ちょっと早起きして、東京駅で乗り込んだのは、
盛岡へと向かうやまびこ43号。
福島を過ぎる頃から白い景色が増えてきて、
日差しに照らされ反射する雪景色が流れゆく。
そんな車窓を眩く眺めながら車列は進みます。
やまびこ号を降りたのは、新花巻駅。
そこから釜石線に乗り換えて、
一路釜石へと向かいます。
真っ白の雪面を比較的のんびりと走る快速「はまゆり」。釜石線に「銀河ドリームライン」という愛称がつけられているのは、
釜石線の前進、岩手軽便鉄道が、
ご存知、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」のモデルだと云われていることによるもの。
冬季限定の活性原酒「雪っこ」を舐めながら、
ワンマン運転の気動車に揺られること一時間半ほどで、
初めて降り立つ釜石駅に到着しました。
いま乗ってきた列車の顔を改めて眺めると、
その向こうに別の塗装を施した車両が覗いてる。
改札に向かいながら近づけば、
向かい側のホームには、「三」「陸」「鉄」「道」と看板が並んでる。初めて生でみる三陸鉄道の南リアス線。
赤と青のラインが愛らしい一輌編成に、
なにやら業務用のカメラを担いだ一群が乗り込んでいきました。
その是非は兎も角として、JR山田線の宮古-釜石間の三陸鉄道への移管が進んで、
三陸縦貫鉄道が復活するのも復興のひとつなんだろうなと思ったりいたします。
ある方々に駅にお迎えいただいて、車で旧市街方面へとご案内いただく。
瓦礫の撤去が済んだ更地が続く通りの左右の所々で、
錆びた鉄骨の柱が剥き出しにしたまま朽ちた建物が切ない表情をみせている。
そんな中で真新しいイオンタウンの建物がよく目立ちます。
イオンタウン釜石は、東日本大震災後の被災地でイオングループ初となる、
新設ショッピングセンターであるらしい。
そのSCのテナントのひとつとして知人が開いたのが、「ピザリアPIZZARIA」。
ダンススタジオなどを営む傍らで、
飲食店の経営にも発起して立ち上げた、
釜石ピザ、じゃなかった(笑)、石釜ピザのお店だ。イクラや海老や烏賊の載った「海鮮ピザ」も、
味噌味仕立ての「三陸産つぶ串」も、真っ直ぐな旨味の届く味。
うん!と膝を打つ美味しさなのであります。
イオンタウンを背にして県道に向かうその間は、駐車場や空地になっている。
此処にも高い波が襲ったのだなぁと考えながら見遣った先に、
大きく「新華園」の赤い文字が見つかりました。何故だか見憶えがある気がしたのは気の所為でなく、
ファサードの様子などなどが、takapuの日記にも刻まれていたからです。
疾うにおひるどきを過ぎた時間帯。
開いてて良かったと擦り切れた紅い暖簾を払います。
素朴な中華料理が並ぶお食事メニューには、
「めかぶラーメン」なんてのもあるけれど、
ご注文はやっぱり「ラーメン(釜石ラーメン)」だ。それは、飾り気のない懐かしい見映えの中華ソバ。
蓮華で啜る澄んだスープは、野菜たちのふくよかな甘さに、
昆布や帆立を思わせる魚介の出汁が旨味を滲ませるもの。
箸の先に載せた麺は、極細い縮れ麺。この細い麺も釜石ラーメンの特徴で、
それでいて、直ぐ伸びてしまうような気配なく、しっかりしたコシ付きを含んでる。
顔を見合わせて、美味しいねと呟きあっては、一気に食べ切ってしまうのでありました。
ご案内いただいたお二人は、
釜石で人形劇団「あすなろキャラバン」をされている方々。港近くの建物に仕舞ってあった人形が波を被っても、
諦めることなく続けてゆく工夫を重ね、人形も生まれ変わって今にある。
ピークを過ぎたとは云え、まだまだ様々なご苦労の最中。
さらに人形劇が繋げる輪が広がるといいですね。
ご馳走さまをして、外に出ようとしたその手前の壁に、
何枚もの写真がパネルとなって飾られているのを認めた。今はないアーケードや店の前に押し寄せた家屋の残骸や瓦礫。
厨房にも侵入した濁流が、調理器具や食器のあれこれを滅茶苦茶にしたのが分ります。
こうして写真を掲げるのは、思い出したくないことを思い出させることでもあり、
忘れてはならないとすることを伝え、思い出させることでもあり、
やっぱり複雑な心持ちなのでありましょう。
釜石のメインストリートに、中国料理「新華園」本店が敢然とある。応対してくれたオバちゃんによれば、
店先に架けた擦り切れた暖簾も波に流されて行方不明になっていたものの、
幸いなことに発見することができたという。
そうして再開を果たした”いつもの味”に、
周囲の方々はどんなに勇気づけられたか知れません。
「新華園」本店
釜石市大町2-1-20 [Map] 0193-22-1888