蕎房「猪口屋」で鴨焼き煮牡蠣だし巻き玉子辛味おろしざる佳いひる酒あります

“湘南”とは何処からどこまでを云うのか。
「ブラタモリ」だったか、そんなテーマのコーナーを設けた番組を観た覚えがある。
その定義は案外と簡単ではないようだけれど、茅ヶ崎がその範疇にあると多くのひと達が捉えているのは間違いなさそうだ。
そんな茅ヶ崎はJRの駅に降り立った春の或る日。
江の島や江ノ電沿線の海を訪れたことは何度あっても、ザ湘南のひとつの茅ヶ崎駅で下車することは、齢ウン歳にして初めてのことでありました。

サザン通り、なーんて商店街がある訳ね、とほくそ笑みながら(笑)、
ぷらぷらと海へ向けて通りを散策する。
途中で左に折れて、高砂緑地にある美術館に寄るのも悪くない。

お天気は残念ながら薄曇り。
海に出て、おのぼりさんよろしくヘッドランドの先端まで。正面にはあの、烏帽子岩がみえてきた。
砂浜の浸食を防ぐために作られたという通称T-BARは、
ハンマーヘッド(撞木鮫)の頭のような形をしている。

ヘッドランドビーチのデッキで暫くボーっとしてからやおら、
中学校の脇に沿って松並木の通りを辿る。松葉の向こうにある一軒家も、
この日の目的地のひとつなのであります。

満席のL字カウンターを横目に案内されたテーブル席に落ち着く。まずは渇望の麦酒を小さいグラスでいただいてひと心地。
窓辺のこの日品書きを眺めつつ、グラスを傾けます。

目に留まった「鱧の天ぷら」がやってきた。肉厚な小さな陶器に用意された梅肉をちょんと添えて、鱧を食む。
いいねぇ、あっさりとした滋味の鱧の身がふくよかに味わえる。

日本酒もいいけど偶には焼酎もいいねってな気分になって、
そば焼酎の「泰平踊り」を所望する。伊勢原の寿雀卵という玉子をつかっているという、
「だし巻き玉子」は、塩梅のいい出汁の加減のふるふる具合。
出汁と玉子の風味との均衡が嬉しくて、一気に食べてしまいます。
夜に来るとちょっぴりお安い「でし巻き玉子」もいただける。
はい、お弟子さんが巻くようです(笑)。

そして、蕎麦と饂飩の相盛りを「鴨汁」で。相盛りが故やもしれないけれど、
こんな盛り付け方も面白い。
蕎麦は、塩で食べたくなりそうな、
ささやかにでも確実に滋味と甘みがあるヤツ。
細くして弾性に頼れるうどんは、
つるんと滑る口当たりが艶めかしい。

鴨の汁も個性あるつけ汁であります。
鴨の胸肉あたりがゴロンと入った汁ではなく、
賽子状の鴨肉が入り、その脂が薬味たちと一緒に浮かんでる。うんうん、蕎麦湯を溶いて、
美味しく完飲してしまいます。

後日また、ヘッドランド近くのひる時にいた。
今度はカウンターの隅に陣取って、ふたたびの小さな麦酒。厨房の足場板のような渡し板に整然と載る器たち。
肉厚な陶器なぞを眺めては、
どちらの作家ものなのだろうかと訊きそうになる。
いやいや、落ち着け落ち着け(笑)。

そして、鴨が葱背負ってやってくる(笑)。「柿チーズ」はそのまんま、
庄内干し柿とクリームチーズの取り合わせ。
いいね、麦酒にも日本酒にも合いそうだ。

カキと云えばやっぱり、
「煮牡蠣」もいただかなければなりますまいて(笑)。
赤穂坂越の牡蠣が、丁寧に絶妙な加減で煮付けられてる。
こりゃやっぱり日本酒だ。これもまた、あれば註文みたいのが「白魚の天ぷら」。
小さな甘さがとってもふくよかな気持ちにさせてくれます。
燗のお酒は、純米生酛の「大七」あたりで。

お蕎麦は、辛味おろし付きのざる、なんて小粋な感じ(笑)。
うん、佳い蕎麦だね。お品書きの隅に書き示しているように、
大根おろしや山葵、葱といった薬味はもとより、
濃厚な出汁をとるために多量に節を使うつけ汁にも追加に料金が掛かる。
然るべきことでありますね。

調子に乗って「ミニカレーうどん」まで食べてしまった。スパイシーなカレーの風味の誘いに抗いがたく、
そんなワタシをお許しください(笑)。
辛さの中に酸味とフルーティーな甘さとがふつふつと含むカレーに、
気風のいいうどんがよく似合います。

蕎房「猪口屋」の平屋家屋は、
茅ヶ崎海岸のヘッドランド近くの松並木沿いに佇む。「猪口屋」の存在を知ったのは実は、
あの、神楽坂の石臼挽き手打ち蕎麦「蕎楽亭」のカウンターにて。
「猪口屋」店主の畠山利明さんは、
「蕎楽亭」マスターの長谷川健二伯の下で修業した後、
晴れて独立し、茅ヶ崎に店を設けた。
自らの個性を保ちつつも、
師匠やその店の凛とした佇まいを備えたいと、
日々蕎麦を挽き、出汁をひきしているようにも思えて、
また行ってひる酒したいなぁと、そう思うのです。

「猪口屋」
茅ヶ崎市東海岸南6-3-18[Map]0467-55-9688

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