居酒屋「うち田」で鰯のつみれ汁玉蜀黍の掻き揚げ世田谷初登録文化財住宅のお膝元

国道246号線上の池尻大橋と三軒茶屋とのちょうど中間点といえばそう、それはご存知三宿の交叉点。
近頃の若者にはハテなんのことやら分からないだろうけれど、三宿交叉点エリアは嘗て、トレンディスポットと謳われて妙に賑わっていた。
今となってみれば、”トレンディ”って言葉の響きすらなにやらとっても気恥ずかしくって堪らない(笑)。

そんな三宿の交叉点から少々三茶寄り。
世田谷学園へと向かう道を逸れ、
クランクしたその先は袋小路となる、
如何にも世田谷らしい裏道の一辺に接して、
一軒の住宅が佇んでいます。どこかモダンなヴェールを帯びた木造家屋の屋根は、
陸屋根(フラットルーフ)。
それが大正13年(1924年)の竣工だと知れば、
当時どれだけ斬新であったかと俄然興味が沸いてくるでしょう。

玄関脇の掲示にもあるように、
萩原庫吉邸は、世田谷区で初の登録有形文化財。掲示板の解説の冒頭にはこうある。
この住宅は、大正から昭和初期に活躍した、
日本を代表する建築家である遠藤 新(あらた)によって設計された。
遠藤は建築家F・L・ライトに師事、
帝国ホテルの設計に携わったほか、
ライトとの共同設計で目白の自由学園明日館、
芦屋市の旧山邑家住宅(いずれも重要文化財)などを手掛けた。

玄関ホールの右手にすぐ書斎がある。
肉厚で力強さを思わせる作り付けの机や書棚が置かれ、
翻訳の仕事などの後に朝日新聞の記者として活躍したという主や、
同じく新聞記者であったという二代目が執筆に向かう姿が彷彿とする。玄関ホールの左手には居間がある。
書斎、玄関ホール、居間、そして母屋という風に、
廊下を介さずに部屋を繋げていくスタイルも、
ライトに師事した遠藤新の設計の特徴であるという。

今でこそ一般に知られるようになったパーゴラも、
大正末期に既に設計に組み込んでいたとなれば、
これをお洒落と謂わずして何をそう云おう(笑)。近代建築の巨匠と云われるフランク・ロイド・ライト。
井上祐一・小野吉彦共著の「ライト式建築」には、
萩原邸を設計した、一番弟子の遠藤新をはじめとする、
ライトの弟子たちの名建築が掲載されています。

そんな萩原庫吉邸は今、萩原家住宅三代目女史に引き継がれ、
“登録有形文化財 萩原家住宅 Atelier hagiwara” として、
活用が図られているところ。
登録文化財であるがゆえの保全管理の要請などもあって、
対応が容易でないのかもしれないけれど、
これだけ趣のある、雰囲気のある、表情のある建築ですもの、
映画のロケ場所に使われるなんて日が、
いずれやってくるかもしれません。

玄関ホールから居間を真っ直ぐ通り抜けて奥へと進むと、
高い天井を持つ増築棟へとそのまま入れる。ピアノの置かれた部屋では、
オーストリアを中心とした欧州や世界各地でも活躍する、
ヴァイオリニストであるところの三代目女史により、
室内楽のコンサートなどなどが折りに触れ催されています。

そんな萩原家住宅から玉川通りを下れば、お膝元の三軒茶屋の街。
いつぞやの沖縄料理「我如古」や、
懐かしのちゃんぽん店「来来来」などを含め、
様々な飲食店のある茶沢通り沿いはもとより、
その一本西側の裏通りにも幾つもの飲食店が軒を連ねています。

裏通りが茶沢通りへと合流せんとする辺り。
赤い煉瓦色のタイル張りの建物にも一軒の飲食店がある。灯りの点った行燈看板には、
居酒屋 三茶「うち田」とあります。

小上がりの座卓に腰を据えて、
乾いた喉を潤す麦酒を所望する。突き出しをいただき乍ら、
卓上に用意された品書きを手に取る。
手書きで二枚の紙に書き連ねたその晩の酒肴たちは、
ざっと数えて盛り沢山の70品近く。
最後は書き切れなくなった様子がありありしてちょっと面白い(笑)。

初めて耳にする「サンゴ樹トマト」は、
実のパンパンに詰まった高糖度なトマト。
トマトの古名であるところの”珊瑚樹茄子”がその名の由来のようで、
嫌味のない甘さに素直に頷く。期待通りの甘さと芳ばしさが堪能できるのが、
「とうもろこしとホタテのかき揚げ」。
それはズルい、ってなヤツですな(笑)。

ここは日本酒だよなぁーと思いつつ、
正面に見据えるカウンターの付け台に貼られた張り紙に目が留まる。
生搾りサワーと題したその一片には、
日向夏、デコポン、フルーツトマトにわさび、新生姜など、
10種類のサワーが手書きされてる。

これまた初めて耳にする、
日向地方特産と云われる柑橘「へべす」の生搾りサワーは、
柔らかな酸味香気がよくって、俗に云う危険なヤツ(笑)。お造りは、「アズキハタ刺」に「出水の釣り鯵刺」。
沖縄や八重山でのダイビング中に顔を合わせることのある、
アズキハタをいただくのもまた初めてのこと。
南の島の魚の刺身も身の絞まった鯵に負けていません。

それってどうよと思いつつ、
「パクチー」のサワーを所望する。
そりゃもう、勿論、
パクチーとコリアンダーとシャンツァイ全開(笑)。でも、嫌味なくすっきりと、爽やか旨い。
「新じゃがフライ(黒七味と塩で)」が妙に似合います。

〆る感じでといただいたのが、「いわしつみれ煮」。鰯を捌いて叩いてつみれにしてって所作を思うと、
その手間の分ものっかって、
有難くもより美味しく感じてしまいます。

三軒茶屋は茶沢通りの外れに居酒屋「うち田」はある。次回はぜひ、日本酒をいただく構えで臨みたい(笑)。
沢山の品書きからあれやこれやと悩むのもきっとまた愉しいはず。
ちなみに、三角地帯の奥の「赤鬼」方面、
武蔵野うどん「じんこ」近くに、
「うちだ」という和食店があるとのことで、
取り違えないよう注意が必要です。

「うち田」
世田谷区太子堂4-28-6 サダン太田ビル1F [Map] 03-5430-3711

column/03760

餃子の店「福みつ」で餃子定食中に餃子20個麦酒とともに浜松餃子の人気店のひとつ

浜松が王者として君臨してきた宇都宮を下して年間消費量第1位になったとか。
いやいや、宇都宮が負けじと発奮してふたたびその座を奪還したとか。
そんなことも時に話題となる餃子の街の双璧、宇都宮と浜松。
ただ、統計から算出される消費量は、ふたり世帯以上の家庭内でのもの中心のようで、専門店や中華料理店での消費などはカウントに含まれていないらしい。

どっちも美味しければそれでええやんかーと思いつつ(笑)、
宇都宮の代表店「みんみん本店」でいただいた餃子は、
紛れもなく素直に旨かったことを思い出す。
そのご近所の「正嗣 宮島本店」にもお邪魔せねばと思いつつ、
行列もあってなかなか果たせていないことにも思い至る。

一方、浜松では駅ビル内の「石松」とか、南口の「むつぎく」、
隣駅高松最寄りの「喜慕里」あたりぐらいしか訪ねたことがない。
軽やかな感じが確かに美味しいし、沢山食べられそう。
ただ、それは幾分かの物足りなさと背中合わせであるような、
そんな感慨も含んでいました。

気になる餃子の店がひとつ、
浜松駅からちょっと離れた住宅地にある。
ふたたび浜松にいたおひる時をよい機会と遠鉄バスに乗る。
辿り着いたのは、煉瓦色の総タイル張り三階建ての建物。今時珍しくも、袖看板にネオン管を使っている。
宵闇の様子も眺めてみたいような気分が一瞬過ぎります。

人気店ゆえ、空席を暫し待つ。外壁と同じタイル張りの壁に留められたお品書きには、
餃子10個から5個刻みに50個まで。
餃子専門店としての矜持を垣間見るような気がします。

ご案内いただいたテーブルの上には、ラー油の容器も勿論ある。その周辺 がどうにもベタつくのが常だけれど、
入れ子にすることでそれを避けていて、いい。
単純なことだけど、案外この配慮を他で見ないもンね。

餃子15個の「定食(中)」の膳がやってきた。雲形と呼べばいいのか、
特異なフォルムのお皿は使い込まれて、
店名が少し擦れてきています。

浜松餃子の特色として挙げられるモヤシの姿はない。
そして、半ば揚げたかのような焼き目の表情にふと、
沼津餃子「中央亭」を思い出す。「中央亭」の餃子は、そこから湯を注いで茹でることで、
独特の食べ口を実現しているけれど、
此処ではそのまま、
揚げ焼きの芳ばしき皮の歯触りが魅力のひとつとなっています。

そんな皮に包まれたあんは、刻みキャベツが主体のようで、
肉々しく肉汁溢れる、というノリとはやはり逆方向の、
野菜の甘さを軽やかに呈してくれる餃子だ。

季節が移ろう中で、
餃子はやっぱり麦酒と一緒にいただきたいよね、
との願いが叶う日がやってきた。餃子20個に瓶麦酒。
ご飯も味噌汁もいらない。
ただただ、餃子、麦酒、餃子、麦酒を繰り返す正午前(笑)。
待っているひと達には申し訳ないけれど、
餃子が冷めないうちに、でもゆったりと。
なかなか悪くないひと時でありました。

浜松の人気餃子専門店「福みつ」は、
駅からやや離れた住宅地にある。満腹のお腹を擦りながらしばし眺めていると、
店の向かいに用意された駐車場にどんどん車がやって来る。
地元民にしっかり支持されているのだろうと思われて、
好感度がより増してくる。
なのに、宇都宮餃子ももっと知らなければと思ったりもするのは、
天邪鬼な所為に他なりません(笑)。

「福みつ」
浜松市中区佐藤1-25-8 [Map] 053-461-6501

column/03759

純北京料理「東華菜館」本店で川床の麦酒と炸春捲五色炒飯独特な異国情緒と存在感は

八坂神社を背にして四条通りを歩き、先斗町や河原町へと鴨川を渡る。
橋の左手の欄干に沿って往き、視線をその先に送れば自ずと目に留まるその威容。
京都のど真ん中にあって、この異国情緒とは何ぞや。
四条大橋を渡る度に、その建物を含めた存在がずっと気に掛かっていました。

団栗橋との交叉点前にある、
おでん「蛸長」の佇まいをお久し振りに眺めてから、
川端通りの舗道に沿って遡上する。焼肉「天壇」祇園本店の向かいを過ぎ、
南座を背にする位置に立ち止まり、改めてその姿を眺める。
鴨川沿いに建ち、そのファサードをすっかり晒していることが、
建物の魅力の直截な発露にひと役買っているのだなぁと思わせます。

そんな「東華菜館」のエントランスは、四条通り沿いにある。
設計者は、米国生まれの建築家にして、
メンソレータムで知られる近江兄弟社の創業者のひとりでもある、
ウィリアム・メレル・ヴォーリズ氏であるという。

Webサイトでは、ヴォーリズの設計や造形について、
玄関ファサードで印象的な海の幸・山の幸等食材のモチーフは、
館内にちりばめられており、目を楽しませてくれます。と、
解説しています。緑青色の銘板の脇からも鴨川納涼床の舞台が見下ろせる。
約120席の納涼床は例年、
5月の始めから9月末日まで催されているようです。

心配していた天気も愚図つくこともなく、
心配していた強い陽射しも、
川の西側に建物が建つという立地に助けられ、
川面を渡るそよ風の中でいただく口開きのプレモルが、
これまた美味しい(笑)。前菜の盛り合わせ「冷葷」のお皿には、
若鶏の蒸し物、焼き豚、湯葉に海月の酢の物等が載る。

そしてとっても気になっていたのが、
「炸春捲」つまりはハルマキ。
それは、上七軒の「糸仙」でいただいた「春花捲」や、
河原町通りの「ハマムラ」でいただいた「焼鰕捲」に似た、
独特の皮が包む。
太目の千切りにした筍をメインにそれを束ねるようにした具が、
スッパリと包丁を入れた断面から綺麗に覗く点も同系統だ。
実はこの手のハルマキが好きなんだ(笑)。「干烹大蝦」はその名の通り、
大きな海老の揚げ物が主題。
大口開けてガブリと齧り付けば海老の甘さが一気に弾ける。
うん、これも悪くない(笑)。

ひと心地ついたところで何気なく頭上を見上げる。
壁にもタツノオトシゴや蛸などをモチーフとしたレリーフが、
所々に配されているらしい。夜の帳が鴨川の縁にも下りてきました。

お会計を済ませたところで、
建物内部やエレベーターなぞを見学したいと申し出る。
ぜひぜひと快諾してくれて早速、
みんなでエントランスホールのエレベーター前へ。

「東華菜館」のエレベーターは、Webサイトによると、
1924年米国で製造、輸入されたOTIS製。
現存する日本最古のエレベーター、であるという。三枚の硝子扉の中にある格子形の蛇腹式内扉がいい。
運転手のオジ様が操作盤を操作するとゆっくりと昇っていく。
四角い箱ではなく、
当時からしてL字の二面に扉があるカゴの形状であったなんて、
何気に凄い。
扉の頭上に備えた時計針式のフロアインジケーターが、
兎に角いい味出してます。

いい味といえば、上階の宴会場の設えも調度も遜色がない。
長椅子やサイドテーブルなど、
2階の個室にはヴォーリズ設計の家具が配されているそう。テラスから眼下を見下ろせば、
さっきまで佇んでいた川床のデッキがみえる。

そう云えば丁度一年位前にも此処にお邪魔したことがありました。その時はビアガーデンとなる屋上と同じように、
提燈の揺れるテラス席へ。
シェードがあるので多少の暑さは凌げて、風も入る。
眺望よろしく、四条大橋渡る鴨川を見渡し、
お向かいの南座の横顔を眺めます。

ただ実はちょっと困難なことがあった。
メニューを開き、日本語勉強中のお兄さんに相談するも、
一品料理それぞれのポーションがそもそも、
おひとりさま客の想定をしていないンだ。

あれこれいただきたいけれど、お皿を絞り込まねばならぬと、
まずはビールをいただいてからウーンと腕組み(笑)。
日本の中華料理の定番系で攻めてみようかふとそんな気になって、
まずは「乾焼明蝦」つまりはエビチリをいただく。「糖醋肉」つまりは酢豚の肉団子がいいんだな。

そして「東華菜館」の素朴なスペシャリテが「五色炒飯」。しっとりと炊かれたご飯の粒が立っているのは勿論のこと、
薄味にして旨味のベールがきちんと包んでいて、
なんかこう、ちょっとした品格があるのです。

京都の真ん中、四条大橋の畔に純北京料理の「東華菜館」はある。Webページには、
「東華菜館」の前身は、西洋料理店「矢尾政」。
「矢尾政」二代目店主・浅井安次郎氏がビアホールブームに乗り、
新しいビアレストランをイメージ。
その設計をウィリアム・メレル・ヴォーリズ氏に依頼し、
大正15年に、このスパニッシュ・バロックの洋館が生まれました。
とある。
成る程、元々は洋食のレストランだったんだ。

ところがその後、戦時色が深まる中にあって、
洋食レストランの存続が許されない状況になり、
二代目店主は建物を中国人の友人・于永善に託す。
大連で北京料理のベースである山東料理を修得していた于永善は、
ここで北京料理店を創業。
昭和20年末に「東華菜館」が誕生する。
この独特な異国情緒と存在感は、
そんな時代の背景の下生まれたものなのでありますね。

「東華菜館」本店
京都市下京区西石垣通四条下ル斎藤町140-2 [Map] 075-221-1147
http://www.tohkasaikan.com/

column/03758

鮨「伊とう」で相模湾地物魚介の肴鮨伊藤家のつぼは今真鶴の粋な佇まいの中に在る

伊豆というと真っ先に思い出すのがずっとずっと若い頃のこと(笑)。
多分大学に入って最初の夏だったと思うのだけど、多々戸浜か碁石浜辺りの、浜からちょっと離れた山間に建つ別荘を仲間でお金を出し合ってひと晩かふた晩借りた。
夏の陽射しガンガンであっという間に真っ黒になり、日焼けした背中にひーひー。
砂浜に腰掛けてずっと眺めていた夏の海の光景がずっと印象に残っています。
海っていいもんだなぁってね。

それ以来、
道路の渋滞に嵌りつつもちょこちょこ下田白浜方面へ出掛けたり、
会社の先輩たちのクルーザーで西伊豆や南伊豆へ向かったり。
すっかり南の島系リゾートダイバーになっちゃたので、
伊豆のポイントを沢山知っている訳ではないものの、
海の中もやっぱりいい。
そうそう、シュノーケリングも愉しいヒリゾ浜も素敵な場所でした。

話は替わって昨年の晩夏のこと。
「伊豆半島太鼓フェスティバル」というイベントが、
南伊豆の松崎町で催されました。

松崎海岸の防波堤の向こうに夕陽が沈みゆく。
松明が炊かれ、そんな海辺の夕景をバックに太鼓が響く。ロケーションも手伝って、街中の祭り太鼓とはひと味違う臨場感。
地元以外の太鼓団体も招聘し、
例年4組のそれそれに特徴のあるグループが競演する。
既にもう20回近くの開催を数える、
晩夏恒例のイベントとなっているようです。

なかなか素敵なひと時だったし、
遅い夏の伊豆の浜辺で寛ぐのも悪くないぞと、
今年も伊豆行き、松崎町詣でを計画。
ところがなにやら秋雨前線の活動活発により雨予報。
フェスティバルの実行委員会が下した開催の決定にほっとして、
ふたたび松崎海岸の特設ステージ前に陣取りました。
ところがところが、太鼓の演奏中に暗雲垂れ込め雷鳴轟き雷光閃く。
あっという間に物凄い土砂降りとなって、
急遽イベント中止と相成りました。
ずっと多量の雨が打ち続ける中を合羽を頼りにとぼとぼ歩く。
この夏を象徴するような極端な天候を身をもって味わったのでした。

土砂降り雨の翌朝は、
予報が外れて台風一過のような清々しい空。堂ヶ島の並びにある田子瀬浜海水浴場に寄り道してひと泳ぎ。

さっと着替えて長駆、伊豆の尾根を跨いで向かったのは、
湯河原のお隣、真鶴半島のど真ん中。細い半島ゆえの狭隘な道から急坂の先を見上げると、
よく見知った扁額が目に留まる。
八丁堀・入船の市場通り沿いにあった「伊藤家のつぼ」は、
2017年の夏で移転のため店仕舞いしていたのです。

移転先はどんな様子なのだろうと、
駐車場から更に坂道の上を見遣ればなんと、
格式ある旅館のような佇まい。玄関の土間に履物を脱いで板敷きの廊下に上がり、
すぐ脇の引き戸の先へと案内いただく。
忽ち目に飛び込んでくるのは、窓枠を額縁とした紺碧の海と空だ!

そして、柔らかく迎えてくれるのはいつぞやのご尊顔と、
デデンと横たわる一枚板のカウンター。地元の路地物柑橘で作った「真鶴果実のザクザクサワー」が、
すっきりと美味しい(らしい)。
運転手は呑めないねと悔しがる(笑)。

カウンターも然る事乍ら建具や調度もとてもいい。思わずきょろきょろした先には、
スポットライトを浴びた素麺南瓜や台湾茄子、冬瓜なぞの飾りが映る。

口開きは坊ちゃん南瓜の天麩羅に落花生。清澄白河の「リカシツ」で仕入れたという硝子の器に盛り込んだのは、
地のメジナに築地から届いたつぶ貝。
そして、藁で炙った地物の鰹。
辛味を添えたおろし玉葱と実によく合います。

立派な陶板への盛り込みがやってきた。穴子の手毬鮨はもとより地物の蛸に煮付けた床臥がいい。
どうやって蛸を柔らかく煮るのかと大将に訊くと、
なんでも一度冷凍するのもコツのひとつなんだそう。
嗚呼、お猪口をきゅっと合せられないのがなんとももどかしい(笑)。

と、大振りで活きのいい伊勢海老の顔見世興行(笑)。ちょっと可哀想な気にもなるけど、
さてどんな姿で供されるのか愉しみが膨らみます。

握りの手始めは、地の笠子。
カサゴらしい品の良い甘さが口腔にすっと広がります。皮目も艶やかな奴はと云えば、これまた地物の金目。
相模湾の深いところに潜んでいた奴なんでしょう。

島寿司よろしく芥子をちょんと戴いた鮪の酸味。白鯛は昆布〆にすることで艶が出て、
利かせた梅酢もまた粋な仕事になっています。

ひと呼吸置かせてくれた椀の中心には、真薯がある。
そのネタは嘗てスミヤキと呼ばれたクロシビカマスだそう。
相模湾周辺でよく食べられるもののようだけど、
初めていただくお魚であります。そして、障泥(アオリ)烏賊が旨い。
麺状に切りつけたものを纏めて、胡麻をあしらい檸檬を搾って。

旨いと云えば藁炙りしたトロがいい。秋刀魚も炙れば、実山椒の似合う味の凝集をみる。

巻物に続く大トリがお待ち兼ねの伊勢海老。身包み剥がされ、こんな姿になってしまって!と一瞬思うも、
そんなことはすっかり忘れて、
口に含んだ素敵な甘さにただただにんまりしてしまいます(笑)。

時季や海況により左右されてやりくりする必要は勿論あるのだけれど、
相模湾周辺から眼下の真鶴港に揚がる地物の魚介を極力供したい。
そう、大将は仰る。
それを八丁堀で鍛えた(笑)、手練で繰り出してくれるし、
そのステージや背景が素晴らしい。
加えて、大将や女将さんから自ずと滲み出るひと当たりの良さも、
大きな魅力なのであります。

八丁堀・入船で人気を集めた「伊藤家のつぼ」は今、
真鶴半島の真ん中の粋な佇まいの中に在る。此処が「伊藤家」「伊とう」となる前は、
旅館をリノベーションして、
岡本太郎作のユニークな「河童像」が出迎える、
アートミュージアムであったらしい。

アートミュージアム閉鎖後の建物を手に入れて、
あちこち傷みのきていた内外装に手を入れて、
雰囲気に似合うアンティークな家具を揃え、
大きなカウンターを重石に据えた鮨「伊とう」には、
なんとお泊りが出来る。宿泊場所となる二階の肘掛け縁からも勿論、
相模湾の青に臨むことが出来る。
そう、お泊りしちゃえば、車の運転の心配もないまま、
お酒をお供に大将の料理や握り、お喋りを堪能できるのです(笑)。

「伊とう」
神奈川県足柄下郡真鶴町真鶴1200-18 [Map] 0465-87-6460
http://manadurunoitoke.blog.jp/

column/03757