「踏切脇線路沿い鉄な情景」カテゴリーアーカイブ

BAR「THE BANK」でヨロッコビールにkilchoman銀行出張所が今も佇む六地蔵

うろうろ徘徊したお陰か、断片的乍らもなんとなくはその様子が脳裏に浮かぶようになってきた鎌倉・小町通り界隈。
やっぱり路地が好き!な性分が、狭い道や暗い横丁に足を向けさせるためか、野菜料理とワインの店「binot」のクローズ移転を寂しく思ったりする。
そんなにこまめに通えるわけでもないのにね、ホント(笑)。

鶴岡八幡宮の裏手東方、岐れ道と名付けられたY字路の先にも、
色々と気になるお店があるのだなぁと思う一方で、
偶に江ノ電に乗る旅情にも、慣れてなお魅かれるものがあります。

観光客には割りと縁遠いぃと思うは、
鎌倉駅からひと駅目の和田塚駅。
線路に交差する細い通りを南に見下ろせば海の気配。
そちらとは逆に海を背にして踏切を渡り、
六地蔵交叉点方向へとゆっくりと歩きます。

変則六叉路とも思う交叉点に接した細長く尖った三角地。
その敷地の特性を活かすかのように小さくも悠然と佇む建築物。
レトロな色彩も多分なその景色の良さに思わず足を止める、
そんなひともきっと少なくないでしょう。

隅切り部は美しくRを描く。
その壁面には右から左へ”由比ガ浜出張所”と緑青色の文字。その下に据え付けられた硝子の庇には、
「THE BANK」と緑青と同色の文字が載せられている。
味わい深いこの建物は、1927年(昭和2年)に、
鎌倉銀行・由比ガ浜出張所として建てられたものだという。
こんな姿の出張所を建てる銀行ってなんだか実にいい(笑)。

そんな鎌倉銀行・由比ガ浜出張所は、
再編を繰り返す金融機関の定石により、
横浜興信銀行(今の横浜銀行)の出張所となり、
1945年(昭和20年)に閉店した模様。
その建物が、名のあるアートディレクター氏の手によって、
バーへとリニューアルされ、
銀行店舗転じて「THE BANK」という名のBARとなったのです。

これまた緑青色基調の扉を開けば、
正面に石張りで化粧したカウンターの腰壁と、
足置きの所謂バーが目に留まる。銀行の店舗に足置きのバーがあったとは考え難いけど、
もしかしたらカウンターそのものは銀行時代からのものだったりして、
なんて想像を巡らすのがなかなか愉しい。

テラコッタ風の壁や天井の仕上げ、
照明器具などはリニューアルによるものであろうけれど、
それはそれで心地よい雰囲気に仕立ててくれている。入口扉の右の壁に埋め込まれていた”BB”は、
コースターの図案にもアイコンとして収められています。

まだ明るい外の光を硝子越しに受けつついただいたのは、
クラフトビールの「Peninsula Saison」。屈託のない華やかな甘みと香りに思わず刮目してニヤリ(笑)。
「Peninsula Saison」は鎌倉市岩瀬に所在する、
「ヨロッコビール」のレギュラー銘柄のひとつだという。
三浦半島で育った小麦を原料の一部に使用していることから、
Peninsula=半島の名を冠しているとある。
「富山産ほたるいかのスモーク」が意外とよく似合います。

いつぞやこちらでも一度いただいたことのある、
「知多のハイボール」をふたたび。いつもの「角」もあの「白州」のハイボールも勿論美味いけれど、
グレーンウイスキーの「知多」も負けずに美味いのはご承知の通り。

想定外に高根の花になりつつある日本のウイスキー。
そこが最近の悩みの種なんだよなぁなんてひとりごちる。アンチョビとトマトとケッパーの本日のピザをお供に。
冷凍の生地とアンチョビをウチにも常備しなくっちゃと思った次第(笑)。

改めてまだ明るいバックバーに目を凝らす。
右上の棚の左寄り。
見慣れないラベルが色違いで並んだボトルたちに目が留まる。「kilchomanキルホーマン」のsanaigサナイグというヤツ。
キルホーマン蒸溜所の創立はなんと、2005年。
124年ぶりにアイラ島に新しく誕生した蒸溜所だという。
新しくアイラ島に蒸溜所が出来ていたなんて知らなんだ(笑)。
アイラらしいピート香は背景にあって、
メローな妖艶な味わいが主旋律。
こんな美味いアイラを今まで知らなかったなんて、嗚呼。

そんなアイラを舐めながら壁の額に目を遣れば、
恐らく建設直後の往時のものであろうモノクローム。そして陽が傾き、窓から入っていた明るさが減衰して、
カウンターが次第にアンバーな色合いを濃くしてゆきます。

鎌倉から江ノ電でひと駅目。
和田塚駅から辿る六地蔵交叉点にBAR「THE BANK」は佇む。アートディレクターにして店主の渡邊かをるさんという方が、
2000年にレトロな銀行店舗をBARへとリニューアル。
ただ、渡邊さんが2015年に亡くなったことで、
一時クローズしてしまっていたという。
その後、再興する後継者が現れたということがまず素晴らしい。
往時の空気感もきっと素敵に紡がれているのだろうとそう思います。

「THE BANK」
鎌倉市由比ガ浜3-1-1 [Map] 0467-40-5090

column/03803


うどんそば処「勢川」本店で豊橋カレーうどん土鍋の底からとろろご飯のひと捻り

路面電車の走る街はいい街だ。
新幹線のひかり号もしくはこだま号で降り立つことになる豊橋駅。
愛知県内にあるはずのその位置がどうもいつも曖昧なままなので、改めて地図を眺めてみる。
すると、鈎針のような形をして対岸の三重県の鳥羽辺りへ向けて突き出し、知多半島とのコンビで三河湾を構成している渥美半島のその根っこ、東三河の中心にあるのが豊橋であることが判ります。

そんな豊橋の駅東口からデッキに出る度に、
豊橋鉄道市内線のプラットホームを見下ろすのがお約束。豊鉄市内線は、広告主によって車輌の彩りが七変化。
ご存知、走る屋台”おでんしゃ”にはなんと、
電停に正午前集合の昼便もあるようです(笑)。

白黒ツートンの”パト電”なんてのもあるのかと感心しつつ、
路面を走る電車に揺られて終点まで行ってみる。小じんまりとひっそりとした操車場に郷愁を覚えつつ、
今来た経路を乗り戻る。
交叉点を大きく曲がる姿はなかなか見応えがございます(笑)。

テッチャン気分を充分満喫したならば、
駅前の電停からの足をいつぞやの割烹料理店の方向へと向けてみる。
この角を曲がれば「千代娘」の横丁だというその角に、
気になるネオンサインがあったのです。扁額示すは、うどんそば処「勢川」本店。
以前訪れた際の夜の景色とはまた違い、
蒼空の下に佇む建物は、朗らかにして枯れた味わいが実によい。
空席待ちのひと達で賑わうことも少なくないようです。

そうとなれば店内もまた活気があって、
ホールのお姐さんたちが忙しそうに立ち動く。
そんな店でのお目当てはやっぱり、
豊橋名物だと伝え聞く「豊橋カレーうどん」であります。注文を終えてから、卓上のご案内をしげしげと眺める。
豊橋カレーうどんと名乗るには、
次の5箇条に適うものでなくてはならないらしい。
①自家製麺を使用する。
②器の底から、ご飯、とろろ、カレーうどんの順に入れる。
ふむ。
③豊橋産ウズラの卵を使用する。
④福神漬けまたは壷漬け・紅生姜を添える。
そして、⑤愛情を持って作る♡。
なるほど!

全身が店内に漂うカレーの風味に浸り切るに時間はいらない(笑)。
間もなくお目当ての土鍋がやってきました。大振りに三角に刻んだお揚げにお約束の鶉の玉子がみっつも。
具沢山の表情の裡には、
熱々の想い(?)が秘められていると推察する(笑)。

そこへやおら割り箸の先を突っ込んで、
秘めた想いを引き摺り上げる。然すれば忽ち立ち昇る湯気。
ふーふーふーふー、ずるずる、つるりん。
あ、汁が跳ねた(笑)!

如何にも黄色いカレー色。
特段辛い訳ではないものの、じわりと汗を掻かせるヤツ。
蕎麦屋のカレーの中でも素朴な仕立て。
その材料たるやS&Bの赤缶かしらと思いつつ、
ご指南に沿うようにまずはうどんを平らげる。改めて福神漬けをトッピングして彩りを整えていざ。
ご飯を鍋底に仕込むだけではなくて、
とろろを咬ませたひと捻りに感心だ。

“教義”に適う豊橋カレーうどんの店は、
この界隈に40軒を超えるお店で供されているらしい。お店毎に色々と工夫が施されて、
バラエティーに富んでいる模様。
他の店では全然違う様子の豊橋カレーうどんと出会えるかもしれません。

「勢川」本店もまた、豊橋カレーうどんを供するお店を代表する一軒だ。Webページによると「勢川」は、
1914年(大正3年)に割烹旅館「勢河」の屋号で創業。
1951年(昭和26年)頃に「勢川」と改名したという。
今や、東三河にグループ11店舗を数えるまでになったその本店は、
成る程、割烹旅館の頃の残り香を感じさせる佇まいを魅せています。

「勢川」本店
豊橋市松葉町3丁目88 [Map] 0532-52-3360
http://www.segawaudon.com/

column/03801

鳥料理「鳥房」でご存知半身の若鶏唐揚げ鶏皮生姜煮鳥ぬた味な佇まいに忍び寄る影

再開発計画が明らかになっている京成立石駅周辺。
計画の南口西地区には、夙に知られたもつ焼「宇ち多゛」や立ち喰い「栄寿司」、おでんの「丸忠」などなどを擁する立石仲見世通りアーケードを検討範囲に含む。
再開発計画はそのエリアだけかと思っていたら、その東側の区画、更にはなんと北口側にも広範囲な計画があるらしい。

いつぞやの駅北口の風景。
踏切を紅い電車が、♪駆け抜けてーゆーくー。
思ーい出がー、風に、巻き込まれーるー(笑)。そして、味な佇まいで魅せるのが、
ご存知「鳥房」の店先であります。

一旦、店左手の路地に闖入していくと、
お尻をペタンと路面に落ち着けた猫が、
此方を窺っている。そのちょっと先には、
これまた味なる看板のアーチが架かる。
残念ながら未だお邪魔できていない、
もつ焼「江戸ッ子」がその先に控えています。

ひと巡りして「鳥房」の横丁に戻ると既にそこには、
席を待つひとの並びが出来ています。年季の入ってきた暖簾越しに覗く店内は、
右手にカウンターがあり、左手は座敷になっている。

お願いした瓶の麦酒と一緒にお通しの鶏皮の生姜煮がやってくる。濃過ぎないように煮しめた鳥皮にはなるほど、
生姜の風味がしっかり利いていて、
これだけでずっと呑めてしまいそうな予感が沸いてくる(笑)。

唐揚げの前の麦酒のお供にもう一品と「ぽんずさし」。辛味をキリッと利かせてポン酢と刻み葱と一緒にいただく鶏刺し。
うん、これが不味かろう筈はないよね。

そしてメインディッシュ「若鶏唐揚」が到着。
日によって微妙に変わるのでしょう、
グラム数と値段の組み合わせ3通り程についての口上に呼応するように、
席に着いた冒頭に註文していたものです。初めて?とお姐さんに訊かれて頷くと、
あらそうなの?とばかりに、
目にも留まらぬ速さで鶏の半身をバラしてくれる。
憶えた?と訊かれ思わず頷いたものの、
まったく会得していない(笑)。
ま、いっかと齧りついた唐揚げは、
まさにカラッと揚がった皮目が期待通りの旨さだ。

それから暫し後、ふたたび「鳥房」の暖簾前に立った夜。今度は右手のカウンターの一隅に案内されました。
鈍く反射する黒の品札の並びを見上げます。

瓶のビールのお供はやっぱり、鶏皮の生姜煮。五反田の「信濃屋」みたいな鶏肉専門店が身近にあれば、
自宅で真似てみるのも一興かもねなんて思いつつ、
次から次へと箸の先を動かします。

「鳥わさ」も「鳥かわし味」も、
そして「鳥サラダ」も気になりつつのご註文は「鳥ぬた」。湯引きした鳥ももでしょうか。
添えた酢味噌と葱とを和えると表情が変わる。
素朴にして極めてオツな一品であります。

一部でおっかないとの評もあるお姐さん方だけれど、
燗の温度を気にしてくれたりして、
愛嬌たっぷりにして優しく気が利いている。

ふたたび、3種類のうちの真ん中のサイズでお願いしていた、
若鶏唐揚が揚げ上がって届けられた。今回は、お姐さんが何を訊くでもなく、
ささっと超絶慣れた手際で捌いてくれる。
ワタシきっと、懇願の表情をしていたのでしょう(笑)。
やっぱり兎に角、皮目が旨い。
そして、余すところなく、ホジホジし齧り、しゃぶり尽くすのが、
お姐さんへの返礼だと思い至るのでありました。

京成立石駅の北口すぐに夙に知られらた唐揚げの店「鳥房」がある。忍び寄る再開発の影に果たして、
この店の佇まいがどうなってしまうのか。
一度失えば二度と取り戻すことのできない風情がここにもある。
ちょっとおセンチな気分に思うのは、
加齢の所為でありましょうか(笑)。

「鳥房」
葛飾区立石7-1-3 [Map] 03-3697-7025

column/03780

ラーメン専門「ほんや」で年季の入った平屋に飽きのこないラーメン鹿児島路面電車で

路面電車の走る街はいい街だ。
昨夏、沖永良部島へと渡った際に経由したのが鹿児島空港でありました。
帰りがけの羽田へ飛ぶ便までの時間を使って、お久し振りの天文館へと足を伸ばし、老舗の一軒のラーメンを一杯いただいた。
それから半年経ったこの冬のこと。
ふたたび鹿児島市街への空港バスに乗っていました。

空港バスを降りた鹿児島中央駅前から早速市電に乗る。
ホテルに荷物を降ろすために路面電車を降りたのは、
中央駅前からたった3つ目の電停「高見馬場」。高見馬場電停は、ちょうど谷山電停方面へ向かう系統との分岐点で、
交叉点を曲線を描いて折れ進んで行く路面電車の姿が見られる。

こうして併用軌道を走る様子はやはりよい(笑)。
そんなことを思いながら今度は、
1系統側の電停から電車車内へと乗り込みます。到着したの終点、鹿児島駅前。
ここでは形式や塗装色、車体を彩る広告が異なる、
3編成が狭いホームを挟んで並ぶ様子が観察できる。

そこから鹿児島本線の踏切を渡り、
ふらふらっと駅前らしからぬ住宅地を往くと、
板壁をベニヤで覆い、崩れた瓦屋根にブルーシートを被せた、
如何にも年季の入った小さな平屋の建物が目に留まりました。軒先には大容量のプロパンガスボンベが5本も並ぶ。
煤けたテント地には、ラーメン専門「ほんや」とあります。

新調したらしき赤い暖簾を払って、
窺うようにアルミサッシを引き開ける。
入ってすぐの小さなテーブルに腰掛けて、
情緒たっぷりのカウンターや止まり木を眺めます。厨房をL字に囲むカウンターにふたり掛けの小さなテーブル、
そしてそのさらに左手には特殊なサイズの畳を敷いた、
小上がりというべきか少々悩ませるスペースに、
これまた小さな折り畳み式の座卓が用意されているのです。

壁に貼られた品札からお姐さんに註文を終えるとすぐさま、
お茶の入った急須と漬物の皿を載せた湯飲みが配される。天文館の「くろいわ」本店でも、
カウンターに漬物の用意があったことを思い出します。

ご註文は「ラーメン(中)」と「チャーシュー」「ギョウザ」。
別皿で届くのかなと思ったチャーシューは、
ちゃんとトッピングされてくる。決して強く迫ることのない、
すーーっと飲めるスープに安堵する。
豚骨臭がお店の脇に漂っていたのに、
スープにはそんな押し出しはなく、
鶏ガラや野菜、そして課長の助けも借りて、
いい感じのバランスの軽やかなスープになっている。
何気ないけど、また食べたくなる、
そんな魅力を思います。

そんなスープと相性のよい中太麺をつるっと啜る。餃子のあんがこれまた、何気なくも旨い。
黒豚挽肉を使っているそうで、
齧った瞬間から濃い目の旨味が迸る。

裏を返して翌日のおひる時(笑)。
「みそラーメン(中)」を所望する。これまた決して濃くならないように、
微妙なバランスで成立させている、
でも間違うことなき味噌ラーメン。
飽きの来ない、毎日でもいただける一杯を意識しているようだ。

鹿児島路面電車の終着電停近くにラーメン専門「ほんや」がある。この枯れた情緒は簡単に再現できるものじゃないけれど、
鹿児島を直撃した台風の威力に倒壊してしまわないか、
雨漏りしたりしやしないかと正直心配になる。
女将さんもご高齢で、厨房の裏方に回られている。
家族経営の飲食店が抱える切なさを刹那思ったりするものの、
どこからともなくわらわらっと集まってくる常連さん達の様子に、
妙な安らぎを覚えたりもするのでした。

「ほんや」
鹿児島市上本町7-3 [Map] 099-223-1302

column/03778

麺類「信濃屋」で多治見の炎天下ころかけにうどんに支那そばころは香露の発祥の店

記録的、と叫ばれ続けた暑い夏。
ガツンと頭を殴られるような、全身を熱波の圧に絡め取られるような、そんな瞬間が何度もありました。
例年、同じようなクソ暑い日が何日かは勿論あるのだけれど、それが何日も続いたのが、この夏の暑さが異常と云われるところなのでしょう。

近年では、熊谷市が観測史上最高を更新する41.1度を観測し、
「日本一暑い街」の称号を奪還したと云われ、名を上げた(?)。
その一方で、暑い町の常連だった岐阜・多治見は、
観測史上歴代第5位と、やや地味なポジションにあるらしい。

そんなことを思いつつ、初めてJR多治見駅に降り立ったのは、
盛夏にして晴天の八月上旬のことでありました。
ちょっと地味な順位だからって暑くない訳は決してなく、
路傍に佇んでいるだけで全身から汗がどっと噴き出してきます(汗)。

所用を済ませて向かったのは、中央本線の線路沿い。
ギラギラとした陽射しに照らされた踏切の向こうに、
人影がちらほらと窺える。もしやと思いつつ近づけば案の定、
麺類「信濃屋」さんの行列でありました。
この炎天下に行列するなんて自殺行為に近いものがありますが、
此処まで来たのだもの!という気概だけで汗を拭う。
その後屋根の下に誘導してくれ、ホッとひと息つけたのでした。

いい具合に年季の入った店先には、
これはそう、”手打ちうどん””ころかけ”と読むのでしょう。“ころかけ”の”ころ”と云えば真っ先に思い浮かべるのが、
旗の台「でら打ち」の「ころうどん」。
名古屋・岐阜方面をその発祥地とするものなんだろうなということは、
なんとはなしに思っていたので、
お、やっぱりそうなんだとニンマリなんかして(笑)。

暑いがゆえに長く感じられた待ち時間から開放されて、
外観に違わぬいい味の滲みた店内の小上がりに入れ込みとなる。
座布団にお尻を半分載せたような半身の格好で、
垂れ壁に掲げた天然木の扁額を見上げます。
「信濃屋」さんのメニューは、潔くも三品のみであるようです。

座卓の上へとまず受け取ったのが、
冷たいうどんであるところの「ころかけ」の小。伊勢うどんのような見掛けでもあるなぁと思いつつ、
数本のうどんを箸の先に載せて、啜る。
伊勢うどんようなふわんとした口触りが一瞬して、
その後から一転しっかりした歯応えが過ぎる。
ツユは濃そうでいて、さらっと仄かに甘い。
成る程、余所では知らない、素朴にして端正なうどんだ。

温かい方の「うどん」も小盛りにて頂戴する。「ころかけ」に比べて、うどんのしなやかさが増し、
ツユの出汁と醤油が柔らかくそれを引き立てる。
並盛りの半額っていうのもなんだかとっても申し訳ない(笑)。

申し訳ないついでに「支那そば(小)」もいただいてしまう。透明感のあるやや幅広の麺が独特。
ワンタンの皮の生地を細長く切ったようなテクスチャーで、
少しポソっとして、案外ツルっとした感じが不思議な気持ちにさせる。
たとえ年老いたとしても、朝から毎日いただる、
そんなどんぶりでありました。

「ころかけ(小)」「うどん(小)」、
そして「支那そば(小)」をぺろっといただけた。食べ終わり際に実直なるご主人が顔を出してくれ、
味の濃い薄いなど調整いたしますので等々を声を掛けてくれる。
実際に味を調整するのはタイミング的にも難しいとは思うものの、
行列が出来る店になってもなお、
お口に合いますか?と訊ねるような姿勢は、
なかなか真似のできることじゃない。
信奉者が増えて然るべきでありますね。

いまもなお暑い町多治見の踏切の向こうに、麺類「信濃屋」はある。そう云えば、”ころ”ってそもそもなんだろうと調べてみると、
Wikipediaに、その発祥についての件があった。
-現在は岐阜県多治見市にある信濃屋の初代店主が戦前、
名古屋市中区にあったうどん屋を任されていた際、
当時まかないとして食べられていた冷たいうどんを
「香露かけ」と名付けて客に提供したことが、
「ころ」の名称の由来である-
あああ!信濃屋さん初代が「ころ」の起源だったのですね。
御見逸れしました。申し訳ありません。
お邪魔できて良かったと、改めてじわじわ思っているところです。

「信濃屋」
岐阜県多治見市上野町3-46 [Map] 0572-22-1984

column/03761