。

その創業の地はなんと、東京・早稲田の鶴巻町。
何故か横須賀の追浜にも出店した後、
関東大震災による損壊を受けて、郷里の福井に戻り、
此処総本店となる地で再興したという。
創業100周年を優に越えた今は、福井、坂井、鯖江、敦賀に、
20店舗程の暖簾分けによるグループを構成しているようです。

「ヨーロッパ軒」総本店
福井市順化1-7-4 [Map] 0776-21-4681
http://yo-roppaken.gourmet.coocan.jp/

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