「あっぱれ郷土食」カテゴリーアーカイブ

山口県郷土料理瓦そば「瓦.Tokyo」で熱々ぱりぱり抹茶含有高め茶そばの瓦そば

新川へと渡る亀島橋の手前に何気なくある堀部安兵衛武庸の碑。
その脇から亀島川に沿って、川の西側を永代通りへと向かう裏通り。
霊岸島へと渡る新亀島橋を横目にぷらぷらとさらに歩みを進めると、右手に黒板張りの小屋のような造作が見えてくる。
このまま真っ直ぐ往けば「ニューカヤバ」の提灯に至ります。

ずっと前には確か、
ショットバーのようなお店ではなかったか。
壮健なる頃の「以と宇」の大将のお姿を見掛けたことがある。その後、「きゃりこ」という居酒屋になり、
それがいつの間にか黒いファサードとなっていました。
看板には、瓦.Tokyo。
少なくとも瓦屋根施工の工事会社ではないようです(笑)。

案内させた席に落ち着いて改めてお品書きを眺める。ひる時のメニューは「瓦そば」一本勝負。
お品書き裏側には、瓦そばの解説に始まり、
美味しい食べ方のご指南が載せられています。

瓦そばと云えば一度だけいただいたことがある。
山口県ゆかりの麺料理のとして紹介されていたのだけれど、
いただいたのは何故か名古屋で(笑)。
伏見の裏道を歩いていて見付けたお店「PIN」でのことでありました。

唯一メニュー「瓦そば」を肉大盛り、麺大盛りでご註文。名古屋で拝んだ様子とおよそ同じ風情で瓦が届く。
お熱いのでお気をつけくださいと付言されるのもお約束。
天辺に頂いた辛味の上へと湯気が立ち上ってゆきます。

瓦をある程度熱してからそばや具を載せるのかなぁなんて思いつつ、
湯気の向かう上方よりその表情を眺める。熱い瓦の扱いは軍手を手に嵌めて行うのかなぁなんて、
さらに余計なことを考えてしまいます(笑)。

檸檬のスライスともみじおろしをたっぷりのつゆに投入し、
手順に従って牛肉や金糸玉子などなども追い駆ける。パリパリっとしたところとズズっといくところとが、
交互に現れる茶そばをつゆに浸ったお肉と一緒に口に含む。
お抹茶含有率高めを思う茶そば、そのものもいい。
この感じはなるほど独特で面白いであります。

瓦に熱されてそば同士がくっついてしまいそうな気もするけれど、
案外そんなことはなくて、割と思うように解れてくれるところにも、
一種のノウハウがあるのかもしれません。

再訪してもご註文は同じ「瓦そば」肉大盛り麺大盛り。
周辺の茶そばがパリパリッとしているのが見た目からも窺える。お、店名を型に凹ませたオリジナルの瓦を使う場合もあるんだね。

亀島橋を背にした茅場町の裏通りに、
山口県郷土料理と瓦そばの店「瓦.Tokyo」がある。瓦の文字の後に「.」があるけど店名はどう読むの、と訊ねたら、
そのまま瓦トウキョウでいいみたいですよとお姐さん。
未だ訪ねたことのない山口県を訪れるのが先か、
こちらの夜の部で山口県の郷土料理をいただくのが先か、
どちらになるか、今からちょっと愉しみです(笑)。

「瓦.Tokyo」
中央区日本橋茅場町2-17-5 [Map] 050-5592-9443
http://kawara.tokyo.jp/

column/03767

くしろ「炉ばた」で烏賊刺きんき茄子椎茸炉端焼き喜ばしき烏賊味噌しま海老

たんちょう釧路空港から釧路市街へは、阿寒バスが運行する空港連絡バスに揺られておよそ45分。
停留所のひとつ、JR北海道の釧路駅は、懐かしさと寂寞が交叉する佇まい。
赤煉瓦色の三層のラインが飾る駅舎は、その建設を国鉄と地元が共同で行い、代わりに商業施設を設けた、所謂民衆駅の道内で現存する最後のものであるらしい。
民衆駅地下には嘗て釧路ステーションデパートがあったが、2004年(平成16年)に閉店。
駅真ん前のホテルのひとつは今、廃墟のようになっています。

釧路駅開業90周年を記念して設置されたという、
D51の動輪越しに駅舎を見遣る。陽が落ちてから出没するのはそんな釧路駅前ではなくて、
釧路川も程近い末広町・栄町の繁華街。
舗道に埋め込まれた鮭のレリーフを拝み、
鮭を手に掲げる漁師に手を合わせてから向かうは、
炉ばた発祥の店と謳う、
その名もずばり「炉ばた」であります。

それは街灯の色味も手伝ってか、
古色然とした佇まい。寒さの抜けぬ頃まではどうやら、
窓にビニールで目張りをして隙間風を凌いでいるようです。

暖簾を払い、格子戸を引き囲炉裏をコの字に囲む炉端へ。竹で組んだ火棚越しに、
「たらの三平汁」に始まる品札が望めます。

北海道ご当地「サッポロ クラシック」をいただいて、
まずはひと息つく。
「いか」の刺身の按配のいい透明感と、
規則的な包丁の軌跡を暫し眺める。心地よくもねっとりとした甘さが溜まりません。

囲むカウンターの中心には、囲炉裏の主の姿がある。白髪に朱の頭巾の小母様が、煙の向こうに佇んで、
時折焼き物なぞの世話をする。
仰ぎ見た天井のコールタールを塗り込めたような表情に、
炭火の煙に燻し続けた積年を想います。

そんな炭火で焼いておろし生姜を添えた茄子が旨い。ちょいと醤油を垂らした椎茸も勿論のこと。

同時にお願いしていた「きんき」も焼き上がる。やや小ぶりな干物にも喜知次らしい脂の甘さがあって、いい。
そこへ釧路の地酒「福司」の冷やを。
囲炉裏端で呑ってる感、満載であります(笑)。

そしてそして「いか味噌」が喜ばしき佳品。ふんわり炙るように焼いた烏賊の中に、
やや甘い味噌のあん。
その甘さに嫌味なく、
烏賊の身の甘さを倍加させるように引き立てます。
そこへ「福司」をきゅっとね。

「ときしらず」は残念ながら直前で売り切れてしまったものの、
「しま海老」には有り付けた。紅い殻に縞模様がうっすらと浮かぶ。
外した殻の中のミソを吸い、白い身にしゃぶり付く。
これまた上品な甘さを想う旨味に、
ぶんぶん首を縦に振ることになりました。

品書きの「一品」の項にあった「めふん」は、
雄の鮭の中骨に沿って付いている、
血腸(腎臓)を使って作る塩辛であるようで、
これぞ呑ん兵衛の酒の友。「うに丼(小)」をいただいて大団円。
茶碗を飾る雲丹にミョウバンの気配なし。
澄んで濃いぃ旨味にじっと目を閉じます(笑)。

港町釧路で炉ばた発祥の店と謳うは、その名もくしろ「炉ばた」。“炉端焼き”という呼称の発祥は、
1950年(昭和25年)に仙台で開かれた「炉ばた」である、
というのが通説のようではあるものの、
当店が炉ばた発祥の店であり、
60余年の歴史があると品書きの裏にも明示している。
少なくともそれがただのハッタリではないと思わせる佇まいが、
今もここにあるようです。

「炉ばた」
釧路市栄町3-1 [Map] 0154-22-6636
http://www.robata.cc/

column/03752

九州炉端「かてて 八丁堀はなれ」でたたきたっぷり知覧とりまぶしにだご汁定食

八重洲通りと市場通りが交差する地点が、八丁堀交叉点。
八重洲通りが新川に向かって亀島川を渡る橋が、亀島橋。
八丁堀交叉点の亀島橋側の区画に建つホテル、ホテルサードニクス東京は嘗て、ホリデイ・インでありました。
Holiday-Inn Tokyoの建物が内外装を改めて、新しいホテルに生まれ変わってからもう10年も経つらしい。
ホリデイ・イン前の路上で、女優・かたせ梨乃が颯爽とタクシーに乗り込む様子を偶々目撃したことを今でも憶えています(笑)。

そんなホテルサードニクス東京の裏手にあるのが、
九州料理の居酒屋「かてて」。
「長崎ちゃんぽん」や「皿うどん」に大分「だご汁」、
「高菜炒飯」「チキン南蛮」などなどのランチも盛況のよう。
最近ご無沙汰しちゃってるなぁと思うそんな矢先、
おひる処を求めて鈴らん通りを徘徊していた時のことです。


和菓子「伊勢屋」の並びにも「かてて」の文字を発見。“炉端”とあるのが少々趣を異にしていて、
特に”炉”の文字が黄金に輝いています。

囲炉裏端を模したかのようなコの字のカウンターが調理場を囲む。
カウンターには、和ぎ水と呼ぶ瓶入りのお冷。総じてサードニクス裏の「かてて」と同じ路線のお品書き。
「とりまぶし」が真新しい件かもしれません。

然らばとお品書き筆頭の「知覧とりまぶし」を所望する。如何にも櫃まぶし風の器に盛り込んだ、
薩摩知覧鶏のたたきがたっぷりと。

地鶏風のしっかりした歯応えの身を、
ご指南に従ってまずはそのまま味わってから、
茶碗によそったご飯と知覧鶏の切り身の上に、
おろし生姜と山葵をトッピング。続いて温泉玉子を割り裂いて黄身のコクを添えたりして、
最後は鶏ガラスープを注いで茶漬け風にして愉しむ。
たたきそのものの味わいが濃くて、なかなかいい。
知覧鶏というのは、鹿児島・宮崎を主な産地とした、
ブロイラーの親鳥となる種鶏やレイヤー成鶏と呼ばれる採卵用の鶏で、
玉子を生まなくなるまで長期飼育されたもののようで、
Web上には商標登録の「さつま知覧どり」のページも見つかる。
所謂ブランド地鶏ではなくても、
それに引けをとらない鶏があるのだね。

翌週が明けたところでまた鈴らん通り伊勢屋隣へやってくる。
「しょうが焼き定食」を註文すれば目の前の厨房で上がる湯気。もやしをたっぷりと戴いた豚ロースには、
おろし生姜の柔らかな辛味を含んだ風味もたっぷりだ。

本丸の方でも定番の郷土料理「だご汁定食」は、
こちらの”はなれ”でも健在。近頃の若けぇもんは「すいとん」なんて知らんだろうけど、
なーんて頭の中でぶつぶつ云いながら(笑)、
程よい大きさに千切った「すいとん」の素朴さを味わう。
ゴロゴロと大振りに刻んだ野菜たちも主張してくる。

下揚げしてあった鶏をもう一度フライヤーに投入。
衣をパリッとさせて「鶏からあげ定食」がやってくる。「知覧とりまぶし」「鶏からあげ定食」の他にもさらに、
「チキン南蛮定食」もあって迷わせる(笑)。
タルタルがよく似合うのは皆さんご明察の通りであります。

“九州の定食屋”としては勿論、
「ちゃんぽん」もあれば「皿うどん」もある。桜橋「長崎菜館」の皿うどんがこの界隈では出色であるけれど、
和出汁風のこれはこれで悪くない。
それにしても、
皿うどんには練り芥子がどうしてこうも合うのだろうね。

九州料理居酒屋「かてて」が鈴らん通りに”はなれ”を建てた。
それはその名も九州炉端「かてて 八丁堀はなれ」。厨房を囲むカウンターの雰囲気もよし、
その奥に設えたテーブル席もきっと居心地は悪くない。
ただ願わくは、ランチタイムに流しているBGMの大音量、
それだけはなんとかして欲しいところであります。

「かてて 八丁堀はなれ」
中央区八丁堀3-18-11 八丁堀サウスビル1F [Map] 050-5594-7903
http://www.katete.co.jp/

column/03745

元祖豚丼「ぱんちょう」でこれぞ当地にして元祖の味と気風十勝平野の真ん中で

高知竜馬空港に徳島阿波おどり空港。
出雲縁結び空港に米子鬼太郎空港。
たんちょう釧路空港に、とかち帯広空港などなど。
空港の呼称がいつの間にか、ニックネームを前面に出した運用になっています。
なんだか擽ったい気もしますが、
多少なりとも知名度向上や利用促進に役立っているのかもしれません。

その中ひとつ、
十勝国のターミナルとして”とかち”を冠した帯広空港へ、
齢ウン歳にして初めて降り立ちました。
Wikiによると”十勝”というのは、
アイヌ語で乳を意味する「トカプチ」が語源と言われ、
十勝川の河口が乳房のように二つに分かれていたのが、
その由来とされているようです。

所用を済ませた夕暮れ前の雨上がり。
JR根室本線の帯広駅の北口ロータリー近くで、
目指す目的地の看板を見付ける。さりげなくもはっきりと「元祖」と示す、
豚丼のお店へとやってきました。

入れ込みのテーブルの一席に収まって、
赤星の瓶と一緒に「豚丼」をご註文。
箸袋を眺めつつ、麦酒のグラスを傾けます。元祖「豚丼」の「ぱんちょう」の創業は、昭和8年。
まだまだ開拓が盛んで、農耕が活発であった昭和初期の頃に、
当地で育った豚をより美味しく食べたいとの想いから、
先代が数十年という歳月と苦労を重ねて極めたのが、
「ぱんちょう」の「豚丼」であり、
「豚丼」発祥の店として当時の味を守り続けている、とある。

お願いしていたドンブリがやってきた!ドンブリの器と蓋の間からグルっと一周、
焼き炙った豚肉が食み出しています。
昨今の演出ありきの盛り付けなら鼻白むところですが、
きっと予てよりそうであったであろうことを想いつつ、
素直に、おおっ!と呟いて、
感慨深く眺めてしまいます。

そして、恭しく蓋を返してまた、
おおー!と小さく呟くのがお約束(笑)。鼻先を擽るのは、仄甘くかつ芳ばしい匂い。
タレとともに豚の脂も炭火で炙られて、
魅惑のテリとそそる匂いを発しています。

どれどれとその一片に齧り付く。
すっと歯の先を受け入れつつ、
だらしなくない柔らかな食感。
そこへ、加減のいい芳ばしさと豚肉の甘さが華開く。
ありゃー、めちゃ美味しいじゃないですか!
こう云っちゃなんですが、
戸越銀座の某店はじめ、
都内の豚丼の店の幾つかでいただいた豚丼とは、
一線を画す感が鮮明であります。
豚肉そのものがパサつかず、かといってギトつかず、
しっとりと甘いのが堪らんのです。

裏を返すように(といってもひと月後)、
ふたたび帯広駅前にいました。今度は少しは勝手知ったる風情でドンブリに正対し、
これまた恭しく蓋をひっくり返す。
グリーンピースの彩のなんと効果的なことでありましょう。
一番肉の量の多い「華」よりも、その下の「梅」が、
「ぱんちょう」の「豚丼」を堪能するに適量に思う。
世の一般では、上等な(量の多い)方から松竹梅であるところ、
なんでも、先代の奥様のお名前が「うめ」だったから、
順番をひっくり返して、(当時)一番上等なのを「梅」としたようです。

十勝平野の真ん中、帯広駅の駅前に、
豚丼の元祖「ぱんちょう」がある。店名「ぱんちょう」は、中国語で「飯や」を意味するらしい。
肩肘張らない老舗元祖の気風と風格に、
支店を出さずに営み続ける気概が滲みます。

「ぱんちょう」
帯広市西一条南11-19 [Map] 0155-22-1974

column/03740

麺類丼物一品料理「中西食堂」で特製栄螺ドンブリが曙丼海辺の集落の食堂で

nakanishiずっとずっと昔一度だけ、大分空港を利用したことがある。
その時、空港から市内への移動にホバークラフトに乗ったことを印象深く思い出す。
スカートの下から吐き出した空気に乗りながら滑るように、海上から埠頭に乗り付ける感じがなかなか格好良かったのだけれど、それももう09年に廃止されてしまったと聞く。
そんなこともふと思いながら、生まれて初めて北九州空港に降り立ったのは、師走も最終コーナーに差し掛かった冬の日のことでありました。

スターフライヤーの機材を離れ、車で向かった先は、
JR日豊本線の椎田という駅の近くにある築上町文化会館。
エピソード満載のステージ(笑)の後には、
行橋から特急ソニック号で一路博多へ。
随分とお久し振りに博多へとやってきました。

翌朝、レンタカーを駆って博多駅前を発ち、
真っ直ぐ北上して、海の中道と呼ばれる砂浜の上の一本道を往く。
辿り着いたのは、外周10kmちょっとの小さな陸繋島、志賀島(しかのしま)。
田圃の中から金印、漢委奴国王印が発見されたことから、
金印海道と名付けられた海岸沿いの道へと集落を抜け、
島の北端辺りにある海水浴場で車を降りる。nakanishi01nakanishi02nakanishi03小雨混じりの曇天の下、遠くでサーファーが波を待つ。
向かいの小島には、志賀海神社沖津宮の鳥居が見える。
海岸に立つ石碑が刻んだ歌は、
海辺で働き暮す海人の激しい毎日を直截に表していました。

もう半周をくるっと進むとすぐにさっきの集落近くに戻って来られる。
金印街道がY字に分かれる分岐点辺りで車を停めると、
その近くにお誂え向きに食堂の看板が目に留まる。
掠れた「出前迅速」の文字が、いい。nakanishi04nakanishi05nakanishi06看板が誘う路地の入口には、猫ねこネコ(笑)。
路地の向こうに「中西食堂」の看板が見付かりました。

お店の外観の印象通り、店内も長閑な空気。
厨房の下がり壁に沢山の品札が貼られています。nakanishi07nakanishi08特に大きな貼紙は、「さざえ丼」に「曙丼」。
「さざえ丼」と「壺焼き」のセットなんて手もあります。

注文を終えて、さらに落ち着く。nakanishi09ご常連らしき親爺さんが「特製皿うどん」をやっつけている、
その頭上の壁には芸能人著名人のサイン色紙が並んでいて、
成る程、そこそこ知られた店なのだと気が付きます。

いい感じだもん、呑んじゃったらと相棒に勧めたら、
燗をつけたコップ酒がやってきた。nakanishi10お酒を註文すると此方では、
お酒のお供にと特製、栄螺の内臓の佃煮を出してくる。
鮮度が少々気になる栄螺の肝も、
さっさと佃煮にしてくれているならそんな心配もない。
くっそう、昼間っからこんなの肴にコップ酒なんて、
なんて羨ましいのでしょう(笑)。

傾けるコップ酒の様子を睨みつけつけてたら(笑)、
お願いしていたドンブリがやってきた。nakanishi11nakanishi12「さざえ丼」のデラックス版と謳う、
「曙丼」は、栄螺や海老が「さざえ丼」の倍量載っているという。
確かに溢れんばかりの栄螺さざえサザエ海老。
新鮮で滋味深い磯味の魅力に思い切り喰らい付く。
うーむ、いいなぁ。

相前後して「さざえの壺焼き」もいただいてしまう。nakanishi13煮付けた栄螺の身や肝も良いけれど、
壺にして焼いた栄螺がやっぱり基本中の基本だと思わせる。
ちょろっと垂らした醤油が断然威力を発揮するのは、
皆さんご存知の通りであります。

なんだか勢いついちゃって、
親爺さんが召し上がっていた皿うどんにも感化されて、
やっぱり追加註文してしまう。nakanishi14海辺の町の食堂でいただく、
まろやかな食べ口の「ソース焼きそば」。
なんだかとっても癒されます(笑)。

ご馳走様をして、通ってきた路地を横目に店前の道を辿るとすぐに、
石造りの鳥居の下に出た。nakanishi15「中西食堂」は、参道の入口にある食堂でもあるのですね。

志賀島の集落の鳥居の奥に大衆食堂「中西食堂」がある。nakanishi16店内に横綱曙の手形があるのでやっぱりと訊けば、その通り。
「曙丼」は、曙関のために拵えた特製ドンブリが、
メニューに載るようになったものだそうです。

「中西食堂」
福岡市東区志賀島583-7 [Map] 092-603-6546

column/03671