「横浜おのぼりさん」カテゴリーアーカイブ

Bar「StarDust」でジンフィズ埠頭ノースピアが生んだ異国情緒のあの頃と今と

学生時代には、横浜方面にはとんと縁がなくて、おそらく出掛けることも数える程だったような気がする。
社会人になってから時折足を向けるようになって、そもそも海があるってだけでもいいよなぁとおのぼりさん気分を味わったものでした。
そう思うのはきっと、”翔んだ”海なし県方面で育ったがゆえでもありましょう。

随分とご無沙汰の本牧あたりには、
なんとはなしに米軍駐屯の残り香が漂って、
エキゾチックな魅力があった。
同じようにエキゾチックでかつ海辺の情緒を覚えた場所のひとつに、
ウン十年振りに訪れました。

JR東神奈川駅を降りて、
仲木戸駅から駅名を変えた京急の東神奈川駅横を通り過ぎる。
そのまま第一京浜を横切り、首都高を潜り運河に架かる橋を渡る。東神奈川ランプの出口、村雨橋の袂にある案内標識が、
鈴繁埠頭・瑞穂埠頭への方向を示してくれています。

次の運河を渡るとすぐ踏切がある。
再開発も噂される貨物駅 東高島駅へと向かう線路だ。このレールの上を走る電車に乗る、
そんなことはきっとないのだなぁなどと思いながら、
竜宮橋方面へと渡る瑞穂大橋と瑞穂橋との分岐点までやって来た。
この辺りにかつて海神奈川駅という駅があったらしい。

鈴繁埠頭・瑞穂埠頭へと渡る瑞穂橋はアーチ形で、
ふと隅田川に架かる永代橋を思い出す。瑞穂橋の先へは、何故か一般人の立ち入りが禁止されている。
瑞穂埠頭は、横浜ノース・ドックという、
在日米軍が使用している港湾施設に含まれているらしく、
連合国に接収されていた時からの名称として、
「ノースピア (North Pier)」とも呼ばれている模様。
橋の袂からは、みなとみらい方面の景観が望めます。

そんな瑞穂橋の右脇で拝めるのが、
BAR「POLESTAR」そしてBar「StarDust」のファサードが並ぶ風景。「POLESTAR」に営業している様子がみられないのが残念ながら、
建物が解体されることなく残っていてくれている。
このなんとも云えない異国情緒はやはり、
本牧とか横須賀とか横田などと同様に、
駐留米軍の基地・施設の近隣にあり、
軍関係者の文化と嗜好とに直接影響されて、
云わば求められて出来上がったものなのでしょう。

ドアが開け放たれているのをいいことに店内を覗き込む。
まだ明るい時間に他に客がいる訳もなく、
貸し切りのカウンターの止まり木へとすんなりと腰を落ち着けます。店内のトーンは、アンバー一色。
床板には幾多の傷が刻まれ、
腰壁の化粧板はすっかり薄汚れてしまっている。
吊り下げられたり、重ね置かれたりしている救命浮き輪。
奥の壁には何故か、能面が飾られている。
全体に雑然とした印象なのはもはやご愛敬。
ジュークボックスだけが異彩を放っています。

喉を潤すべくハイネケンでもいただきましょう。グラス越しにふと見上げれば、
バックバーの棚上を飾る妖しい絵柄が目に留まります(笑)。

さっき入ってきたばかりのドアの外にお客さんの姿。
女将さんがどうぞどうぞと促してやっとそろりと入ってくる。野良から最近飼い猫になりつつあるネコくんであるようです。

何故だか普段は呑まないジン・フィズなんかを註文んでみたりする。とても緩い味わいのジン・フィズ。
プロのつくったカクテルでは勿論ないけれど、
これはこれでよいのです。

まだ不慣れな店内が落ち着かないのか、
ネコくんは外ばかり眺めてる。女将さんに外へ出してもらって、
そこで晩飯にありつけましたとさ(笑)。

ノースピアへと渡る瑞穂橋の袂にBar「StarDust」は今もある。Bar「StarDust」のオープンは、
終戦から9年後の1954(S29)年のことだという。
ジュークボックスの置かれた様子をじっと眺めていると、
ノースピアから橋を渡ってやって来た米軍施設の関係者たちが、
瓶のビールを片手にオールディーズを聴いている、
そんな姿がぼんやりと思い浮かんできた、ような気がした(笑)。
BAR「POLESTAR」とは逆隣のSEASIDE BAR「Neptune」は、
今も鋭意営業されてるようです。

「StarDust」
横浜市神奈川区千若町2-1[Map]045-441-1017
http://www.bar-stardust.com/

column/03831

「INACASA」で再構築する茄子のパルミジャーナ軽やかティラミス幸福豚と珈琲豆

横浜でレストランへと思えばまず、横浜駅の南側、みなとみらい線沿線のみなとみらい駅とか馬車道・日本大通り辺りの所在をなんとなく思い浮かべる。
それに対して、ちょうど一年前、そのお店へと向かうため初めて降りた駅は、横浜駅から反対側の川崎寄りにひと駅目に位置する京浜急行電鉄の神奈川駅。
神奈川県内にそのまんま県の名と同じ呼称の駅が現存することすらよく認識できていませんでした(笑)。

上下ともとても狭い相対式ホーム。
その間を特急電車が轟音とともに駆け抜けていく。
そんな神奈川駅を背にして、
旧東海道に当たるという商店街を通り抜け、
首都高速高架下にもなる第一京浜を辿り、
滝の橋信号を海側へと渡る。

JRの操車場を工場・倉庫群が囲んでいる。
漠然とそんな様子を想像していたら然にあらず。運河近くっぽい空気はあるものの辺りは静かな住宅街。
その角地に目的地「INACASA」の灯りが見えてきました。

「INACASA」のメインステージは、通常7席のカウンター。
その奥に陣取れば、どっしりとした薪窯が目に映る。前日までの予約によるコースは、 ペアリングのワイン付き。
「INACASA」二度目の今宵。
まずは、ブルゴーニュのスパークリング、
「Crémant de Bourgogne 2016」でグラスを合わせます。

削り出した木製の匙に載せた透明つるんのジュレでスタート。塩梅のいい生ハムは、サンダニエーレの23か月熟成もの。
塩辛くなく、その分旨味が自然に伝わってくる。
そんな生ハムで覆うようにその下に、
クリスピーなパン、ニョッコ・フリットが潜ませてある。

お次のフィンガーフードは謂わば、玉蜀黍のピッツァ。シュガーコーンの上に、玉蜀黍のピュレ、焼き玉蜀黍、
そしてキノコやトリュフの粉末やパルミジャーノが飾る。
一体感と薪窯で炙ったであろう玉蜀黍の香ばしさがいい。

最初の前菜は、夏野菜たっぷりの爽やかなガスパチョ的冷製スープ。
パプリカ由来と思わせる鮮やかなオレンジ色。
西瓜を濃縮させたものも織り込み、瓜の青っぽさも夏っぽい。そのスープの真ん中にゴロンと佐島のタコが潜む。
柔らかくかつ旨味のしっかり沁みた蛸の魅力は、
減圧調理によって香味野菜や蛸の出汁をたっぷり浸透させた、
下拵えの手間と工夫の賜物だ。
ルッコラやナスタチウム、檸檬のオリーブオイルパウダーのトッピング。
粉末にすることで檸檬の香りだけを添えるという手法が面白い。
そんなスープに合わせてくれたロゼは「Grayasusi Ceraudo」。
パプリカの風味に野生のベリーのような味わいがよく似合います。

なにやら薄く焼いた円盤状のものを被せたようなものが、
器の真ん中に浮いている。
そこへ若葉色のパウダーが追って振り掛けられた。これが茄子のパルミジャーナだとは、同業者でも判るまい(笑)。
イタリアの郷土料理を再構築した器には、
揚げ焼きした茄子や薪窯の熾火で焼いた茄子が、
トマト、チーズと重ね焼きされたものが収まる。
揚げ焼きした千両茄子も減圧調理で出汁を含ませた煮浸しの進化型だ。
トッピングの円盤はなんと揚げた湯葉。
バジリコに代わる若草色のパウダーはと云えば、
花穂紫蘇と大根をつかった大葉のアイスパウダー。
旨味の凝集した茄子に湯葉のシャクシャク、
大葉や穂紫蘇の風味の三位一体がいい。

お次は、琵琶湖の鮎とズッキーニのパスタ。
鮎の肝を大蒜とアンチョビとに合わせてソースにしていて、
ズッキーニはピュレと刻んだものとを織り込んでいる。
なんせめちゃめちゃ鮎が香って、いやはや旨い旨い。
川魚やその肝のえぐみなんか皆無。
ズッキーニの青みにふと蓼酢や胡瓜を連想したりなんかして。


パスタに合わせてくたワインは、カリフォルニアのピノノワール。
鮎やズッキーニが持つほの苦さを清涼感に変えてくれる。胡麻のパンが焼き立てあっつ熱っ。
でもその熱々が美味しい。
世のパン屋さんはこれが自分で食べたくてパン屋になったに違いない!
なんてね(笑)。

酸の利いたシャルドネのグラス越しにシェフが、
ピンセットを手に四角い皿に正対している様子が映る。届いたお皿が本日のメイン、豚のロースト。
鹿児島の黒豚とイタリアのチンタセネーゼ豚を掛け合わせたという、
ハッピーな名前の幸福豚。
まずは、塩だけでそのハッピーな豚のローストいただく。
うん、旨い。

そして今度は、皿の隅に配されたローストされたコーヒー豆を齧り、
空かさず幸福豚を口に含み咀嚼する。
あれれれ、コーヒーのフレーバーがこんなに豚肉に合うなんて!
ローストした幸福豚の旨味や甘みをさらに引き出し、引き立てる。こりゃいいやと更には、
コーヒー豆を豚ローストにのっけてしまう。
はい、これもまた美味しかったのは、云うまでもありません(笑)。

お肉料理の後には、
ヨーグルトと沖縄のシークヮーサーのソルベットでさっぱり。何気なくトッピングした自然塩がいい。
砂地に柄杓で海水を振り撒く、
あの方法で作るミネラル感たっぷりの塩だ。

ここでやってきたのがボルドーの貴腐ワイン、
「Cateau Violet Lamothe 2016」。貴腐ワインには、蜂蜜のようにがっつり甘いものもあるけれど、
これは若い木の葡萄によるものらしく、フレッシュ感があり、
檸檬のコンポートのような、という例えにぶんぶん頷きます(笑)。

デザートのお皿には、色々なテクスチャのーティラミス。
バナナにナッツの風味にセミフレッド。
まったりと重厚なはずのティラミスの定義をぶち壊して、
あくまでも軽やかなのが痛快にして美味しい。プチフールのプレートには、
フローズンにした横浜醤油のみたらしフィナンシェに
アーモンドのアマレット 新生姜のクッキー。
チョコレートコーティングしているのは、そう、食用の鬼灯だ。

「INACASA」でのひと時のエンディングは、
シェフの奥様にしてワインご担当の彼女が淹れてくれる、
紅茶による安らぎタイム。
台湾の千m以上の高地で有機栽培された烏龍茶。
紅茶製法によるものであれば、それは紅茶?
そんなことをぼんやりと考えながら、何杯もおかわりして、
ゆるゆるとするのがいい感じなのです(笑)。

神奈川県神奈川区神奈川二丁目の住宅地の一隅に「INACASA」はある。オーナーシェフは稲崎匡彦氏。
店名「INACASA」は、”料理人稲崎(ina)の家(casa)”であるという。
成る程、シェフのご自宅に招かれてカウンターに陣取って、
雑談を交わし乍ら、居心地よく手の込んだ料理を堪能する。
立地も店のレイアウトもそのコンセプトを体現したものになっています。

イタリア料理を分解して再構築する過程に、
日本の旬の食材を織り交ぜつつ、
減圧調理機などの最新調理器とアナログな薪窯とを駆使して、
美味しく楽しく興味深くお皿の上に表現してくれる稲崎シェフ。
「ダルマット西麻布」に6年程いてシェフも務められていたそうで、
稲崎シェフの料理はその時にも口にしていたのかもしれません。
また次回、どんな進化や工夫がお皿の上に盛り込まれているか、
今から愉しみです。

「INACASA」
横浜市神奈川区神奈川2-1-1 [Map] 045-577-6500

column/03821

かつれつの老舗「勝烈庵」馬車道総本店で弾ける旨味牡蠣フライ勝烈定食棟方志功

関内駅の北側、吉田橋からJRのガードを潜って進み、尾上町通りを渡り横切れば、そこが馬車道。
通りの名前”馬車道”の由来は、幕末に横浜港が開港し、外国人居留地が関内に置かれたことに遡る。
その関内地域と横浜港とを結ぶ道路として開通したこの道を外国人は、馬車で往来していたという。
当時の人々にとってその姿は非常に珍しくて、「異人馬車」等と呼んでおり、いつしかこの道を「馬車道」と呼ぶようになったらしい。

そんな馬車道から一本東側の筋と常盤町通りの角に立つ。石標には「六道の辻通り」と刻まれている。
「関内新聞」の考察によると、仏教用語でいうところの”六道”とは、
迷いのあるものが輪廻転生する世界、
「天上道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道」の六つを云うが、
開港以来このあたりに寺院が建っていた記録もなく、
六地蔵など仏教とは無関係であり、
明治から大正にかけて、実際に六差路が近隣に存在し、
“六道の辻=六叉路”から名付けられたものであるという。
六叉路は、1923年の関東大震災後の区画整理により廃止されたが、
その六叉路があったのは、この石標が立つ交叉点ではなく、
今の博物館通りと入船通りの交差するところにあったのではないか、
とある。

へーそうなんだ(笑)と思いつつ、
その石標の交叉点角地に佇む建物を見遣る。厚みのある梁を意匠に取り込んで、
目地を通した白い外装に木のルーバーを配したモダンな造り。
そこへ大きな提灯を吊り下げているのが、
かつれつの老舗、浜の味の「勝烈庵」だ。

冬場に此方にお邪魔したならばやっぱり、
牡蠣フライと註文の声を挙げない訳には参りません。牡蠣のエキスをひと雫も逃すまいと包み込んだ衣は深い狐色。

火傷に気をつけつつそっと齧れば、
待ち構えていたように弾ける牡蠣の旨味、風味。なははは、堪りません(笑)。
刻んだ青菜(?)を混ぜる、自家製タルタルマヨネーズも面白い。

さてさて「勝烈庵」通年の定番といえば例えば、
「勝烈庵定食 ヒレカツ」120g。
誘惑に抗えずに単品の牡蠣フライを添えてしまいます(笑)。油鍋に向き合う白木のカウンターでは、
串を刺して揚げている様子が見られるヒレカツ。
ハムカツのような四角いフォルムが面白い。
ヒレらしく、さらっとした軽い食べ口で口福を満たしてくれます。

二階席への階段の踊り場の壁には、
棟方志功と勝烈庵と題する一文が額装されている。Webサイトによると、勝烈庵の先々代当主が棟方画伯と交流があり、
その縁で暖簾にある店名書体を揮毫したのが画伯であり、
度々カツレツを召し上がりに勝烈庵にいらっしゃった棟方画伯は、
横浜にちなんだ作品もたくさん残しているという。
棟方志功の揮毫は、箸袋にも力強くかつ軽快に店名を躍らせています。

「ロースかつ定食」「上ロースかつ定食」や「一口かつ定食」、
「海老フライ定食」「盛り合わせ定食」といった定番定食以外に、
“こだわりのロースメニュー”と冠した一群がメニューにある。「山形の銘柄豚 金華豚」のお皿は、実に率直なひと皿。
成る程、脂身の甘さが嫌味なく解けて旨い。

方や「やまゆりポーク」は地元神奈川県の銘柄豚であるという。横浜市内や藤沢、平塚辺りに生産者がある模様。
蒲田の「丸一」や「檍」のように大胆に厚切りにすることもないので、
目を瞠るようなものではないけれど、じわじわ旨いとんかつだ。
卓上の「勝烈庵ポン酢」が案外よく似合います。

馬車道近く六道の辻の石標の交叉点に、
浜の味にしてかつれつの老舗「勝烈庵」馬車道総本店ある。1927年(昭和2年)創業の「勝烈庵」の発祥もやはり、
横浜が開港し関内に外国人居留地が置かれたことが源泉であるらしい。
Webサイトには、外国人コックが居留地関内にもたらしたカツレツを、
初代庵主の工夫で独特の和風カツレツとして完成させました、とある。
カツレツに勝烈の文字を充てた庵主のセンスを微笑ましく思います(笑)。

「勝烈庵」馬車道総本店
横浜市中区常盤町5-58-2 [Map] 045-681-4411
http://www.katsuretsuan.co.jp

column/03808

居酒屋「栄屋酒場」で鳥大根〆鯖烏賊バター鯨刺穴子煮龍田屋呑兵衛心満たす空気

横浜駅のホームを後にした京急の紅い車列が戸部駅を経て、野毛山動物園を潜り抜け、大岡川に出会したところで大きく右にカーブを切る。
ちょうどその曲がり角に相対式ホームを置いているのが日ノ出町駅だ。
猥雑な顔も持つ野毛の町の裏玄関とも云うべき日ノ出町駅の改札を出る。
眼前に見遣る風景は、何故だか黄昏時がよく似合います(笑)。

いつぞやトルコライスをいただいた、
街の洋食屋「ミツワグリル」
の前を通り過ぎ、
大岡川に架かる長者橋に差し掛かる。
川が下流に向かってS字を描いたその先の左岸は、
呑兵衛たちの憩いの場所、都橋商店街だ。そんな長者橋の袂には、石碑や立て札が並んでいる。
日ノ出桟橋のその辺りはどうやら、
長谷川伸なる御仁の生誕の地であるらしい。
1884年(明治17年)に日ノ出町に生まれたという長谷川伸は、
「沓掛の時次郎」「瞼の母」「木刀土俵入り」などの作品を書いた、
新国劇の劇作家であると石碑にある。

へーそうなんだぁと思いながら長者橋を渡り、
渡ってすぐの長者町9丁目信号の角を右に折れる。すると現れてくるのが、
居酒屋「栄屋酒場」の枯れて粋な暖簾だ。

間口一間半の店の中へと窺うように進むと、
小じんまりした土間は既に先輩諸氏でほぼ満席。
とっても残念そうな顔をしていたのか(笑)、
左奥の荷物置き場とも思える小さなテーブルに入れてくれる。お通しの鯖味噌が妙に旨いなと思いつつ、
立て掛けられた黒板の品書きを右へ左へと眺めます。

すぐ前の厨房から漏れ聞こえる調理の音を聞きながら、
麦酒のコップを傾けているところに「とり大根」が届く。しっかり目に〆た「シメサバ」が美しくも美味い。
こりゃ日本酒だと品札を探してまた、視線を周囲に泳がせます。

常連さんたちのボトルを収めた棚板の下の壁に、
その日その時季にある地酒銘柄が貼り出されている。昭和の名キャラクター、アンクルトリスを生んだ柳原良平氏の色紙が、
丁寧に木枠の設えの中に飾られています。

名古屋は守山区の東春酒造「東龍 龍田屋」純米に燗をつけてもらう。「いかバター焼き」にはほんの少し檸檬を搾って。
例の独特の弾力がありつつ、噛めばすっと切れるのが心地よい。
烏賊とバター醤油ってどうしてこうも相性がよいのでしょか。
「相模灘」純米のお銚子を強請りましょう(笑)。

割と間を空けずに界隈を訪れる機会に恵まれて、
ふたたび黄昏の長者橋近くの暖簾の前に。
しかし、先輩諸氏の出足や早く、
満席ですのでとやんわりと断られてしまう。

そうですか、と項垂れて引き戸を出ようとしたところで呼び止められて、
前回と同じ小さなテーブル席で次の時間まででよろしければと。
はい勿論ですと急に元気がでる。
またまた相当悲し気な顔をしていたのでしょうね(笑)。「東龍 龍田屋」純米を今度は冷やでいただいて、
「とり貝」のお皿を恭しく受け取る。
粋な歯応えのとり貝が素朴に嬉しい。
横浜の中央市場からやってくる魚介なのだろうかと、
何故か引き戸の方を振り返ったりなんかして(笑)。

黒板にふたたび見付けた「くじら刺し」は、
鮮度の良さに疑いのない、甘くすらある食べ口だ。お銚子のお代わりを同じ「龍田屋」のぬる燗で。
それにはさっと煮付けた「あなご煮」のふくよかさが良く似合います。

日ノ出町は大岡川の川端に枯れた居酒屋「栄屋酒場」がある。小じんまりした空間に、
呑兵衛心を満たすような空気が程よく満ちていて、いい。
今はなき三杯屋「武蔵屋」の佇まいをふと思い出す。
今度また、”屋”の部分だけ色褪せた暖簾を払って、
店名「栄屋」の由来なんかも訊いてみたいな。

「栄屋酒場」
横浜市中区長者町9-175 [Map] 045-251-3993

column/03793

米国風洋食「センターグリル」でカキフライ生姜焼きナポリタン野毛のアイコン健在

一時はいっそ此処へ転居してしまおうかとさえ思った野毛の町。
まぁ静かに暮らすには向かないのは誰もが思うところではある。
下町とはまたちょっと違う、ちょっとヤサグレタ空気を悪くないと思った時季があったんだ。
野毛の町中ではなくて、県立音楽堂のある紅葉坂を上がり切った辺りとかもいいのじゃないかとなんとなく考えたりしたものです。

焼鳥「野毛末広」の混雑具合を横目に見ながら、
そうだ、お久し振りに「センターグリル」へお邪魔しようと、
足を向けたあの日。
お店のある区画の角に立つと左手と右手の両方に、
お店の入口を覆う庇の青いテントが見える。右手の店の間口もまた小じんまりしていて、
こちらがつまりは、別館であるようです。
入口の硝子戸に「センターグリル」のエンブレムを飾っています。

コップ立てを兼ねたメニュースタンドを初めて見た。ありそうでいてなかなかお目にかかれないのが、
洋食店のコンソメスープ。
きっと想像以上にコストと手間がかかり、
かつ割と味わいの劣化が早いのかもしれないな。
そんなことを考えつつ、カップのスープをいただいて、
ゆるゆるっとした気分に浸ります。

冬の時季のご註文は、勿論「カキフライ」。ステンレスのお皿が苦手だったオッちゃんは、
今頃どうしているかななどと思いつつ、盛り付けの姿を眺める。
アイスクリームディッシャーを使って載せたポテサラに、
刻み立てを思わせる千切りキャベツとトマト。
そしてお約束の素ナポ。
大きさ丁度よいカキフライは、大サービスの6個盛り。
王道の揚げ上がりであります。

お皿ごとに素ナポがあるのは承知しつつ、
併せてオーダーしてしまう「ナポリタン」。ノーモアアルデンテをそれが基本と実践する。
ニッポンの正しきナポリタンの姿の一端はそこにあるンだなぁと、
そんなことを独り言ちつつ(笑)、
横に持ったフォークをくるくる駆使してペロンと平らげるのです。

それから二か月後にふたたび、今度は本館の方へお邪魔する。なんのことはないのだけれど、
異国情緒をほんの少し帯びた佇まいがいい。
カップのスープは、ポタージュにしましょう。

カキフライ、ナポリタンに続くお目当てはやっぱり「しょうが焼き」。鉄のフライパンをガコガコして手早く炒め焼く、
そんな厨房の様子が容易に想像できるよなロースの生姜焼き。
おろし生姜の利きも程よく、
なによりちまちましていないのがいい。

それからあっという間に二年余りの月日が過ぎたこの春。
またまたお久し振りに野毛の町の「センターグリル」へとやってきた。
するとなんと、別館のファサードが、
別のお店のそれになっているではないですか。まさかなくなっちゃったってことはないよなと、
慌て気味に本館前に行くと、あの頃のままの店の顔があって、
妙な安堵を覚えたのでした(笑)。

ドアを引き開け、そのまま二階への階段を上がると、
以前とはなにやら店内の様子が違う。
別館があった右手方向が閉じている代わりに、
左手方向が開けているのだ。’18年の2月頃にリニューアルしたようで、
隣の角地にあった洋服店部分を使って拡張していたのです。

まずは、グラスのビールと一緒に改めて「ナポリタン」を。うんうん、これや(笑)。
店のwebページによると、
麺は日本初のスパゲッティ「ボルカノ」の2.2mm極太麺。
ゆでて一晩寝かせてもっちり感をだしてます、とある。
ナポリタン元祖の「ホテルニューグランド」の「ナポリタン」は、
生トマトを使ったソースで作られたもの。
しかし当店では創業時からケチャップを使用しています。
当時、ホテルで使っていたような生トマトは希少な高級品で、
街の洋食店では手に入りずらく、ケチャップで代用していた、と。
ニッポンの正しきナポリタンの姿のもうひとつの側面は、
調理についての以下の一文にある。
ケチャップを入れてからしっかりと炒めることにより酸味が飛び、
甘みが引き出されています。

腹ペコが手伝ってまた、無茶な註文をしてしまう(笑)。
またまた素ナポかぶりの「しょうが焼き」だ。豚ロースの肉片のひとつひとつが大振りになった様子。
肉の縁なぞに包丁を入れても間に合わないのか、
焼いたお肉が反り返っているけど、
いいのいいのそんな細かいことはね(笑)。

野毛の町のアイコンのひとつ米国風洋食「センターグリル」が、
新しい表情を街角に現した。狭い間口をふたつ持っていた従前の姿から進化して、
柳通りのゲートに寄り添うように建つ姿はなかなか良い。
店名「センターグリル」についてwebページには、
初代・石橋豊吉は「ホテルニューグランド」の初代総料理長、
サリー・ワイル氏が経営していた「センターホテル」で働いて、
「センターグリル」として開業しました、とある。
“センター”の名は、ホテルの名前に由来していたのですね。

「センターグリル」
横浜市中区花咲町1-9 [Map] 045-241-7327
http://www.center-grill.com/

column/03789