「大空と大地の北海道」カテゴリーアーカイブ

厚岸「藪蕎麦」で厚岸湖の牡蠣と厚岸の琥珀な蒸溜酒牡蠣丼次回は牡蠣蕎麦を

いつぞやの釧路の夜。
繁華街は例によって、JR釧路駅周辺ではなく、釧路川も程近い末広町・栄町界隈。
炉ばた発祥の店と謳う、その名もずばり「炉ばた」の古色然とした佇まいを路上からしばし見遣る。
炉端を囲むカウンターの一席にて、ゆるゆるっと地のもの地の酒を堪能いたした。

そんな暖簾を払い出て、辺りをふらふらっと徘徊した足取りはほんの少し千鳥足でありました(笑)。

上機嫌なままゆっくり歩くその視界に、
“BAR”と小さく示すスタンドサインが目に留まる。 勢いで飛び込んだのは、BAR「ST.ANDREWS」のカウンター。
そこで女性オーナーバーテンダー氏から耳寄りな情報を聞くことになる。
隣町とも云える厚岸にはなんと、
2016年から蒸溜を開始したばかりの蒸溜所があるという。
そして更に直近の2018年2月には、
厚岸蒸溜所の初商品となるボトルをリリースしたというではないですか。

そんなこんなでその翌日、快速ノサップ号に乗り一路厚岸へ。
小さな駅を背にしてまずは海岸線へと足を向ける。まだ浅い春にして、陽射しが穏やかな空気を孕んでくる。
北海道の牡蠣の産地として真っ先に思い浮かべる厚岸だもの、
牡蠣筏が眼前に広がる様子を想像してのだけれど、
極々普通の湾がそこにあるのでした。
厚岸大橋を潜った奥の厚岸湖が漁場なのかしれません。

銀座は並木通り沿いの雑居ビルで一念発起、
「牡蠣BAR」を営んでいる祥子女史に訊いていた通り、
駅の反対側にある、道の駅にして厚岸グルメパークの「コンキリエ」へ。「コンキリエ」2Fにあるオイスターバール、
「Pitreskピトレスク」の窓際に陣取ります。

早速お願いしたのは、
厚岸のブランド牡蠣「弁天かき」「カキえもん」「マルえもん」と、
注目のウイスキー「厚岸 NEW BORN FOUNDATIONS 1」との、
マリアージュが愉しめるプレート。決して大き過ぎないサイズ感が望ましい牡蠣たちに、
生まれたばかりであろう厚岸の琥珀を数滴垂らす。
するっといただくその牡蠣の濁りなき旨味たるや。
嗚呼、なんて贅沢なひと時でしょう。

そもそもの生産量が充分な訳もなく、
残念ながらその時には既に売り切れているとのことで、
新しい厚岸のウイスキーのボトルを手に入れるは叶わなかったけれど、
いつの日か手にしたいと思いつつ「コンキリエ」を後にする。

厚岸蒸溜所からはその後、
「2」「3」「4」とブレンドやバッティングしたウイスキーが商品化
未だ手に入れられていないのは、その稀少性からか、
なかなかのお値段だからという点も一因であります(笑)。

暖かな陽射しとまだまだ冷たい風の中、
ふたたび駅前通りを海岸方向へと歩く。厚岸停車場選とのT字路角で風に揺れる暖簾。
厚岸まで来て「藪蕎麦」の名に出会うとは、
いやー、思ってもいませんでした。

突然の僥倖に微妙にたじろぎつつ、
当の暖簾を払い入ると暖房の熱気と湿気で眼鏡が曇る。
半分曇った眼鏡のまま眺めるお品書き。
牡蠣天麩羅の笊蕎麦かなんかがいいなぁと思うも、
そんな行は見当たらず、
何故か思わず註文したが「かき丼」でありました。
「藪蕎麦」なのに(笑)!

しかも軽く甘辛っぽく煮付けた牡蠣たちを勝手に想像していたら、
それは、カキフライが外連味なくゴロゴロっと載った玉子とじ。でもでも、フライにしてなお、すっと濁りなき旨味の牡蠣がいい。
広島あたりの人口的に富栄養の海による牡蠣は旨味が強い一方で、
旺盛に海水を取り込む牡蠣は余計なものも漉し採っている。
対して厚岸の牡蠣は、澄んだ河などによる栄養のためか、
濁りなき美味しさなのですね。

牡蠣ラバーの誰もが知ってる厚岸になんと「藪蕎麦」があった。Web上には、浅草「並木藪」で永く修行されたご主人が、
故郷の厚岸に開業し、創業来30年以上、との情報が散見される。
これからも引き続き、末長く盛業されますように。
今度また厚岸に伺って「かきそば」をいただく時までは(笑)。

「藪蕎麦」
北海道厚岸郡厚岸町宮園町1-6 [Map] 0153-52-7755

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あさめし「前田”本舗」で肉ラーメン塩に鶏そばラーメン山頭火の跡地研究所

初めて旭川駅に降り立った時のことを思い出す。
降り立ったといってもJR北海道の列車からではなくて、旭川空港からの連絡バスのタラップから。
空港バスが到着する駅北口のロータリーから壁のように存在感を示す駅ビルを背にして、ゆっくりと歩き出す。
緑橋通りは、駅ビルから直角に、そしてずっと真っ直ぐに北に延びる大通りだ。
するとすぐ、ふた筋目の角で目に飛び込んでくるのが、あの「山頭火」本店の暖簾であります。

風に悴む頬に思わず早速飛び込んで、
「しおらーめん」をいただく。
今はなき恵比寿店の行列に並んで、
初めて味わった特異な一杯を思い出す。
それがもう4半世紀も前のことかと思うと気が遠くなる(笑)。
当時、どこか物足りないとも思った塩豚骨スープも、
今頃になってやっと、一種の洗練があるなぁと思い至ります。

ふたたび旭川を訪れた早めのおひる時。
そんな「山頭火」本店から更に北へ歩きはじめると、
ハラハラと雪が舞い降りてくる。
めげずに5分程歩くと、
通り沿いにドラム缶を縦に積んだ造形物が見つかります。その頭頂部の円筒には、山頭火本店の文字。
どうやらこちらが、駅前へ移転前の「山頭火」本店の地であるらしい。
当時は”専らつけ麺”だったのでしょうか。

そうであるならばと「肉ラーメン塩」を註文してみる。一見シンプルなドンブリの真ん中に、
「山頭火」のアイコンとでもいうべき小梅の紅い粒が載る。
具材たちが別皿で届き、俵状のお握りに沢庵も添えられてきます。

明らかに黄味を帯びたスープがみるみる膜を張り始める。
でも、啜るスープはあさっとりとして、
でも、山頭火の塩らーめんとは明らかに違う。黄色いスープの中から引き上げた麺はといえば、
これまた黄味を帯びている。
ドンブリの全体感からは、
旭川ラーメンの一派と括ってしまってもよいような、
そんな気もしてきます。

実は、カウンターに備えられた品書きが悩ましい。
基本形と思しきラーメンに、醤油、塩、味噌、
そして、同じ3種のスープのつけ麺に肉ラーメン。
冒頭には”おすすめは醤油味”だなんて書いてある。
なーんだ、塩じゃなくて醤油だった(笑)?上段中頃には、ありそでなさそな「そばらーめん(醤油)」の文字。
数量限定のラーメンあれやこれや、
つけ麺あれこれにセットメニューと、
通えない旅人は選び迷って半狂乱となってしまいそう(笑)。

限定メニューあれこれの中から「鶏そばラーメン」を選んでみる。
紅いナルトがラーメンのような、油揚げがきつね蕎麦のような。甘汁のようなスープから引き上げた麺はなるほど、
蕎麦のようでいて、ラーメンの麺のようでもある。
ラーメンの麺の生地に蕎麦粉を混ぜればきっとこうなる。
もともと似通った汁モノの両者を敢えて融合されるとこうなるよねー、
という実験と研究の成果が”そばラーメン”なのでありましょうか。

セットメニューの中にあった一行を見付ければ、
どこの国のこと?と誰もが呟く「レバノン」。それは、レバーを揚げ炒めて濃い目のタレに絡ませたヤツ。
こいつぁ午前中から麦酒が欲しくなるじゃぁねーかと思いつつ、
その下に忍ばせたご飯とじっくりと混ぜ合わせると、
よりいい感じにそそるひと皿になるのであります。
それにしても、「レバノン」の”ノン”て何でしょうね。

「前田本舗」の厨房は、意外と多くのひとがきびきびと立ち動く。
ユニフォーム的ポロシャツの背には、
山頭火本店にあさめし前田”本舗の双方を併記。叉焼の下拵えにしては随分と大きな肉塊を俎板に据えて、
余計な脂やスジを丁寧に取り除く様子が見れたりする。

裏を返して「レバーとニラの焼きそば」醤油味。レバーの旨味がラードっぽい脂の甘さと渾然となって、
それを纏った麺や具材たちがグイッと迫る。
焼きそばに揚げ玉を塗すってもの一手でありますね。

旭川駅「山頭火」本店前から緑橋通りに徒歩5分。
移転前の「山頭火」本店跡地にあさめし「前田”本舗」はある。「山頭火」代表の畠中仁さんが、
「山頭火」の新メニューを考案するための、
「研究所的店舗」として流通団地に開いたのが、
この店のはじまりだったらしい。
その後きっと色々な変遷があったのやもしれないけれど、
調理や接客などなどに、力まず誠実にそして楽しげに向き合っている、
そんな様子が、厨房の気配から何処となく伝わってきます。

「前田”本舗」
旭川市三条通8 緑橋ビル一号館 [Map] 0166-26-7567

column/03781

元祖かきそば「玉川庵」で釧路の冬空に厚岸の牡蠣ごろごろのかきそばで温まる

冬の釧路はやっぱり寒い。
どん曇りの空から今にも雪の結晶が舞い降りてきそう。
そんな時には、地元釧路の老舗ラーメン店へ足を向けて温まるのも悪くないなと吐く息で両手を温めつつふと思う。
何気なく地図を広げて、縮尺をひいて眺めれば、そうだ!
釧路は牡蠣の産地として夙に知られた厚岸にも近いではないか。
ここで牡蠣をいただかない訳にはいかないと、
そう思い直すのでありました(笑)。

そんなこんなで釧路市街から足を伸ばしたのが、
新釧路川を西へと渡った鳥取大通り沿いから少し外れた辺り。

目的地を眼前にして、その粋な佇まいに嬉しくなる。鰊番屋をイメージして建てられたもののようで、
屋根の隅には望楼と思しき櫓が載っている。
屋根に塗られた紅とポストの朱の挿し色もいい。
空色地の幟は、元祖かきそば、の白抜き文字で誘っています。

黒の暖簾のその先もよい風情の佇まい。雪見障子のような障子の硝子越しに、
座卓に置かれた鍋から立ち上る湯気が見える。

入れ込みの座敷には、小屋根が設えてある。座敷の奥の壁へと目を凝らすと、
お面の下に木版が掲げられているのに気づく。
“百歳の命ささえるかきそばや 味と誇りは命一代”
忠輝とありますが、どなたが詠んだ短歌なのでしょう。

振り返って店の奥へと眼を遣ると、
蕎麦打ち場と思しき小部屋の囲いが見付かる。そろそろ註文の品が届きそうな、
そんな気配がしてきました。

まず手許にやってきたのは「牡蠣フライ」。決して大振りではないけれど、
衣に閉じ込められたその身が解けて小さく弾ける滋味は、
太くそして澄んでいて、旨い。

フライを追い駆けるように届いたのが、
名物と謳う「かきそば」のどんぶり。
厚岸の牡蠣がごろごろっと載っています。ふーふーふー、ずずずず。
甘めのかえしの汁には、
牡蠣から滲み出たエキスと若布の風味が滲みている。
ふーふーふー、ずずずず。
磯の野趣を含むどんぶりには太め田舎の蕎麦。
ふーふーふー、ずずずず。
あー、いやー、温まる温まる。

釧路の郊外に地元厚岸の牡蠣による、
元祖かきそばを謳う手打ちそば「玉川庵」がある。「かきそば」を啜って温まりながら、
このどんぶりはもうひと超え職人技の一杯になってもいいのじゃないか、
なーんて思ったりもした。
厚岸からは綺麗な牡蠣が届くはず。
流石に剥き立ての牡蠣という訳にいかないかもしれないけれど、
新鮮な牡蠣をいただけることが期待できる。
そんな牡蠣と若布と出汁なぞが齎す、
澄んだ磯の風味をより活かしたい。
潮汁のようにとなったら極端だけれど、
かえしの甘さや醤油をぎりぎりまで抑えたらどうか、とか。
そんなつゆには、骨太な蕎麦よりも、
つなぎを減らしたやや細めの蕎麦がきっと合う。
あ、でも、やっぱり磯っぽいのが苦手なひとも少なくないし、
一定量を手打ちするための事情もあるだろうしな、
などとグルグルと余計なことを考えつつ、
鰊番屋な建物を後にしたのでありました(笑)。

「玉川庵」
釧路市鳥取大通5-17-17 [Map] 0154-51-4628

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くしろ「炉ばた」で烏賊刺きんき茄子椎茸炉端焼き喜ばしき烏賊味噌しま海老

たんちょう釧路空港から釧路市街へは、阿寒バスが運行する空港連絡バスに揺られておよそ45分。
停留所のひとつ、JR北海道の釧路駅は、懐かしさと寂寞が交叉する佇まい。
赤煉瓦色の三層のラインが飾る駅舎は、その建設を国鉄と地元が共同で行い、代わりに商業施設を設けた、所謂民衆駅の道内で現存する最後のものであるらしい。
民衆駅地下には嘗て釧路ステーションデパートがあったが、2004年(平成16年)に閉店。
駅真ん前のホテルのひとつは今、廃墟のようになっています。

釧路駅開業90周年を記念して設置されたという、
D51の動輪越しに駅舎を見遣る。陽が落ちてから出没するのはそんな釧路駅前ではなくて、
釧路川も程近い末広町・栄町の繁華街。
舗道に埋め込まれた鮭のレリーフを拝み、
鮭を手に掲げる漁師に手を合わせてから向かうは、
炉ばた発祥の店と謳う、
その名もずばり「炉ばた」であります。

それは街灯の色味も手伝ってか、
古色然とした佇まい。寒さの抜けぬ頃まではどうやら、
窓にビニールで目張りをして隙間風を凌いでいるようです。

暖簾を払い、格子戸を引き囲炉裏をコの字に囲む炉端へ。竹で組んだ火棚越しに、
「たらの三平汁」に始まる品札が望めます。

北海道ご当地「サッポロ クラシック」をいただいて、
まずはひと息つく。
「いか」の刺身の按配のいい透明感と、
規則的な包丁の軌跡を暫し眺める。心地よくもねっとりとした甘さが溜まりません。

囲むカウンターの中心には、囲炉裏の主の姿がある。白髪に朱の頭巾の小母様が、煙の向こうに佇んで、
時折焼き物なぞの世話をする。
仰ぎ見た天井のコールタールを塗り込めたような表情に、
炭火の煙に燻し続けた積年を想います。

そんな炭火で焼いておろし生姜を添えた茄子が旨い。ちょいと醤油を垂らした椎茸も勿論のこと。

同時にお願いしていた「きんき」も焼き上がる。やや小ぶりな干物にも喜知次らしい脂の甘さがあって、いい。
そこへ釧路の地酒「福司」の冷やを。
囲炉裏端で呑ってる感、満載であります(笑)。

そしてそして「いか味噌」が喜ばしき佳品。ふんわり炙るように焼いた烏賊の中に、
やや甘い味噌のあん。
その甘さに嫌味なく、
烏賊の身の甘さを倍加させるように引き立てます。
そこへ「福司」をきゅっとね。

「ときしらず」は残念ながら直前で売り切れてしまったものの、
「しま海老」には有り付けた。紅い殻に縞模様がうっすらと浮かぶ。
外した殻の中のミソを吸い、白い身にしゃぶり付く。
これまた上品な甘さを想う旨味に、
ぶんぶん首を縦に振ることになりました。

品書きの「一品」の項にあった「めふん」は、
雄の鮭の中骨に沿って付いている、
血腸(腎臓)を使って作る塩辛であるようで、
これぞ呑ん兵衛の酒の友。「うに丼(小)」をいただいて大団円。
茶碗を飾る雲丹にミョウバンの気配なし。
澄んで濃いぃ旨味にじっと目を閉じます(笑)。

港町釧路で炉ばた発祥の店と謳うは、その名もくしろ「炉ばた」。“炉端焼き”という呼称の発祥は、
1950年(昭和25年)に仙台で開かれた「炉ばた」である、
というのが通説のようではあるものの、
当店が炉ばた発祥の店であり、
60余年の歴史があると品書きの裏にも明示している。
少なくともそれがただのハッタリではないと思わせる佇まいが、
今もここにあるようです。

「炉ばた」
釧路市栄町3-1 [Map] 0154-22-6636
http://www.robata.cc/

column/03752

カレーショップ「インデアン」まちなか店でインデアンカレーと似て非なるもの

或る夏の思ひ出。
元祖豚丼「ぱんちょう」のどんぶりの表情と外連味のない旨さが印象に残る帯広駅前にふたたび立っていました。
北の大地といえども強い陽差しがジリジリと照りつけ、内地よりも気温が高くって、カラッと過ごし易いことを期待していた身に堪えたことを思い出します。

そんな陽差しを最も浴びそうな場所から眼下を見下ろすと、
なにやらどこかエキゾチックなサイコロ状の建物が目に留まる。どの造形が宮殿チックを醸すのかと思いつつ近づくと、
壁に紅い文字で「インデアン」「Indian」とある。
え!インデアンって!まさか、あの??
実は相当びっくりしたのです(笑)。

まさか丸パクリだったりしねーよなーなんて、
多少訝りながらさらに近づく。パクッたにしては威風堂々。
この横顔は、”あの”「インデアンカレー」の意匠によく似て見える。
これはどうしたことかとぶつぶつ呟きつつ(笑)、
おずおずとドアの前に立ちました。

馬蹄型のカウンターに席を得て、
覗き込むように見定めるメニュー。
「インデアン」にはじまるラインナップは、
「野菜」「ハンバーグ」「エビ」、
「チキン」「カツ」「シーフード」と続く。
「ベーシックルー」「インデアンルー」「野菜ルー」と、
三つのルーの名が補記されています。

腹ペコ君が選んだのは、ベーシックルーの「カツ」。とろみ強めの見栄えを確かめつつ、
隅っこから匙を動かしてルーを拾う。
“あの”「インデアン」のカレーと云えばなにより、
フルーティな甘さの後にエッジの利いた辛味風味が湧き上がる、
その二段階攻撃が特徴なのだけれど、
こちらの「インデアン」のカレーは、
そのメリハリの気配はほぼなし。
ちょっと拍子抜けしつつも、
これはこれでよいと素朴に思う。
ただ、”あの”「インデアン」との関わり様が、
十勝の霧に霞んだことも確かでありました。

ちょうど帯広駅周辺を離れるバスまで時間があったので、
裏を返すようにふたたび寄ってみる。
今度はインデアンルーの「ハンバーグ」をいただきます。卓上の「ホットオイル」案内を眺めつつ待つこと暫し。
ベーシックルーに比べ多少スパイシーな感じは伝わるも、
およそ同じベクトルのインデアンルー。
やはり”あの”「インデアンカレー」の印象が強過ぎるのかもと、
そんな風に独り言ちる。
似て非なるも「インデアン」のカレー。
でもやっぱり、これはこれで悪くない(笑)。

帯広駅最寄りの市街地に、
カレーショップ「インデアン」なかまち店がある。ショップカードを眺めるとなんと、
帯広近郊に10店舗、釧路に2店舗もある!
本家と思しき“あの”「インデアンカレー」のwebサイトには、
帯広店の記載は勿論ないし、
こちら「インデアン」のWebサイトには勿論、
大阪や東京の店舗の記載はない。

ここでやっと、このあたりのことについて以前、
やまけんさんが記述していたことを思い出す。
帯広「インデアン」を営むフジモリ食堂の社長が、
大阪で「インデアンカレー」を食べて感動し、
自分なりに作ったのがこの店らしい、とある。
太っ腹による暗黙の了解なのか、
実はそこそこ懇意にしているのか、
そのあたりは不明ながら商標争い騒ぎになっている様子はない。
もっとも「インデアン」での商標登録はし難いかもしれません。
特段の競合もなさそうだし、
帯広のソウルフードとまで云われる今となっては、
争う必要もないのかもしれませんね。

「インデアンカレー」まちなか店
帯広市西2条南10-1-1 [Map] 0155-20-1818
http://www.fujimori-kk.co.jp/indian/

column/03747