もつ焼「三四郎」でぬる燗もつ煮くりから焼き舳先形白木カウンターに溶け込んで

錦糸町駅の北側と南側。
どちらかと云えば裏側という印象だった北口側は、例えば、ご存じ日本酒居酒屋「井のなか」の店前あたりに立てばスカイツリーが眼前に迫る、という立地になった。
スカイツリーが近くにある景観の場所は数ある中で、南北に貫く道路越しに見通せるのは、錦糸町の北口界隈だけなのではないでしょうか。

対して錦糸町の南口。
昭和もぐっと古い諸先輩はきっと、
駅を背にして左側に思い出がある。
嘗てのレジャー施設「江東楽天地」には、
複数の映画館に遊戯施設、吉本興業系の劇場があったらしい。
キャバレーを含む飲食店や国営競馬場外馬券売場もあり、
天然温泉会館やボーリング場もある、
まさに一大レジャー施設であったらしい。

三業地だったという訳でもないのに、
なんとはなしに猥雑な雰囲気を思ったりもする、
錦糸町駅南口のマルイの裏手、
亀戸ぎょうざ錦糸町店の先に「三四郎」はある。向かって左側の暖簾の中がもつ焼きの焼き台の在り処だ。

「三四郎」の特徴のひとつが店内に鎮座している舳先形のカウンター。白木のカウンターの両の長辺をくの字にして膨らみをもたせた工夫。
それが共に囲炉裏を囲むような一体感を生んでいます。

まずは、焼き物と併せてぬる燗を註文めば、
越乃白梅の刻印のあるお猪口、徳利が早速やってきます。「もつ煮」もしくは「煮込豆腐」を同時にお願いすると、
スムーズにカウンターの空気と同期できて、良いでしょう(笑)。

数に限りがあることもあった必ず真っ先に註文に載せていたのが、
ご存じ「くりから焼き」。蒲焼とはことなる、ざっかけない、お気軽な串の魅力には、
しっかりと鰻の滋味と脂の甘さ、炙った香ばしさを含んでいる。

焼き台近くの壁に掛かるもつ焼きの品書きを示す黒札は、
右から「れば」「しろ」「なんこつ」「かしら」「たん」「はつ」。
どうやら「たん」や「はつ」あたりから、
売り切れ仕舞の札が掛かりはじめるようなので、
お求めの紳士淑女はお早めに註文したい(笑)。どうも、塩で註文むのが通、
であるかのような風潮があるような気がするけれど、
いやいやどうして、どちらかと云えば、タレの方が好みであります。

「いかわた」「いか納豆」なんてのもズルいなぁと思いつつ、
お願いしたのは何故か「まぐろヌタ」。ヌタのある酒場にちょっとした愛着を覚えるのは、
妙なことでありましょか。

その品札を読んで、嗚呼、駒形や飯田屋には、
随分とご無沙汰だなぁと思わせるのが「どぜう鍋」。
この下町チックな語感だけで一杯呑めそうな気がしてくる(笑)。土鍋玉子とじでも、泥鰌な気分ではない時には、
「にら玉」という選択肢もありかもしれません。

ぬる燗から離れて「焼酎ハイボール」へと変遷するのも悪くない。そうとなれば俄然、
油っ気のあるものも酒肴の選択肢に浮上してくる。
まるで唐揚げのようなフォルムの「竜田揚げ」を面白がったり、
「かきフライ」があるなら註文んじゃったりするよね(笑)。

錦糸町南口の裏通りに、もつ焼き「三四郎」はある。また今度も白木の舳先形カウンターの何処かにすっと潜り込んで、
カウンターの一員として溶け込んで過ごしたい。
定番の黒札から幾つか選んだらあとは、
店の各所に貼られた紙札から季節の酒肴をどれにするか悩みたい(笑)。
店名「三四郎」の由来についても訊ねなくっちゃだ。

「三四郎」
墨田区江東橋3丁目5-4[Map]03-3633-0346

column/03833

かんだ「やぶそば」で温燗練り味噌の昼下がり柱山葵穴子焼き牡蠣の南蛮鴨せいろう

云うまでもなく、火事・火災というのは恐ろしいものです。
子供の頃、家の近所にある盃横丁を何かの拍子に通った際に、火災で焼けてしまったスナックの店内を図らずも覗いてしまったことがあった。
黒く爛れて物品が散乱した様子は、子供心にも重たく見える、印象的な光景だった。
叔母には、火事を見るとおねしょするから気を付けてね、というようなことを云われた記憶がある。
きっと火遊びを戒めると同時に、大人にとっても火災というのは強烈なストレスを齎すものなんだということを示す言い伝えなのでしょう。

歩き慣れた築地場外もんぜき横丁の火災は、実に衝撃的だった。
沖縄のランドマーク、首里城が焼け落ちるシーンもまた衝撃的だった。
そして、戦禍を逃れ往時の佇まいを残していた、
「神田藪蕎麦」の火災もまた、
決して少なくないショックをもって衆目の知るものとなりました。

2013年2月の火災により店舗の1/3を焼失した「神田藪蕎麦」は、
一年半後の2014年10月、改築した新店舗で営業を再開した。再開当初は、待ち兼ねた贔屓筋から話題に肖ろうとするひと達まで、
沢山の来訪者で行列が続いたのも記憶に古くない。
程度の差はあれど、みんなきっと、
再興なって良かったね、との想いであったことでしょう。
流石にもう再興の賑わいは落ち着いたであろう頃、
ひる下がりの淡路町を訪ねました。

新しいけれど新しさを思わせない、
そんな工夫が随所にあるような気もする、
そんな佇まいをしばし眺めて後、
おずおずとアプローチを辿る。

玄関ホールの壁には、
【やぶのれんめん】と題したパネルが掲げられている。
かんだ藪蕎麦は、今の五代目で100年を超える老舗であり、
さらには初代が「藪蕎麦」の屋号を譲り受けた、
「駒込団子坂藪蕎麦(蔦屋)」の創業まで遡れば、
時は徳川家斉の時代になるという。パネルが伝える【れんめん】は、額装の絵にも現わされていて、
「駒込団子坂藪蕎麦」から「神田連雀町藪蕎麦」、
そして今の店へと続く連綿を時代々々の情緒とともに示しています。

広い店内を見渡して、その時の気分で席を選ぶ。
空いていれば席を指定せず、
お好きなところへどうぞとされるのが、好き(笑)。
「やぶそば」の客席を巡るお姐さんたちの中には、
コントロールフリークにも映る方はおられません。

テーブル席に着いたなら、
思わず麦酒と云いそうになるところを抑えて、ぬる燗を註文む。日本酒は、菊正宗特撰、一本槍。
お銚子に特製「ねりみそ」が添えられるのが、
呑兵衛心の出鼻を擽るのであります。

時季により変化する酒肴の中から、
冬場なら青柳の「柱わざび」が、いい。軽やかに揚がった「季節の天ぷら」の中に牡蠣を見付けて、
ニンマリするのもまた、いい(笑)。

いらっしゃいぃーーー。
ありがとー存じますぅーーー。
せいろーいち枚ぃーーー。
麦酒一杯ぃーーー。
お発ちでございますぅーーー。
フロアを行き交うお姐さんたちの、
いーーーー!
という澄んだ声と調子もまた「やぶそば」の特徴ですね。

小さく手を挙げればすぐに、
はい伺いますぅーーと席まで来てくれる。
「鴨せいろうそば」がやってきました。翡翠色、というよりは、
明るく渋い鶯色の蒸篭の蕎麦。
蕎麦粉十割の新進の求道系とは違う、
老舗の風格がじわじわと伝わってきます。

およそ裏を返すように訪れた冬の或る日。この看板も火災の難から逃れたものなのだろうかと、
玄関上を見上げながら店内へと進みます。

口開きはやはり、
菊正宗のぬる燗と「ねりみそ」のコンビに委ねる。小上がり席をふと見れば、
ひとりひる酒を嗜むご同輩の朗らかな背中がありました(笑)。

「ねりみそ」に続くお銚子のお相手に「牡蠣の南蛮漬け」を。硬く縮まないようふっくらと火を入れた牡蠣が、
こっくりとしたたれを纏って、
いやはや、ズルい酒肴に仕上がっています。

やぶ印の七味竹筒と一緒に届いたのは、ご存じ「天ぬき」。汁っぽい酒菜が気分な時には特に、
お望みに適う器であります。

同様にちょっと脂っけある酒菜が欲しい時に最高なのが、
冬場も旨い「あいやき」であります。上等な合鴨肉と根深(長葱の別名)をその鴨の脂で焼いた逸品。
柔らかな合鴨の脂の甘みは、葱にもいい具合に沁みています。

「せいろうを一枚」と、そうお姐さんに告げて、
せいろーいち枚ぃーーー!をそっと聞く。蒸篭に添えてくれる辛汁は、
決して過ぎない円い甘みと角のないすっきりとした醤油が印象的だ。

そんな辛汁の残りへと注ぐ蕎麦湯は、
わざわざ仕立てたものではなさそうな真っ当なもの。蕎麦湯を愉しみ乍らふと空っぽの蒸篭の縁が目に留まり、
竹簾を湾曲させているのに気が付いた。
水切りをよくするための工夫なのでしょう。

どふいふ訳か此方に足が向くのは冬ばかり。
或る冬の日のひる下がり、
蕎麦前には質実正統なところから選んでみようと思い付く(笑)。小田原産の極上蒲鉾との説明を読むと、
あー鈴廣のものなのだろうなーと皆が思い付く。
焼き海苔は勿論、火種を潜ませた海苔箱でやってくる。
初めてこの箱を目にしたのは、
今は移転してしまった森下の「京金」だったことを思い出します。

ここですっと気になっていた「あなご焼き」をいただく。酢橘をささっと搾って、端から口に含んでみる。
うんうん、炙った周囲の皮膜や香ばしく、
穴子の滋味をあっさりと堪能出来ます。

そしてお待ち兼ねの「牡蠣そば」。決して大き過ぎない牡蠣の身に優しく熱を入れた気配のする。
生の牡蠣も悪くはないけれど、やっぱり火の入った牡蠣が、旨い。
そんな牡蠣の旨味をやや濃いめの甘汁がグイッと後押ししてくれます。

フロアの要に歴とした帳場があるのも、
「かんだやぶ」が「かんだやぶ」であるところ。縦横無尽にフロアを行き交うお姐さんたちにそっと目配せするのも、
どうやら帳場の役割のひとつであるようです。

戦禍を逃れた神田連雀町に「かんだやぶそば」は、ある。火災に見舞われようとも、それを機会にビルにするようなことなく、
旧来の佇まいを保とうとする心意気が清々しい。
この情緒と老舗の味を堪能しにまた訪ねたい。
ゆるっとした雰囲気漂うひる下がりが、やっぱりいいですね(笑)。

「やぶそば」
千代田区神田淡路町2-10[Map]03-3251-0287
https://www.yabusoba.net/

column/03832

Bar「StarDust」でジンフィズ埠頭ノースピアが生んだ異国情緒のあの頃と今と

学生時代には、横浜方面にはとんと縁がなくて、おそらく出掛けることも数える程だったような気がする。
社会人になってから時折足を向けるようになって、そもそも海があるってだけでもいいよなぁとおのぼりさん気分を味わったものでした。
そう思うのはきっと、”翔んだ”海なし県方面で育ったがゆえでもありましょう。

随分とご無沙汰の本牧あたりには、
なんとはなしに米軍駐屯の残り香が漂って、
エキゾチックな魅力があった。
同じようにエキゾチックでかつ海辺の情緒を覚えた場所のひとつに、
ウン十年振りに訪れました。

JR東神奈川駅を降りて、
仲木戸駅から駅名を変えた京急の東神奈川駅横を通り過ぎる。
そのまま第一京浜を横切り、首都高を潜り運河に架かる橋を渡る。東神奈川ランプの出口、村雨橋の袂にある案内標識が、
鈴繁埠頭・瑞穂埠頭への方向を示してくれています。

次の運河を渡るとすぐ踏切がある。
再開発も噂される貨物駅 東高島駅へと向かう線路だ。このレールの上を走る電車に乗る、
そんなことはきっとないのだなぁなどと思いながら、
竜宮橋方面へと渡る瑞穂大橋と瑞穂橋との分岐点までやって来た。
この辺りにかつて海神奈川駅という駅があったらしい。

鈴繁埠頭・瑞穂埠頭へと渡る瑞穂橋はアーチ形で、
ふと隅田川に架かる永代橋を思い出す。瑞穂橋の先へは、何故か一般人の立ち入りが禁止されている。
瑞穂埠頭は、横浜ノース・ドックという、
在日米軍が使用している港湾施設に含まれているらしく、
連合国に接収されていた時からの名称として、
「ノースピア (North Pier)」とも呼ばれている模様。
橋の袂からは、みなとみらい方面の景観が望めます。

そんな瑞穂橋の右脇で拝めるのが、
BAR「POLESTAR」そしてBar「StarDust」のファサードが並ぶ風景。「POLESTAR」に営業している様子がみられないのが残念ながら、
建物が解体されることなく残っていてくれている。
このなんとも云えない異国情緒はやはり、
本牧とか横須賀とか横田などと同様に、
駐留米軍の基地・施設の近隣にあり、
軍関係者の文化と嗜好とに直接影響されて、
云わば求められて出来上がったものなのでしょう。

ドアが開け放たれているのをいいことに店内を覗き込む。
まだ明るい時間に他に客がいる訳もなく、
貸し切りのカウンターの止まり木へとすんなりと腰を落ち着けます。店内のトーンは、アンバー一色。
床板には幾多の傷が刻まれ、
腰壁の化粧板はすっかり薄汚れてしまっている。
吊り下げられたり、重ね置かれたりしている救命浮き輪。
奥の壁には何故か、能面が飾られている。
全体に雑然とした印象なのはもはやご愛敬。
ジュークボックスだけが異彩を放っています。

喉を潤すべくハイネケンでもいただきましょう。グラス越しにふと見上げれば、
バックバーの棚上を飾る妖しい絵柄が目に留まります(笑)。

さっき入ってきたばかりのドアの外にお客さんの姿。
女将さんがどうぞどうぞと促してやっとそろりと入ってくる。野良から最近飼い猫になりつつあるネコくんであるようです。

何故だか普段は呑まないジン・フィズなんかを註文んでみたりする。とても緩い味わいのジン・フィズ。
プロのつくったカクテルでは勿論ないけれど、
これはこれでよいのです。

まだ不慣れな店内が落ち着かないのか、
ネコくんは外ばかり眺めてる。女将さんに外へ出してもらって、
そこで晩飯にありつけましたとさ(笑)。

ノースピアへと渡る瑞穂橋の袂にBar「StarDust」は今もある。Bar「StarDust」のオープンは、
終戦から9年後の1954(S29)年のことだという。
ジュークボックスの置かれた様子をじっと眺めていると、
ノースピアから橋を渡ってやって来た米軍施設の関係者たちが、
瓶のビールを片手にオールディーズを聴いている、
そんな姿がぼんやりと思い浮かんできた、ような気がした(笑)。
BAR「POLESTAR」とは逆隣のSEASIDE BAR「Neptune」は、
今も鋭意営業されてるようです。

「StarDust」
横浜市神奈川区千若町2-1[Map]045-441-1017
http://www.bar-stardust.com/

column/03831

肉そば肉うどんのお店「南天」本店で肉うどん椎名町駅北口の味お巡りさん御用達

西武池袋線の椎名町駅は、池袋からすぐ、ひと駅目の小さな駅。
相対式2面2線のホームの上に橋上駅舎の載る、各駅停車の駅によくある構造の駅だ。
昔の駅舎の様子は覚えていないけれど、母の実家の米屋へと椎名町駅や東長崎駅から向かったことは記憶の断片にある。
母方の菩提寺が駅北口の目の前にある金剛院なので、椎名町に所用があるとすれば、ほとんどが法事であったりもする。

そんな椎名町駅にふと思いついて降り立つことがある。
その目的地は、橋上の駅舎の硝子越しに見下ろせる駅前にある。駅前のベンチには、ちょうどよい具合にベンチがあり、
どんぶり片手にゆっくり座って、
うどんやそばを啜るひと達の様子がよく見られます。

思い起こせば三年ほど前。
北口駅前に寄り道して初めてお願いしたのは、
やっぱり「肉うどん」でありました。粗く刻んだ長葱がいい。
そして案外、煮付けた豚肉のボリュームも悪くないのであります。
真っ先に「肉うどん」を註文してしまうのは、
武蔵野うどん土着の気質がゆえでありますね(笑)。

出汁とやや甘めにしたかえしのバランスやよし。
かえしが濃すぎないのに好感しつつ、
豚肉から滲んできたであろう脂とでいい具合の混然となる。うどんはと云えば、その断面やおよそ丸く、
京橋「恵み屋」的押し出し湯殿直落方式ではないかと想像が膨らむ。
つるるんとして、歯触りも心地よいぞ。

何処かからの帰り掛け、もう暗くなってから寄ることもある。駅前を行き交うひと達の様子をなんとなく眺めながら、
啜るのはやっぱり「肉うどん」であります(笑)。

似たような夜にお邪魔しても「天ぷらそば」な気分の時もある。蕎麦の食べ応えも立ち喰いとしてはなかなかのものなのだけれど、
ココではやっぱりうどんの方が好みであります。

常設メニューは、「肉」から「カレー」まで9種類でありましょうか。自前での製麺を示すかのように、
「南天」の店名の入った麺箱が積まれているのが確認できます。

「肉うどん」は、トッピングの肉をダブルにすることが出来る。うどんより豚肉の方が多いんじゃない?ってな感じになりつつも(笑)、
大満足で完食してしまうのでありますね。

駅北口のエレベーターを降りて左手すぐに交番がある。
いつぞやには、交番勤務のお巡りさんが、
自前の器を持って行って、そこへうどんをよそってもらい、
いそいそと交番へと戻っていく様子を目撃したことがある(笑)。
きっと日常的なことなのでしょうね。食べているベンチのすぐ近くに、
白チャリが停めてあったりするのも当然のこと。
「カレーうどん」に肉トッピングをお願いして、
「肉カレーうどん」にするなんて選択肢もまた、ありですね。

夏場の皆さんにおかれましては、
「肉うどんタブル冷やし」なーんて選択肢もまた、ある。なるほど、豚肉が硬くなっちゃうのはご愛敬。
冷たい麺にしても、独特の食感はその威力を勿論発揮するので、
ご心配なきようにお願いします。

椎名町駅北口の眼前に肉うどん肉そばの「南天」本店はある。“南天”と云えば、あの赤い実の植物を思い起こす。
音が「難転」即ち「難を転ずる」に通ずることから、
縁起の良い木とされているようだけれど、
果たして「南天」命名の理由はそんなことなのか、
今度寄った時にでも訊いてみよう。
ついでに、支店は何処にあるですか、ってところもね。

「南天」本店
豊島区長崎1-2-2 アクティスビル1F[Map]03-5966-3600

column/03830

沖縄料理「よね屋」で波の上ビーチの後のオリオンビールオヤジさんとの四方山話

何度も徘徊しておよそその様子の表層ぐらいは知っているつもりの沖縄・那覇。
ただ、石垣島への中継地として降り立つことが多かったし、那覇から今帰仁あたりへすぐ移動するということもあって、那覇でのんびりという旅はあまりしてこなかったような気がする。
しかもクソ暑い頃に訪れるのがほとんどで、初夏から晩夏以外の時季の那覇を訪れたのは初めてに近いかもしれません。

ダイビングを含め、特に何をするでもない旅にしよう、
ホテルのプールサイドに寝っ転がって本でも読んで過ごす、
ってなつもりでいたのに、なんと既にプールの営業が終わってた(笑)。
しかもビーチですら開場しているのは、
那覇近郊で二か所しかないという。
逆になかなかない機会かもと、
那覇の街の海側、市街地に寄り添うようにある波の上ビーチへ。眼前に空港へ向かう高架の道路が通るという、
不思議にアーバンなビーチなのだけれど、
流石沖縄、水も砂も十二分に綺麗だ。

ひる前から15時過ぎ頃までビーチのパラソルの下で過ごし、
部屋に戻ってシャワーを浴びて、
ホテル近くの県庁舎辺りを徘徊する。信号に立ち止まって振り向いた先に見付けたのが、
ハイビスカスに埋もれるように佇む草臥れた建物。
「よね屋」と示すベージュのテント地。
暖簾を挟んで揺れる赤提灯が、ザ居酒屋の風情だ。

恐る恐るドアを開き入ると、店内の古色も色濃い。
屋根からの雨漏りの所為か、
シミのついた天井板の一部は剥がれ落ちている。
おでん鍋は既に中身が片付けられた後で、
逆さまに被せられてしまっている。

ぐるっと見回した店内には、
フィギュアを飾る棚の前に古びたギターが置かれ、
小上がりの柱の周りには漫画の単行本が堆く積まれてる。

カウンターの中の厨房へと軽く会釈をして、
海の後のシャワーの後のオリオンビールが、
そして、まだまだ明るい裡からのオリオンビールが、
兎に角旨い(笑)。おでん出来ますかと訊ねると、
傷まないようにしまってあったのか、
てびちを含むおでんがドドンとやってきた。
煮崩れる前に止めておいた感じなのかもなぁとも思うほどに、
じっくりと煮含められた大根やてびちがイケる。

「よね屋」の泡盛は、久米仙一本遣り。厨房のオヤジさんと四方山話に小さな花を咲かせ乍ら、
久米仙をちびちび舐めます。

立て掛けたコルクボードの短冊を眺めて、
ツマミになりそうな「トーフチャンプル」を単品でいただく。なつかしの味「食堂カレー」とか、
沖縄ではご飯モノらしいという「ちゃんぽん」も気になるところ。

他に客がいなくなった後、オヤジさんが厨房から出てきて、
カウンターの対角線に腰掛けて四方山話の続きとなる。
近隣の飲食店の経営者から色々な相談を受けることがあるそうで、
意欲ある若者たちがここ一年で何軒もの店を新たに出したのに、
コロナ禍の所為で休業を余儀なくされ窮地に陥っているという。
開業の借金だけが残ったなんてことになったらと心配頻り。
頼り甲斐のありそうなオヤジさんは、
きっとこの界隈の親方のような存在なのでしょう。

そんなオヤジさんは、
戦後の那覇の変遷していく様子をつぶさに見続けてきた。
右側通行だった道路が左側に換わる瞬間も見届けていたんだそうだ。
ちょうど波の上ビーチにも近い辻地区は嘗て郭所で、
戦後、駐留米兵などを相手にした私娼蔓延る歓楽街となり、
バーやクラブなどが多くみられたという。
歓楽街としては廃れてしまった今でも、泡店やホテルが散在し、
駐留米兵相手の名残りのアメリカンな雰囲気も加味して、
妖しい魅力を漂わせているので、
ぜひ徘徊してみて、とオヤジさんは薦める(笑)。人類の地球環境に対する驕りと行き過ぎたグローバル化に対して、
神様が警鐘を鳴らしているんじゃないか、
くらいにも思えてきたよ、このコロナ禍。
なーんて話までしているうちに、
外はすっかり暗くなっていました。

ふたたびオヤジさんのご尊顔を拝そうとひる頃の県庁の近くへ。
カウンターの同じポジションに腰掛けるも、
厨房にオヤジさんの姿が見当たらない。
オヤジさんの代わりに厨房に立つ男性の顔立ちを見てすぐ気が付いた。
間違いなく息子さんだ(笑)。

やっぱり「食堂カレー」や「ちゃんぽん」が気になりつつも、
「ソーキそば」な気分に素直に従って、
オバちゃんに声を掛けます。
おいなりさんを添えてもらいましょう。特筆するような個性はないけれど、
澄んだ旨味がひたひたと迫る優しき一杯。
後半は、既製の醤油注しに入れたお手製と思しき、
コーレーグースをちょい垂らして変化を愉しみます。

那覇は沖縄県庁近くに沖縄料理「よね屋」はある。オヤジさんを慕う地元の後輩たちの動静も気になりつつ、
やっぱり「食堂のカレー」や「ちゃんぽん」も気に掛かる(笑)。
そしてまたオヤジさんとゆっくり四方山話をしに寄りたいな。

「よね屋」
那覇市松尾1-10-1[Map]098-867-4575

column/03829

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